同僚から、
「君の奥さん、AVデビューしてないよね?」
と言われて驚いたことがあります。
「瀬尾礼子っていう熟女AV女優がいるんだけど、君の奥さんにソックリなんだよ。」
と言われて、スマホで瀬尾礼子さんをググってみたら、エッ!・・・と息を呑みました。
画面には微笑む妻、スレンダーな身体で淫らに男優と絡む妻が映っていましたが、よく見るとその裸は妻ではありませんでした。
でも、着衣の写真は瓜二つでした。
結婚して28年の妻は2歳年下の51歳、若かりし頃は地元商店会のミスコンで優勝した別嬪さんです。
そんな別嬪さんと結婚できたのは、妻は商工会理事長の愛人で、私はそのお下がりを貰った形で結婚したからです。
当時の理事長はハゲデブの脂ギラギラのエロ親父で、当時新卒で商工会で働き始めていた私は、21歳のミスコン優勝の別嬪さんと、50代のエロ親父の性行為をビデオカメラで撮影させられていました。
モテない私は、羨望と絶望が入り混じった心境で、清楚なスレンダー美人が繰り広げる淫蕩な性行為をビデオカメラ越しに見ていました。
撮影という行為でなければ、普段清楚な美人の恥辱の姿は直視できなかったと思います。
モテない私は、大学時代は、バイト先の40代のバツイチ女性経営者の愛人をして、小遣いを貰っていました。
私が大学生の頃はバブルで、女性経営者のセックスのお相手だけでなく、お尻の穴に異物を入れられたり、陰茎を虐げられてギリギリまで射精を我慢させられたり、下半身を玩具にされていました。
時には、取引先の中年の既婚女性担当者へ貸し出されて、不倫のお相手をさせられました。
忘年会で、若い女性社員の前でオナニー射精ショーをさせられる憂き目にも遭いましたが、高額のお手当ての前に屈しました。
そんな私に、ある日、理事長が3Pを持ち掛けてきました。
「いつも撮影だけじゃ可哀相だ。君もミス○○を抱いてみたいだろう?」
と言われて、妻を初めて抱いた時、妻は狂ったように乱れて、逝きまくったのです。
モテないけれど、持ち物が素敵だと言われ、理事長が次の年のミス○○に乗り換えたとき、妻を譲り受けたのです。
妻は私というより、私の陰茎が気に入って結婚を迫られ、私25歳、妻23歳で結婚しました。
新婚時代は毎日セックスは帰ってすぐ、夕食後、就寝前の3回で、休日はやりっ放しでした。
娘が一人生まれましたが、妊娠出産期間にセックスができないのが我慢できないという理由で、子供は一人で終わりました。
妻は清楚な美人ですが、とても淫乱で、五十路夫婦になった今でも、毎晩セックスがあります。
だから、瀬尾礼子さんというAV女優を見たとき、あまりの激似に、淫乱が高じて妻がAVに出たのかと思ってしまいました。
瀬尾礼子さんは妻に激似ですが、身体は妻の方がもう少し肉付きがあって、乳房ももう少し大きいですから、別人と分かりました。
時々、妻を抱く前にスマホで瀬尾礼子さんの痴態を見ることがあります。
そして思うのは、妻は、瀬尾礼子さんのAV画像よりもエロいという事です。
「ああ、あなた、舐め舐めはもういいから、早くチンポをぶち込んで。」
などと平気で言います。
妻は現在51歳、ご近所でも評判の清楚な美人奥様ですが、長年にわたる途切れることの無い夫婦の営みで、陰唇は真っ黒で、陰唇を広げると昔はピンクだった膣口も紫です。
おそらくは、妻と私のセックス回数は、一万回を超えていると思います。
昨年閉経してからは、毎回中出しになっていますので、
「ああ~~中に出してぇ~~51歳のおばちゃんを孕ませてぇ~~」
なんて言いながら、四肢を突っ張らせながら淫ら極まりない姿を晒します。
愛液をブチュブチュ噴きながら、乳房を震わせて、スレンダーな身体で逝きまくります。
その羞恥に満ちた姿は、AVを遥かに凌ぐと思います。
清楚で美しい女性ほど、その痴態は淫蕩に見えるのかもしれませんね。
私は、瀬尾礼子三の存在を知って以来、少し、妻との営みに変化ができました。
そして、AV女優以上に淫乱な清楚美人妻と、毎日夫婦の営みがある五十路というのは、実に幸せなことだと思うようになりました。