俺はアラフォーの独身男。見た目もスペックも負け組の典型のような男だ。
三流大学を卒業後家電量販店に就職、本人は一生懸命のつもりだが能力も要領も足りずに10年勤めた職場に馴染めないなどと言い出す駄目な男だった。
当然まともな恋愛経験も無く毎日を惰性でただ生きていた。三十代半ばの冬に父が体調を崩して実家の家業である酒屋をたたむという連絡が来た。
小さな酒屋だ。昔はこの辺りのバーや居酒屋の納めで良い時もあったが時代が変わって格安の酒販店が表通りに出来てからは、業務用も家庭用も売上を奪われて昔からの顧客数十軒を相手に細々とした商売をしていた。
父の入院の支度をしている母を手伝っていた時に、店を閉める無念を聞かされた事や今の自分の仕事の中途半端さに嫌気が差していた事もあり俺は家業を継ぐことを決めた。
その後、退院する事無く亡くなった病床の父に家業を継ぐと伝えた時に喜び笑ってくれたのが俺が父に出来た唯一の親孝行だった。
俺が家業を継いで2年目、俺なりに努力して酒造メーカーと何軒か契約し、こだわりの日本酒や焼酎を揃え始め多少は客も掴み相変わらずの低空飛行ながらなんとかやっていた頃、知り合いの紹介で1年程取引をしていた小さなスナックのママから連絡が来た。
青森の実家の母が骨折したという半年程面倒を見に戻らなきゃならないのだが、オープンして1年やっと固定客が出来たところで店を辞めたくない、どうせ家賃を支払わなければならないなら、毎週末は店で飲み常連客の殆どと知り合いの俺に週末でけ店を開けないかという提案内容だった。
アラフォーの独身男である。仕事が終われば毎晩近所の飯屋で晩飯を食い、安いスナックで時間を潰して寝床に着くだけの毎日だ。
俺からすれば、近所には顧客に頼まれてと言い訳が出来て、毎晩のスナック代が浮き、さらには小遣い稼ぎにもなる一石二鳥の申し出だった。
飲食店経営どころかバイト経験すら無かったが俺は家賃以外の維持費、電気代とカラオケ機器のレンタル代、仕入れ等は俺が支払い、後は全部自分の利益という条件でこのスナックの代打経営を引き受けた。
見ようによっては色っぽいと言えなくもない熟年ママ目当ての年配客も居たが、大概の客は飲兵衛の寂しがり屋だカウンターの中の人間がママから俺に変わっても心配したほど離れた客も無く、以前と変わらない面子が毎晩ぼちぼち訪れた。
店をやり始めて2週間ほどした週末に前の週に常連客が連れてきた職場の友人が取引先の男女を連れて賑やかに入店した。
こないだ来てすっかり気にいっちゃってさ!今日はお客連れてきた。かなり酒が入っているようで上機嫌だ。この男を先週連れてきた常連客のボトルを出そうか迷っていると、マスター!ボトル入れてよ!あとお茶。お茶割ね俺たち。と言ってきた。
焼酎ボトルを俺がテーブルに運ぶと男はテーブルを挟んで座っている連れてきた男女を俺に紹介し始めた。
こっちがね、タケちゃん。タケダさん。いやーね本当にね、もー世話になってるの!この人には!タケちゃんと呼ばれた男は妙に腰の低い中年男で、いやいやとんでもない世話になっているのはこっちですよなどと恐縮した芝居をしているがこちらを見ようともしない事からプライドが高そうなことが伺えた。
この手の男は見透くぐらいに分かりやすくく煽てるのが有効だ。俺はこのタケダを容姿から持ち物、話し方や声、全てを持ち上げた。タケダは何?マスター馬鹿にしてるの?などと口では言うがまんざらでも無い様子だ。
そしてそのタケダの横に座っていたのが陽子だった。こっちはねー。ヨーコちゃん!可愛いでしょ?マスター惚れても無駄だから。すげーイケメン旦那が居るんだよー、残念。この人は経理やってるからね!変な請求書とか送ると直ぐ電話掛かって来て怒られちゃうから!
陽子はそんな事ないですよとか、ひとしきりはしゃぐ芝居をした後、俺に向き直り良いお店ですねー常連客ばかりの地元のスナックって感じ。昭和っぽくて家庭的。
昭和っぽい。お客さんうまいねー!ボロいだけだけどー。客達がワイワイ盛り上がっている。その日は気の良い常連客が多く、タケダ達も初見と思えない程、店に馴染み、遅くまで盛り上がりタケダも陽子も上機嫌でまた絶対来ますと空になったボトルの代わりに新品のボトルを入れて帰って行った。
場末のスナックだ。来る客が殆ど決まった曜日ごと、何日おきか決まってくる。
月曜は意外と混む。店が休みの日曜日、寂しく過ごした常連客が人恋しくてやってくるからだ。
火曜辺りが決まって暇になる。
タケダ達が来た翌週の火曜日、俺はいつものように本業の酒の配達を7時迄に終わらせてスナックを7時半に開店させた。
9時まで誰も来ないなんてことは平日はざらだ。その日も9時半頃までカウンターの中でスマホをいじって一人過ごした。
カランカランと扉の鈴を鳴らして、ひとりの女が入ってきた。だいぶ酔っているように見える陽子だった。