あの人が乗っていた車はカローラレビン、私はトヨタカローラに勤めていて、店員とお客で出会いました。
昭和から平成にかけてのいわゆるバブルの頃で、私は、顧客だったあの人にドライブに誘われ、あの人の華麗なシフト操作とクラッチワークに惹かれました。
そして、あの人に誘われるままホテルへ入り、今度はあの人の優しい愛撫に蕩けました。
セックスは、短大時代に大学生だった元彼と経験していましたが、あの人の優しくも的確に性感帯を捉えた愛撫と、なにより、元彼はしなかったクンニリングスに気を遣ってしまいました。
嫁入り前の乙女が男性に大股を開いて、恥ずかしい女の割れ目を広げられ、舐められる・・・その羞恥は快感を伴って私を新しい世界に導きました。
あの人のものを口に含み、そして、直接生で貫かれ、心から愛しさを感じながら、子宮を撫でられました。
惚れた男性の生殖器を自分の生殖器で受け入れる・・・動物のメスとして至上の歓びで、その遺伝子を体中に浴びて、いつかは子宮に欲しいと心から願ったのです。
あの人に、身も心も捧げたい、その思いは激しくなり、そして私はあの人と会うたびに激しく交わるようになりました。
あの人は、カローラレビンからセリカに乗り換え、納車の日、
「この助手席は、君のものだよ。一緒に人生を歩もう。」
と言ってくれました。
あの人は、若い頃のご両親を事故で亡くしていて、その時の賠償金で大学まで卒業しました。
それでも残ったお金を資産運用していて、お仕事の収入のほかに、幾ばくかの収入があり、
「経済的に苦労は掛けないよ。いつか、子供が出来たら家庭に入って欲しい。」
と言われ、私はプロポーズを受けました。
あの人と結婚して、毎晩抱かれました。
あんなにアソコで男性を受け入れたいと思ったことはかつてなくて、あの人に抱かれるために私は生きていると思っていました。
結婚して、本来は生殖行為であるセックスだけれども、妻として愛する夫と身体を交えたいと思うのは、人間だけが有するの性だなあと思いました。
セックスによって、夫婦の愛情や信頼を深めていきたいと思えばこそ、女として恥ずかしい格好も厭わずできる、というより、女として恥ずかしい淫らな姿を夫に見て欲しいとさえ思いました。
毎日、恥ずかしい行為のセックスが生活の一部になっているのが結婚生活だと感じていました。
初めての結婚記念日に、
「夫婦水入らずも一年過ぎた、そろそろ、子供を作ろうか・・・」
と言われ、セックスの本来の目的である生殖行為をしました。
夫の生殖器が私の生殖器の奥に差し込まれ、強烈な快感の中、子宮の中にあの人の遺伝子が注がれました。
来る日も来る日も、あの人の遺伝子を子宮に受け、気を失うほどの快楽の中、夫婦を感じていました。
元々、種の保存のためにセックスには快感が伴うようになっているんだなあと思いました。
だから、お布団の中で愛のコミュニケーションの名のもとに、お互いの生殖器をこすり合わせて、快感のやり取りをするのが人間のセックスで、繁殖行為の方がする機会が少ないんだと感じながら抱かれました。
そして長女を出産、2年後、次女を出産し、家族4人で仲良く暮らしました。
その頃、実家の弟も結婚し、奥さんである義妹が妊娠し、弟が実家を建て替えることになりました。
亡くなった祖父母と住んでた私たちが生まれ育った家は、ある私鉄の田舎駅のそばにあって、その家の道を挟んだ北側の畑だった土地に、弟が二世帯住宅を建てるというのです。
祖父母と住んでた実家は、その後取り壊すというのでがっかりしていたら、あの人が建物を買い取り、リフォームして住もうと言ってくれました。
祖父母と住んでた家の土地は、菜園を含むと1,000平米あって、リフォームと共にガレージもできました。
そしてあの人は、土地は父名義なので、借地権を設定して月10万円を借地料として支払ってくれました。
添えは、弟のローンの一部に充てられ、弟はあの人にとても感謝していました。
私は当時、5ドアのカローラFXに載っていましたが、家族で遠出するときは排気量に余裕があるセリカで旅行しました。
クーペですが子供が小さいうちはセリカの後部座席で十分で、後ろにドアがない分安全が保てました。
あの人と子供たちと、家族の思い出が増えていきましたが、下の子も小学生になると、セリカの後部座席だと長女がきつくなってきたので、あの人はセリカからセダンに乗り換えました。
これが騒動を引き起こしました。
あの人は、セリカからスポーツセダンのアルテッツアに乗り換えたのですが、アルテッツアはトヨタカローラ店の扱いではなくて、店長が私の父に、
「長い付き合いなのに、娘さんも働いてたのに、他店から新車を買うなんて、そりゃあ無いでしょう。」
と泣きついたことで、あの人は私の父から嫌味を言われるようになってしまいました。
あの人は私の父を避けるようになり、娘たちも私の父の理不尽さに嫌うようになり、ある日、
「いいか、付き合いは義理なんだ。義理を欠くようなことをするんじゃない。」
とあの人が私の父から言われ、あの人は、
「欲しい車がない店から、何を買えというんですか。自分のお金で、欲しい車を買って何が悪いんですか。」
と言い返したら、私の父は何を勘違いしたのか、
「貴様!前の家を安く譲ってやって、土地まで貸して住まわせてやってるのに、生意気言うな!」
この一言が、あの人の逆鱗に触れました。
あの人の行動は早く、翌日には不動産屋を巡って、アルテッツアとカローラの2台が駐車できるスペースがあるアパートを探し、その2週間後には物件を決めて、そのまた2週間後にリフォームした家を出ました。
そして、せっかくリフォームした家を取り壊し、借地権を外して、借地料の振り込みを止めてしまいました。
私の生まれ育った家は、あっという間に無くなってしまいました。
これには弟家族が悲鳴を上げ、義妹がパートに出たり、生まれ育った家が建っていた土地を売ったりして、何とか食いつないでいました。