単身赴任生活は時として人生を狂わせますな。
私の場合、単身赴任丸5年で妻と離婚してしまいました。離婚が決定的になったのは丁度厄年でした。
大学と高校に通う三人の子供達の養育費を今も送金し続けています。
離婚する一年余り前、私のちょっとした不倫が妻にバレ、気の強い妻は勿論激怒して何度謝っても許してくれず、そのうちに精神的に疲れてしまい妻との生活を諦めてしまった訳です。
がしかし、捨てる神あれば拾う神ありです。実は妻との亀裂が決定的になって半年余りが経った頃から部下である一人のOLと深い仲になって、妻と離婚した翌日、彼女と再婚しました。何故なら彼女が妊娠4ヶ月目でしたから。
今日もテレビで観た某社携帯スマホのCM「部長・・実はこんな事がありまして・・」を地でいくOLが居ました。名を麻子としておきます。
麻子は毎月数度、同様にして遅刻するものですから他の部下の手前もあって一応「バカモーン」と叱るのですが、天然系の可愛い性格で憎めず、仕事面ではなかなか頭脳明晰で頑張り屋でしたから、お気に入りの部下の一人でした。彼女も私の心を読んでいるのか、何かにつけ私を頼ってきていた。
あるプロジェクトが完結して関係部署総出のパーティを開いた際、ジュース類しか飲んでいないにも関わらず麻子が物欲しそうな顔で私の傍から離れないのです。何か言いた気に見えましたから二人だけで二次会しようかと誘ってみたのです。すると彼女は大喜びで快諾。それが運命の分れ道になりました。
この頃麻子には彼氏が居るという噂でしたから、彼女をどうこうしようなどという魂胆は微塵もなかったのですが、結果は運命の糸に引き寄せられたとしか言い様がありません。
パーティが終わり、静かなバーに落ち合って二人きりで飲み始めると、麻子はすぐに会話に夢中になって、普段にも増してよく笑い可愛くはしゃぐのでした。
会話の中で私が妻との離婚を考えていると打ち明けた時、彼女の目が一瞬輝いた気がしました。私もこの時初めて麻子に女を意識してしまいました。
やがて麻子はブランデーの水割りをグイグイ飲み始め、どうしたのかと尋ねると、何と彼氏にフラれたと打ち明けたのです。
原因は彼氏を含め親しい友人と飲んだ際、飲み過ぎて彼氏に送ってもらう途中タクシーの中で吐いてしまい、タクシーの中を汚すは彼氏のスーツも酷く汚すはで大失態を演じてしまい、結婚さえ考え始めていたほど大好きだった彼氏から呆気なくサヨナラを言われたというのでした。
私も麻子に付き合ってグイグイ飲んでいるうちに酔いが回ってしまい、バーを出た時は二人とも泥酔に近い状態になっていました。
この辺りから記憶が定かではありませんが、呂律の回らない口調で私の家に泊めてほしいと求めてきた麻子に応え、彼女を社宅に持ち帰りました。
そしてその翌朝、眩しさと人の気配に目覚めた私は、隣に麻子が寝息をたてており、その上二人とも全裸であることに驚愕したのですが、間違いなく麻子と身体を繋いだ記憶が断片的に蘇ってきました。
私は麻子の可愛い系の美人顔や美乳の乳房、むっちりしていながら引き締まった下半身まで舐める様に眺めながら、責任を取るしかないと覚悟を決めました。
程なく喘ぎ声をあげながら目を覚ました麻子は、私に女性器を貪られていると認識すると同時に昇り詰めていきました。
そして改めて身体を繋ぎ、麻子を何度も昇り詰めさせ、彼女の了解を得て膣内に二度注ぎ込みました。
その二度目の射精に合わせて悲鳴とともに全身を痙攣させ昇り詰めていった麻子は、そのまま悶絶してしまったのでした。
麻子にとって私とのそのセックスが余程衝撃だったらしく、意識を取り戻してから暫し嗚咽しながら愛の言葉を訴え甘えていた彼女を今も思い出します。
土曜日だったその日は結局素裸のまま思う存分愛し合って過ごし、彼女はその夜もまた私の社宅に泊まりました。
そして日曜日の夕刻、暫しの別れを惜しむように身体を繋いで愛し合っている時、私は「お前と生涯こうして愛し合って暮らしたい。離婚が成立したら即日結婚するぞ」とプロポーズしたのです。すると麻子は歓喜の涙を流して快諾してくれました。
それからは互いの家を往き来する通い同棲生活となって、間もなく私達の関係が社内に知れてしまいました。そこで取り敢えず麻子を他の部署に移動させましたが、私は上司から「部下に手を出すとは何事か!」と厳しく叱責されてしまいました。それでも私の離婚が秒読み状況にあり、私達が真剣であることを話すと、上司は「キミは羨ましい男だ」と呆れぎみに許してくれました。
私とのセッスクに溺れるほど夢中の麻子は殆ど毎日私を求め、生理期でも構わずセックスし、排卵日が近づいても避妊を一切求めませんでした。単純に妊娠したら産むだけと答える麻子の心は既に妻だったと言えます。
そして愛し合うようになって二ヶ月が経った頃、結婚の許し得るため麻子の両親に挨拶に出向きました。父親は私より7歳上、母親も3歳しか年が離れておらず、その上前妻とまだ正式に離婚できていませんでしたから、当然猛反対されました。が、誠意を尽くして挨拶に出向いて三度目の時、私が前妻との確かな離婚予定を告げてやっと許してもらえました。
私の側は父が既に亡く母だけでしたから反対はされませんでしたが、若い麻子を視て母は「本当にいいの?こんな中年で」と何度も確かめていました。
それから間もなくの排卵日前、麻子はどうしても妊娠したいと言ってきました。理由を尋ねると、社内の若い男二人が私を誹謗中傷する言葉を並べ別れろとまで言ってしつこく言い寄ってくるため、妊娠することで彼等を諦めさせたいと言うのでした。日頃から私の子供を妊娠したいとの思いが強い麻子でしたから、理由というか切っ掛けは何でも良かったのです。数日後、私は溜めておいた子種を出し尽くすまで注ぎ込みました。
離婚協議に於いて慰謝料や養育費をめぐって訴訟となり、私の給料2/3を毎月支払えとの妻の要求は私が生活できない怖れがあるとの理由で却下され、何とか半額で合意に達しました。更に財産分与で少し揉めた末、結婚から丸16年の記念日、離婚届を提出して妻と正式に離婚。その翌日、婚姻届を提出し麻子と正式に夫婦になりました。私43歳、麻子24歳のこと。
そして結婚から半年後の先月、麻子が無事娘を出産しました。幸せ一杯の新妻麻子と夢中で母乳を飲む娘を観ていて、単身赴任生活になったことからこのような運命が待っていようとは、と今更ながら悦びと幸福を噛みしめている私です。