商事会社にいた頃、同じビルにある系列会社の社員として働いていたYM子という年下の女性がいた。
当時、セクハラという言葉が日本に入ってきたばかりの頃で、既婚のスケベで通ってた私は、エレベーターに乗る度に、ばったり女子社員と二人切りになると、お構いなしに受け入れそうな女の子の肩を抱いたりしていた。
それで、嫌がらない子に対しては徐々にエスカレートさせ、終いには、ヒップタッチも可能性な状態にもっていってた。
その中の一人がDcupのYM子であった。
ある日、私はYM子をデートに誘った。
そして、車に乗せてすぐに、「今夜だけはオレの彼女になれよ。」と耳元で囁いた。
すると、彼女は無言で頷いた。
彼女からするといきなり直球を投げられたと思ったに違いないが、普段からのボディータッチが功を奏し、簡単に落ちたのである。
YM子は、彼氏もなく、25歳を超え性体験に飢えていた。
なので、いきなりホテルに直行することを提案したが、彼女は拒まなかった。
車の中で既に接吻は済ませていたため、ホテルに入ってからは、シャワーを浴び、後に直ぐに事に及んだ。
白くて大きなヒップは90cmもあると聞かされ、私は、更に勃起したことを思い出す。
そして、私がYM子をかわいいと思っていることを知っていて、YM子もオレに好意を寄せていたため、二人の肌はなんの違和感もなく密着し、YM子は私の肉棒をしゃぶり、先走り汁も飲み、不慣れではあったが私のいきり立ったモノを肉壺で貪った。
その日以来、仕事中に呼び出しては会社のビルの屋上などでフェラさせたりしていたが、社内の人間同士でそれ以上深間にハマるわけにもいかず、私達は距離を置いていた。
その内に、私は情熱的で男に飢えていた別のEcupの女子社員R子と一緒にカラオケに行ったことがきっかけでねんごろになってしまった。
その後、R子とは約10年間不倫関係を続けることとなったが、その間の淫行については、また別の機会に語ることとする。
R子とは、ほぼ週一・二で身体を貪り合っていたが、やがてほどなくハメ撮りをする仲になってしまった。
その内に、投稿写真エロ雑誌「投稿ニャン2」や「投稿キング」などに投稿したりして、野外露出セックスやスカトロプレイなど不倫どエロを極めた。
しかし、R子は、単なるセフレであったため、気持ちはやはり疎遠になっていてもYM子のことを考えていた。
どうにかして、YM子を私好みの淫乱な女にしたいという願望はあり、疎遠ながらも、ときどエロ本を貸して読ませたりしていた。
失敗は、それが始まりだった。
実は、その渡したエロ本の中に目線入りだがR子のフェラ画が載っている投稿ニャン2が混じっており、それがR子であるとYM子が見破ってしまったのだった。
ビルの屋上で最後にハメたときそれを知った自分はとぼける他はなく、泣いていたYM子を慰めることすらできなかった。
YM子はやがて親の決めた見合いで結婚し寿退社して遠くの街にいってしまった。
それから、5年ほど経ったある日、突然YM子から里帰りしてきていると電話が掛かってきた。
当然のごとく、会いたいと誘い出し、昔話しに花が咲いた後に、お決まりの成り行きでホテルへ行った。
旦那とは、既にセックスレス状態とのことだったが、
抱いたその身体は、何者かの手によってエロ調教されているのは間違いなく、アナルにもすんなり私の肉棒を呑み込み、YM子はよがり声を上げていた。
私はYM子を問い詰めた。
すると、遠く離れていて、もう一度寄りを戻す可能性のない私に恥ずかし気もなく、自分のその後の性体験を語りだしたのであった。
旦那が横浜に単身赴任している間に、旦那が信じている友人と内緒でねんごろになり、自宅アパートでその男とセックス三昧の週末を送っていること、平日は一人でアダルトビデオ屋にAVを借りに行き、それを観ながら通販で買ったバイブで二日と開けずオナっていること、そして、アダルトビデオ屋の店員に手紙を渡されて会うようになり、そいつともねんごろになってしまい、時々ホテルに行っているということなどを聞かされた。
私は、変わり果てた彼女に愕然となった。
見た目は、よりふこやかになった以外何も変わってない彼女が、そんな淫乱女になってしまったのである。
あの目立たないとてもおとなしく真面目だったOLがこんなにも変わってしまうものかと、ショックを受けたことを思い出す。
しかし、それだけではなかった。
YM子は、旦那の友人が自宅に連れてきた別の男たちと3Pや4Pまですることがあると平気な顔で語ったのだ。
私は、嫉妬に狂いながらも興奮のあまり、さらに肉付けがよくなっていた100cm超えの白い尻を見ながら、YM子のアナルに精子をびゅるっびゅるっと放出した。
それが最後で、それ以降、YM子とは連絡が付かず、既に6年が経過している。
たぶんYM子は、いまも旦那以外の男達と淫蕩の日々を送っているに違いない。