私の初体験は大学1年の時、相手はアパートの隣に住む3年生の先輩だった。
私が引っ越してくる前は、私と入れ違いで卒業した先輩の2コ上の彼氏が住んでいた。
私は、先輩の彼氏の代わりにされただけでなく、先輩が生理の時には手コキで射精観察されたり、オナニー射精を強要されたりしていたが、先輩なので逆らえない、というか、セックスさせてくれる先輩のいいなりだった。
強要されたオナニーのときのズリネタは、セーラー服姿の斉藤由貴のグラビアだった。
飛び散る精液を凝視され、恥ずかしかった。
大学2年になると、女体を覚えた俺の方がセックスのペースを握るようになった。
大学2年の暑い夏の日に、私は図書館で調べ物をしていた。
するとそこに、セーラー服を着た女の子が勉強していた。
チラッと見ると、斉藤由貴に似ていて、思わずときめいた。
彼女見たさに図書館へ通った。
そのうち、顔見知りになって、時々会話も交わすようになった。
彼女は4歳年下、高校1年生だった。
大学2年が終わり、先輩が卒業して故郷へ帰るのでお別れになった。
大学3年になって、図書館で例の女子高生に声をかけられた。
「こんにちは。何だか、元気ないですね。」
彼女と別れたことを告げると、
「私が代わりにって、わけにはいきませんものね・・・」
この一言がきっかけだった。
大学3年生と高校2年生のカップルが誕生した。
決して洗練されているとはいえばいえない地方都市の公立高校のセーラー服だったが、斉藤由貴に似た彼女にはとても似合っていた。
図書館デートは、やがて街に出るようになり、梅雨時になると私のアパートへ連れ込むことに成功した。
彼女のファーストキスを奪ったが、それ以上は遠慮した。
しかし、それも1か月が限度だった。
「君が欲しい・・・」
まだ高2の少女の裸は初々しく、女体として完成したかしないかの未熟さもあった。
型崩れも着色も一切無い美しい陰唇を開き、桜色の突起を舌先で舐めた。
男の舌使いの快感を初めて味わい、堪え切れずに声を出した彼女が可愛かった。
「避妊、してくださいね。」
スキンをして挿入した。
破瓜の痛みに耐える彼女を抱きしめ、愛の言葉を囁いた。
秋の頃には陰核の快感だけでなく、挿入された陰茎による快感も覚えてきた。
溢れる陰茎の快感に戸惑う彼女が可愛かった。
陰茎にGスポットを開発されて、淫らな反応をしてしまう自分に恥じらい、頬を染めながらも快楽に喘ぎ、次第に女の悦びを知っていった。
斉藤由貴に似た彼女が恥じらいながら感じる様は、私にこの上ない幸せを運んでいた。
高校3年の冬休みに初めて逝くことを知った。
逝くという不思議な感覚を与えてくれる陰茎対する愛情が増したようで、可愛い顔で陰茎に頬ずりするようになった。
可愛い顔とセーラー服と陰茎の組み合わせは、至高の興奮を呼んだ。
逝くようになると、セックスが愛の確認だけではなくなり、快感を分かち合う卑猥なイベントとして彼女も楽しむようになった。
彼女が高校を、私が大学を卒業して、お互い社会人になった。
私には兄がいるので実家には戻らず、そのまま大学のある都市に住まい、彼女との愛を深めた。
そして、私25歳、彼女21歳で結婚した。
愛しい恋女房との性愛の暮らし、2人の娘が生まれて幸せな家庭を築いた。
斉藤由貴に似た可愛い恋女房は夫婦になった途端に淫乱を増した。
結婚して10年以上過ぎても毎日のように営み続けた恋女房の陰唇は、真っ黒になっていった。
可愛い純情顔の恋女房は、黒ずんだ陰唇を広げて私の陰茎を求めた。
今月下旬、その恋女房の十三回忌だ。
結婚して14年、恋女房との別れは飲酒運転の若造の交通事故に巻き込まれるという形で突然やってきた。
生きていれば47歳の恋女房との思い出は、毎年秋の深まりとともにやってくる。
そして、毎年その思い出は色褪せていく。