妻と知り合ったのは33年前、紺野美沙子に似た美しく清楚な妻が25歳まで売れ残っていた奇跡に感謝していた。
何せ当時は、女性はクリスマスケーキ、24が食べ頃で25が賞味期限、26は売れ残りと言われた時代だった。
「私、一人娘だから、うちは、婿に入ってもらえないと無理なのよ・・・」
次男坊の俺は、その言葉に飛びつくように交際を申し込んだが、
「結婚するまでは、清い関係でいましょう・・・」
と紺野美沙子に似た美人の裸を一年近くお預けをくらい、俺29歳、妻26歳で結婚した夜、初めて美人妻の女体を味わった。
26歳の清楚美人は、26年間守り続けた純潔を俺にくれた。
結婚後は、妻の実家にマスオさん状態で暮らした。
いかにも昭和の建物という感じの妻の実家は、漆喰の壁の木造二階建て、義父母の部屋は一階の玄関わき、俺達の部屋はその真上、二階の西端、南側の戸を開けると回廊が南から西に回る八畳の和室、そしてその北側に襖を隔てて六畳の和室があって、その六畳部屋が寝室だった。
布団を並べて敷き、そこで美しい妻を抱く日々、それは至福の毎日だった。
長女が生まれ、長男が生まれ、妻のッ実家は賑やかだった。
長女が地元の国立大に進むと、他県出身のアパート暮らしの友達を連れて来て、ワイワイ楽しそうだったが、みんな妻を見て、
「モテるのは、お母さんが美人だからか~」
と言っているのを聞いて、娘がオトコに狙われているとヤキモキしていた。
やがて長男は上京して大学進学、長女が就職、長男が戻って就職すると長女が結婚し、家を出た。
長男も結婚して家を出て、義父が没、数年後後を追うように義母が没、50代の夫婦二人暮らしになった。
秋めいてきた頃、休日の前夜、いつもの寝室の六畳ではなく、八畳部屋に布団を敷いて寝た。
妻の布団をめくると、待ってましたと言う目で俺を見た。
上体を起こして、ゆっくりと寝巻を脱いで二人とも素っ裸になった。
妻と唇を重ね、妻の乳房を愛撫した。
回廊の障子戸の隙間から、中秋の名月の月明かりが差し込んで、紺野美沙子に似た妻の横顔を照らした。