2026/04/01 21:32:00
(BK9l.0UY)
三日程、家を留守にして居りました。
こんな、おばあちゃんでも、未だ需要があるものでして、二泊三日で、コッテリと虐められて参りました。
この歳になりますと、受ける縄目の厳しさには、お許しを乞うのですが、当然に許される筈もなく、雁字搦めに縄掛けされて涙した三日間でした。
さて、お話を進めて行くに連れて、何処から話していって良いものやらと苦慮して居ります。
この先の私の寿命を考えると、過ぎ去りし41年間といった歳月は、人生の半分近くを監禁生活に費やして来たものと思われます。
自分の意思とは無関係に無慈悲にも運命といった歯車が勝手に動き出したのでした。
大袈裟に申せば、死にも直面しました。そういった場面を何度も乗り越えて来た私です。強運だったのでしょう。
でもその強運が、更なる過酷な現実に私を引き戻したのでした。
ひとつの例を挙げます。初老男性に貸し出されて、北海道に渡りました。
最も寒さの厳しい土地柄でした。冬、吹雪襲い来る極寒の夜更け、全裸後手緊縛で庭の立木に縛りつけられて放置されました。
赤々の燃え盛る暖炉の部屋の内からご夫婦の笑顔が見えるのでした。
極限の寒さの中、30分もしない内に眠気が差してきました。
朦朧とする意識の中で、これで楽になれる、死ねるんだ、これであの辛い拷問から解き放たれる。
でも結局は、ギリギリのところで助け出されて、また過酷な調教の日々が待っていたのてした。
それからも何度となく死の淵を彷徨った経験があります。
その男性とは、二年間の人貸し契約という事でした。二年後には、元の旅館に戻されたのでした。
その他、東北、北陸、中部、山陰、山陽、四国、九州といった日本各地に貸し出されて来ました。
数え切れない、ありとあらゆる男達の精液を子宮内に受けて来ました。と、同時に口内でも受け止めて胃袋に収めて来ている私なのでした。
ここに、41年分の出来事を、どんなに集約して話しても、収まり切れません。
其方でお聞きしたい事を言って貰えますでしょうか。その方が私としても話し易いのですが。
どんな質問でも構いません。あらゆる内容のお話しでも、全てお答え致します。
こちらも先にお知らせしておいた方がよろしいと思います。
本当は伏せておくつもりでいたのですが、もう既に亡くなっている方達ですので時効という事で話します。
大学病院医師、政治家、法曹関係者、その他それなりに地位の高い方が挙って足を運んで来ていました。
当時、高級社会人と呼ばれていた方々です。所謂、上流階級の人達でした。
さて、話しは変わり、我が家へと移ります。
会社の上司が我が家を訪ねて、母に言った言葉がありました。
「娘さんは、会社でも何か悩んでいる様子でした。
今後私達、知り合いの弁護士さんとも相談して、娘さんを探しますので安心して下さい」
そう言って、母を安心させては、自分達の方へと引き込んでいったのでした。
そして遂には捕らえられてしまい、私同様の監禁生活を強いられてしまいました。
私同様に色々な地方に貸し出されて行きました。数年後の事でした。九州のある地方での事でした。其処で母は最期の時を迎えたのでした。
未だ59歳という若さでした。私は旅館で、その事実を聞かされたのでした。泣き崩れました。
母の元に行かせて欲しい、母に合わせて下さいと泣き叫んで懇願しました。身体を揺すり踠きました。然し、厳しい縄目から抜けだすことは、到底無理な抵抗でした。
男達の掛けた縄目は緩むどころか更に素肌を締め付けてきました。この時程、縛られている我が身の惨めさと悔しさを味わった事はなかったです。
母が死んだ時くらい休ませて欲しい。せめて今夜くらいは一人にしておいてください。必死の哀願も聞き入れては貰えませんでした。
泣き叫ぶ口には猿轡で固く覆われてしまいました。母親の死に目にも会えない(合わせて貰えない)親不孝者の私なのでした。
「我が儘を言わずに、、さぁ、お客様が待っているんだ。今日は三人を相手にして貰うからな」
縛られた体で部屋に連れ込まれた私の目に、太いガラスのシリンダーを持った男が、怪しく嗤って手招きをするのであった。
天井の梁からは二本のロープが間隔を空けて垂れていた。両足を片方づつ繋ぎ止める為のロープであることが直ぐにわかった。
そうしておいて浣腸することが一目瞭然であった。
こんな日にまでも浣腸されるのかと情け無くて仕方なかった。
母の死を知らされた悲しさの中、母の面影を抱きつつも、汚物を撒き散らす私がいた。
その後、後背位で男と繋がった私。女陰と肛門を交互に貫かれて昇天するに至った。
女の身とは浅はかなものである。母親の死に悲しみながらも、女の悦びには貪欲な私だったのでした。「女は灰まで」とは、よく言ったものです。
そうして私は、刻一刻とマゾヒストへの道をあゆんで行くほかなかったのでした。もうこの頃では、なまじ自由な手がモドカシクさえ思うようになっていました。
さて、母が眠るお寺は何処に有るのか、誰も教えてはくれませんでした。果たしてお墓は存在していたのか、それさえも分かりません。
母の死は永遠の闇に葬られたのでした。