後日談として。
60歳も半ばを過ぎた老人とは思えぬ頑強な肉体を誇っていた夫婦。
腕力も漲っていました。そんな二人に押さえ込まれたら抵抗の余地はありません。
あっという間に縛り上げられてしまう私でした。
農作業に追われていた老夫婦、朝も早くから山の向こうに陽が落ちるまで働いていました。
そんな時でも、私への調教は続けられていました。
後ろ手縛りから延びた縄尻を老女に持たれて、山里の畑に連れて行かれたのでした。
季節は夏の真っ盛り、立木の根元に縛り付けられて一日を過ごすのでした。
木陰の中とは言え、喉の渇きは避けられません。老夫婦に水が欲しいと訴えます。
与えられるものは、二人の小便でした。喉の渇きには敵いません、喉を鳴らして飲みました。
木陰に腰を下ろして昼食の握り飯を頬張る二人を横目にする私でした。
私には、何も与えられません。朝からお腹には何も入っていません。夕食迄のひもじっかたことは言うまでもありません。
老夫婦に対して恨みなど買ってはいない私なのに、何故にこの様な酷い目に合わされるのかと嘆きました。
未亡人からの言いつけなのでした。と同時に、加虐性癖を持っていた老夫婦なのでした。
畑への行き帰りの道では、猿轡も欠かさず噛まされていました。そして老女のパンティも被されての歩みでした。
朝から夕まで、猿轡と被せパンティは外されることはありませんでした。口が自由になる時は、飲尿での水分補給時だけでした。
来る日も来る日も続きました。老女からのパンティ淫臭責め。年齢的に言って、新陳代謝が衰えて来ている為、オリモノ臭は軽いものでした。
主に尿臭が大半を占めていました。
そんな責め調教が続いた数ヶ月後の事でした。その日、老夫婦は自宅に戻っていました。
ある人物の手によって助け出されたのでした。其れ等の理由を話すと複雑で長くなりますので割愛します。
ーー年ぶりの自由の身になった私でした。蔵から出て一目散に木戸を潜り、門を抜けた所で足が止まりました。
敷地内の門を出る手前に小さな建家がありました。老夫婦が住んでいる家であると、聞かされて知っていた私でした。
折角、救い出されて自由の身になれたにもかかわらず、ある想いに駆られて、踵を返してしまった私なのでした。
向かった先は老夫婦の下。家の雨戸を叩いた私なのでした。
夜更けの訪問者が私だと知ると、慌てた老夫婦。蔵の柱に厳重に縛り付けて置いた私が目の前に立っている。
近くに立て掛けてあった棍棒を手にして振り翳す老人。今日迄の恨みの仕返しに来たのだと思われても仕方ない。
「お爺さま、驚かしてすみません。大人しくしますので心配いりません」
私はそう言って、土間に正座をして、両腕を後ろ手に組んで見せたのでした。
どうか縛ってくださいと懇願したのでした。
何か魂胆が有るのではと、振り上げた棍棒はそのままの状態の老人。
「婆さん、油断をするなよ。縄だ、縄を持って来い」
老女に言い放ったのでした。奥の部屋から抱えるようにして縄の束を持って来た老女でした。
私の背後から、いいわね大人しくしてるのよ。そう言って私の手首に縄を巻き付けてきました。
手首から胸に、胸から首にと本縄掛けにいましめられた私でした。
つまり、老女から受ける縄目が忘れられずに、どうしょうもなく縛って欲しくて老女の下に舞い戻って来たのでした。
私を完全に縛り上げたのを見届けてた老人は棍棒を下ろしたのでした。
そして私が救い出されたわけを話して聞かせました。それには、当然に驚いた老夫婦でした。
そして、自由の身となった私が、敢えて老夫婦の下に戻って来た理由にも驚きを隠せませんでした。
お婆さまのパンティが欲しいのです。お婆さまの匂いが忘れられません。猿轡してください。そしてパンティを被せて下さい。
私の言葉を聞いて、老女の頬が弛んでいました。妻のしてやったりの表情を見た夫は、静かに頷いて見せたのでした。
「婆さんのパンティの調教で、こんな風になるんだなー。この子はもう婆さんの虜になってしまったんだな」
ここ迄、話して来て理解していただきたいのは、パンティ臭気調教によって奴隷化して行った私なのでした。
毎日を臭気に満ちた汚れたパンティをき当たり前の様に被され続けることによって、自らの顔が恰もパンティその物になった様な錯覚に陥るのでした。
老女が穿くパンティとなって日々を送る私であり続けたいと願う心が生まれてもおかしくありませんでした。
つまり、おばさん様のお話しの中の少年も三人姉妹のパンティの虜になってしまったものと考えられます。
後日談など有りましたら是非にお聞かせください。
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