年寄りな者で、細かいことが不得手になっております。
書き間違いによる誤字脱字等ありましたら、ご容赦願いたいです。
私は昭和15年生まれの76才です。
幼少の頃は戦争でした。
父は大工、戦後復興の波、父の仕事は忙しく、あっちが終わればこっちに行き、がむしゃらに働いてて、他の家より多少は裕福だったと思います。
私が中学二年の年です。
両親に呼ばれました。
両親の前で正座をして、話しを聞かされました。
私は中学を出たら、父の後をついで、大工見習いに入るつもりでいたんです。
父が言いました。
「高校へ進学しろ」
私が小学校卒業時、将来父と同じ大工の道を進みたいことを話すと、大喜びしてたはずの父です。
母がこれからは学が物を言う時代になる、だから高校くらいは出ろとの話し、大工見習いはそれからでも遅くはない、それが理由でした。
職人気質で厳しい父の言葉に、私は、はいわかりました、と同意せざる得ませんでした。
でももう一つ、私の将来に絶対的、決定的、重大なことがありました。
高校進学承諾の話しが済むと、父は立ち上がり、外に出ました。
母は緊張した面もちで、私を睨むようにしてました。
「どうぞ、こちらえ」
外に出て行った父が戻ってきて、父の案内に添うように、母娘が入ってきました。
誰なのかは全くわかりません。
父が説明を始めました。
父と大工仲間だった人の奥さんと娘さんでした。
その大工仲間は戦争で帰らぬ人になり、戦争未亡人とその娘という訳です。
父は、その大工仲間に相当な恩義があるらしく、その母に仕事世話したりしてきたそうですが、やはり厳しい世の中でした。
中学二年の私と、なんの関係があるのか、理解出来ないでいました。
「お父さん、回り口説い話しでは守男がわかりませんよ」
母の横やりに、こほんと咳払いをした父が、話しの核心を話しました。
「その子(娘を指差し)は、お前の許婚になる。その子の将来のためにも、お前には進学してほしいのだ」
青天の霹靂とは、まさにこのことでした。
唖然としてる私に、母の叱咤が飛びました。
「わかったのか、返事しなさい」
返事など出来るはずもありません。
名前も知らない子を、いきなり許婚だからと言われた中学二年の私です。
父も私を叱咤しました。
「守男、聞いてるのか」
大混乱の頭を少し整理、やっと言葉を発した私でした。
「名前も年も、何も知らない子を、いきなり」
私はその子を見ました。