零さん、こんばんは、遅くにすみません。
早速ですが、当時の私の心境をお話しさせて頂きます。
祖父に襲われ、体を汚され、奴隷の様に扱われて過ごす日々が続きました。
続いたと言っても、それはせいぜい一週間くらいだったでしょうか。
一週間を過ぎる頃には、私の体は既に縄に順応し始めて来ていました。
体というよりも、心がその方向に勝手に動き出して行ったと言う方が正しい言い方だと思います。
つまり、17歳といった言わば少女の若さである私。マゾヒズム等といった言葉さえも知らないでいた私。
あろう事か、祖父からの酷い乱暴を受けたにも関わらず、その恐怖に慄くこともなく、祖父の行為を受け入れつつあったのでした。
ある日の夕食での事でした。何時もは縛ったままでの食事なのでした。スプーンに取ったご飯を口元まで運んで食べさせてくれていた祖父なのでした。
が、この日に限っては、偶には自分の手で食べてみたいだろうと、手の縄を解いてくれたのでした。
久しぶりの両手の自由に喜んだ私でした。祖父は黙って納屋を出て行きました。私が逃げ出すことへの恐れなど、まるで感じていないようでした。
自信に満ち溢れた態度で私の側を離れて行きました。私の方も自由になった事で、これで此処から逃げ出せるなどと言った希望すら持ちませんでした。
黙々と食事を済ませた後に、ようやくに自分の置かれている立場に気づいたのでした。自由であった事にです。何気無しに周りを見た私の目に映ったものがありました。
納屋の隅に私の洋服が無造作に置かれていたのでした。その時初めて自由になったことを悟りました。祖父は私を解放してくれたのだという事をです。
これで家に帰れる、母にも会えるんだ、と言った喜びの感情も裏腹に、何故か得体の知れない寂しさに襲われたのでした。取り敢えず身支度を整えて出たのでした。
庭先に立ち尽くしていた私に、祖父からの声が降ってきました。優しい声でした。この声の持ち主が、私を襲い汚し、この一週間余りも私を弄んで来た老人なのかと、、
現実を受け止めるには、あまりにも残酷な時間でした。祖父は姿を見せずに、家の中から話して来ました。此処から少し下った山の中腹に小さな集落がある。
そこに知り合いの者が居るから訪ねて行きなさい。儂の名前を言えば、街迄送ってくれるから心配ないと話して来たのでした。今日迄の私に対して行って来た卑猥な事実。
それを私が話したとしたら只では済まない。犯罪者になる事は間違いない祖父の行動であった。にも関わらず、私を自由の身にするといった祖父の思いには首を捻った私なのでした。
その時でした、縁側の障子が開いたと同時に、バサッとある物が庭先に投げ出されたのでした。見ると其処には、使い込まれた荒縄と見覚えのある褌が地面に横たわっていました。
それを確認した途端、後頭部から背筋を伝わり尾槌骨にかけて電流が走り抜けたのでした。足はガクガクと震えて止まりません。全身の力が抜けて、その場にへたり込んでいる私が居ました。
何故に縄と褌を見せていながら、それ以上のことをしてくれないのか。逃げようとしている私を取り押さえて縛り上げてはくれないのか。あの日の様に馬乗りになって縄を掛けてはくれないのだろうか。
目の前に投げ出されたフンドシ。それで早く私の口を塞いでください。褌の猿轡を槌まして欲しいのです。虐めて、折檻してくださいと心の内で祖父に向けて放った言葉でした。
この日この時を境に、私はマゾヒズムの喜びに浸るようになったのでした。僅か十七歳の夏の日の事でした。ようやく姿を見せた祖父の前で、私は地べたに正座をして深々と頭を垂れたのでした。
額に土が付く程に、祖父の慰み者になる意思を顕にしたのでした。庭先で着ていた物の全てを脱ぎました。再びの全裸体で祖父からの縄を受けるのでした。
今だったら家に帰れるのだぞ。こんな辛い思いをしないで済むんだぞ。又儂の褌で猿轡を噛まされて過ごさなくてはならないんだぞ。それでも良いのか、今だったらまにあうぞ。
一旦縄を掛けたら、もう解く事は許されんぞ。夏休み中縛られ続けるんだぞ。祖父の言葉が頭上から降ってきました。その言葉で私の秘所は濡れていたことは確かでした。マゾヒストとしての第一歩を踏み出したのでした。
祖父に背中を見せて静かに両腕を背中に回した私でした。庭先でヒシヒシと縄を打たれる私でした。祖父の腕にも力が入っていたことを覚えています。今までにない縄の締め付けに「ウッ」と声を漏らした程でした。
祖父の匂いが染み込んだ褌をしっかりと噛まされた私。何故か涙が出て来て止まりませんでした。自身への喜びと母への詫びが入り混じった涙であったと思います。
ふと振り返ると、目の前には祖父の下半身がかりました。ステテコ一枚の祖父のいで立ち。夏の陽を受けたステテコの中央部はテントを張ったかのようにピンッと跳ね上がっていました。興奮しているであろう祖父が其処に居ました。
よーし納谷に戻っておま○こをしてやるぞ。今日は激しくなるからな、覚悟しておくんだぞ。満面の笑みを湛えて言葉にして来た祖父でした。猿轡の顔で小さく恥ずかしげに頷いた十七歳の夏の日の出来事でした。
その時でした、誰かの視線を感じた私は振り向いてみました。其処には布団の中から顔だけを覗かせた祖母の姿があったのでした。いくら寝たきりの老婆と言えども、同じ女の身なのです。恥ずかしさと同時に申し訳なさもありました。
それ等を知ってのことか知らずか、敢えて障子を開けておいたのか、祖父も残酷な人だと思いました。
その日は、まだ陽の高いうちからセックスを始めて、山の向こうに陽が隠れる迄祖父の男根に突き続けられました。アソコの感覚がなくなるほどでした。激しく体をぶつけ合った為に縄の緩みが生じる程の行為でした。
「お爺様」当時はその様に読んでいました。縄が緩んでいるみたいです、もっと強く縛り直してください。お願いした私でした。今までに経験したことのない辛い厳しい縄掛けが欲しいのです。
その夜の就寝縄は、「逆海老縛り」と言った生粋のマゾヒストでなければ耐えるに厳しい縛りでした。私が望むにはまだ早いものでした。縄の味を覚えた許りの子供の私には、地獄の縄修行になりました。
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