コロナ前の話しです。
当時の私は38歳で県の農業試験場の職員をしていました。
妻の聡美はブライダル関係の仕事をしていました。
私達夫婦は双子の息子に恵まれて、妻の聡美は二人の子供を育てながら、ブライダルの美容関係の仕事をしていました。
妻の実家は農家で妻の姉が養子を貰って農家を継いでいましたが、妻の姉の旦那と妻の両親とが上手くいかなくて、養子縁組を破棄して姉夫婦は実家を出て居酒屋の商売を始めたようでした。
その為に私達夫婦が妻の実家の農家を継ぐことになったのです。
私は週末になると一人で妻の実家の農作業を手伝いに行くようになりました。
妻は仕事が休みでも子供の塾等で、実家の農作業を手伝うことは、ありませんでした。
そんな教育熱心な妻のおかげで二人の息子は全寮制の中高一貫教育の有名私立中学に入学することができたのです。
妻の実家も義父が農業団体の理事長や、県会議員等の仕事で忙しく、実家の祖父母も歳なので、私達夫婦に帰って欲しいと云うことになったのですが、妻が「あなた、私はいまの仕事が好きだし子供達の学費にもなるし、あなた一人で帰って休みには必ず帰って手伝うから」と云うことで、私が一人で妻の実家に帰って農作業をすることになったのです。
妻は休みになると帰って来て農作業を手伝っていました。
帰ってくると妻は「あなた、本当にごめんなさい、私の実家なのにあなた一人に押し付けて」といつも謝っていました。
そんな時に私の学生時代の友人で妻が働いているブライダル関係の撮影担当のカメラマンをしている浩司が「最近、聡美ちゃんが元気ないけど、何かあったのか?」と云う連絡があり、私が「俺が養子になって聡美の実家の農家を継ぐようになったり、更に子供達が全寮制の学校に行ったりして、寂しさ等で落こんでいるんだ
、すまないけどたまには飯でも誘ってやってくれないか?」
すると友人の浩司が「誘っても良いのか?俺は前から聡美ちゃんが好きだったんだどう」
私が「好きだったのは知ってるよ聡美が元気になるんだったら口説いても良いぞう」と言って何となく後悔していました。
妻の聡美の休日の前日に聡美から電話で「あなた、浩司さんから食事に誘われたけど行っても良いの?」
私が「良いよ、たまには息抜きをしなよ、俺は農作業は嫌いじゃないから、俺のことは考えなくて良いから」
聡美が「あなた、ありがとう。」
そして今度は友人の浩司から「由紀夫、ありがとうな、聡美ちゃんが食事をOKしてくれたから」と嬉しそうに電話をしてきました。
浩司とのデートの翌日の昼頃に聡美は帰って来て、農作業を手伝ってくれました
その夜に私は聡美を抱き締めて「浩司とのデートはたのしかったか?」
聡美が「うん、色々と御馳走になったわ」
私が「そうか、口説かれただろう」
聡美「うん、でもしつこくなくて優しかったわよ」と言いながら、聡美から求めてきました。