一昨年、当時44歳の私は当時47歳の陽子と再婚しました。
3歳年上の陽子は私の従姉で、ずっと泌尿器科医院で看護師をしていて独身でした。
私が5年前に元妻の不倫で離婚、陽子は3年前に院長が高齢を理由に廃業してしまったことで、私との結婚に踏み切ってくれました。
私は、石田ゆり子さんに似た従姉の陽子をずっと思い続けていたので、今はとても幸せです。
私達は、陽子が高2、私が中2の時、処女と童貞で初体験をした仲なのです。
もちろん、陽子主導でのセックスでした。
私達は近所に住んでいて、お互い一人っ子だったために姉弟のように育ち、お風呂も一緒に入って、一緒に寝たりもしていました。
性的な遊びをするようになったのは、陽子小6、私小3の時でした。
一緒にお風呂に入っていた陽子に生え始めた陰毛を弄っていた私に、陽子は、
「今度は光男の弄らせて。」
と言って、私の陰茎を弄り始めたのです。
小3の陰茎は、弄られているうちに勃起しました。
陽子は、皮を扱くと痛がった私の陰茎に石鹸を塗って潤滑させて扱く手段に出ると、今度は痛みよりも気持ち良さに私がウットリし出しました。
気持ち良くてもまだ精通していないので射精はしませんでしたが、陽子は、既に性教育を受けていたのでしょう、勃起の意味もわかった上で私の陰茎を悪戯していたようです。
それは、陽子が中3になって受験勉強が忙しくなったことを理由に一緒にお風呂に入らなくなるまで続きました。
陽子中2、私小5まで陰茎遊びを続けていたから、一緒にお風呂に入らなくなったからといって終わるわけがありませんでした。
親の目を盗んでは私の部屋や陽子の部屋で下半身を露出して、陰茎遊びを続けていました。
私が中学生になると、陰毛も生えそろい、中学1年が終わる頃、陽子の陰茎弄りの最中に内股がざわつき、
「陽子姉ちゃん、なんか変だよ。」
ダラダラダラ~~~っとついに射精したのです。
驚いていた私に、陽子が性の教育をしてくれました。
そして私が中2になった時、お互い親戚としてではなく、男女として好き合っていることが分かり、陽子に導かれて初体験したのです。
陽子が入手したスキンを被せて、陽子の陰部を弄ると濡れてきて、陽子が気持ちよさそうにしている表情が凄く印象的でした。
何度も失敗して10回目くらいで挿入に成功、私は、破瓜の血に驚いてしまいましたが、陽子が私の腰を押さえつけて射精まで導いてくれました。
それから私達はセックスに夢中になり、本気で愛し合いました。
そして、私高2、陽子が看護学部2年の時、私の部屋で愛し合っているところを両親に見つかり、激怒されて私達は引き離されました。
陽子は看護師として働き、私は追い出されるように東京の大学へ進学しました。
盆や正月でも私達は顔を合わせることを許されず、私は陽子の事を胸に秘めつつも職場で知り合った女性と結婚、一女の父となりました。
私39歳の時、35歳の元妻が妊娠、浮気相手の子でした。
当時小5の娘は母親を酷く嫌悪し、元妻は離婚して家を出て不倫相手の元で出産したのです。
私の離婚を知った陽子は、私を案じて訪ねてきてくれました。
陽子の父親の告別式以来、8年ぶりに会った陽子は石田ゆり子さんに似た可愛い女性でした。
陽子は、当時68歳の母親と二人暮らしでした。
再開した私達は、居ても立っても居られない気持ちでラブホに入りました。
42歳の陽子は、ずっと独身だったので綺麗な陰唇をしていましたが、さりとて使用歴は感じましたから、何人かの男と関係はしたのでしょう。
出産歴のない体は張りもあって綺麗でした。
私達は貪るように愛し合いました。
再開から2年後、陽子の母が70歳で他界、翌年、泌尿器科廃業と陽子を次々と不幸が襲いました。
私は、陽子に中一になったばかりの娘の面倒を頼みました。
娘は陽子と母娘のように仲が良く、
「おばちゃん、パパの奥さんになってよ。」
と、この一言が私の両親を動かしました。
「アンタたち、今から子作りするでなかろうから、一緒になってもいいよ。」
陽子は私の家にやってきて、両親と私と陽子と、そして娘の5人家族になりました。
陽子と私は、平日は普通に愛し合っています。
でも、週末は二人で買い物に出かけると言って、今は無人の陽子の実家へ行き、変態プレイを楽しんでいます。
実は、幼い頃、陰茎遊びをしていた陽子は、ちょっとSなんです。
陽子の男性遍歴は私の後2人、どちらも年下で、陽子によって下半身を甚振られるマゾになっていました。
泌尿器科の陽子は、陰茎の扱いも上手で、肛門から指を入れて前立腺を責める技も持っていました。
かつての年下男達にした陰茎苛めの道具も保管してあり、今は私が陽子に下半身を責められています。