悲しいことですが、そうしたことは、この世では起きてしまう・・・・・・・・
この世は、理不尽で出来ている。そこには、それなりの意味があるが、ここではそれについて語るのは控えるとしましょう。
しかし、罪を犯した者は、例えこの世の法から逃れようと、その罪が不問に付されることはない。
「天網恢恢疎にして漏らさず」その罪は御見通し。
例え天網を掻い潜ったとしても、その罪は見逃された訳ではない。なぜなら、罪を犯した当人が己のしたことを忘れはしないし、その罪により傷ついた者も決して忘れはしないからだ。
また、この世の法も理不尽そのもの。なぜなら、その時の権力者が、自分の栄耀栄華が続くことを考え、法を作るからであり、自分を罰する法など最初から作らないからだ。大罪を隠蔽し、小罪を戒め、いかにも正義を叫んでいるに過ぎない。
それはともかく・・・彼らには、どのような罰が相応しいか!?
それは、彼らが犯した罪の重さを、彼ら自身に気付かせることです。そして、彼らはその罪の重さを自覚した時、己が行くべき地獄へと自ら堕ちて行く。
もちろん、中には図々しい者もいるでしょうが、そうした輩は、彼らの罪により傷ついた者により告発され、強制的に地獄へと堕ちて行く。
そして、罪の犠牲となってしまった者は、その溜飲を下げる為ではなく(恨みを晴らすことに固執することなく)、それを糧にして生きるしかない。憎悪の連鎖は、何一つとして有意義なものを生み出すことが無いから・・・・
あなた自身、このことで多くを学べたのであれば、そこにこそ価値であり、意味があったと言えるかもしれません。
※元投稿はこちら >>