私はバツイチで、今の妻が二人目の妻です。
最初の結婚は私26歳、元妻22歳でした。
私は、大学時代に、ある調教師と知り合いになり、その師匠が様々な女性をマゾ調教するアシスタントをしてきたせいで、Sになってしまいました。
大学卒業とともにその師匠から離れ、社会に出たのですが、同期に高卒の大人しい地味娘がいて、誰も注目しないのをいいことに誑かしました。
地味で、従順で、案の定苛められることに快感を覚える被虐性壁の持ち主でした。
18歳の処女を貰い、性感を開発し、羞恥快楽を植え付けて、被虐の性癖を引き延ばしました。
羞恥と快感は表裏一体であることを身体が覚えれば、恥辱=快楽となります。
M字開脚で恥裂を晒し、恥ずかしい穴をじっくり眺めるだけで、濡らすようになります。
こうして、自分が変態マゾで、私のせい奴隷であることを認識させるのです。
そして、私が支配者であり、自分が服従者である証を肉体に刻み込むのです。
それは、女性器に開けられた性器ピアスによって達成されるのです。
代表的なものに、クリピアス、ラビアピアスがあります。
クリにピアスを通すことで、装飾的なだけでなく、性的刺激を増大させます。
ラビアピアスは、恥唇を装飾的に飾り、変態的な演出を高めることで性的興奮を得られます。
性器ピアスは、性奴隷として、服従者であるマゾご主人様である支配者の性奴隷である証として性器ピアスを装着するのです。
クリピアスは、クリを包皮から剥きだし、時間をかけて肥田伊勢¥させる時間が必要です。
なので私は、私に処女を捧げた元妻に対しては、貞操を象徴させるためにラビアピアスを通しました。
ラビアピアスを両側の恥唇に装着して、施錠することで、私以外の男のイチモツを入れられなくなるのです。
21歳の元妻と一緒にクリニックに行き、左右のラビアにピアッシングしてもらいました。
そして、ラビアに小さな南京錠をつければ、恥唇が恥穴に蓋をするようになって、私以外の男は元妻の恥穴を使用不可になるのです。
まだ幼さを残した21歳の地味娘は、セックスなど知りません観たいなあどけない顔をしていましたが、股を開けばラビアピアスに小さな南京錠がぶら下がる変態マゾなのです。
「性器ピアスを見て満足されたご主人様を見ていると、私はご主人様だけのおチンポを受け入れる性奴隷になったことを感じます。私のオマンコは、ご主人様だけのものです。」
と目を潤ませて言ったので、私の妻の座に収めてやりました。
やっぱり、物理的にご主人様のモノになった証があるのは、マゾにとってり嬉しいことのようでした。
しかし、元妻の両親は、結婚をなかなか許してはくれず、揉めに揉めて、元妻はほぼ家出状態で私のアパートに転がり込んできました。
普段は普通の性生活ですが、金曜の夜と土曜日は、徹底的にマゾ調教をしました。
M字開脚で緊縛し、いつかはクリにもピアスを通すため、吸引機でクリを吸い上げながら、恥穴を凌辱しました。
電マにシリコン製のアタッチメントをつけて、恥穴内部を強力振動、見た目が地味な幼な妻は潮噴きで応えてくれました。
オマンコオマンコと連呼しながら、幼な妻はマゾの心を開花していきました。
しかし、結婚生活は3年で破綻、娘の身体に痣のようなものを見つけた義母が不振がり、里帰り中に入浴中の元妻の裸を見られ、緊縛痕と性器ピアスを見られてしまいました。
「うちの娘に何しやがる!」
と義父が激怒、殴るけるの暴行を受け、義実家を追い出され、騒ぎを聞きつけた近所の人が止めに入ってくれましたが、私は病院送りとなりました。
義父は暴行で逮捕、書類送検されて職を失いました。
私と元妻は離婚、理由は私のDVにされてしまいました。
退院してアパートに戻ると、元妻の荷物は無くなっていました。
暫く体育座りしてボーっとしていました。
気が付くと夜になってて真っ暗、でも、元妻がいない部屋は売¥虚しいだけで、何もする気が起きませんでした。
そして、出社すると、元妻は仕事を辞めていました。
私は、何もかも嫌になって、私も仕事を辞めて東京を去り、30歳で田舎へ帰りました。
私は、田舎に帰って東京時代と同じ職種に就きましたが、収入は7割ほどに落ちました。
田舎で私を待っててくれたのは、2歳年下の幼馴染の友子でした。
友子もあまり目立つタイプではなく、ずっと田舎にいるので垢抜けないけれど、整った顔立ちで素材は良いのですが、着飾る術を知らない女でした。
彼女は、私の結婚を知り、相当落ち込んだようですが、28歳まで独身でいた彼女は、私が離婚して戻ると知ったらとても喜んだそうです。
すぐに飛んでやってきて、屈託のない笑顔で寄り添ってくれました。
その笑顔は、アラサーには見えない子供っぽい笑顔でした。
私は、暫く両親や兄一家とともに実家にいましたが、比較的市街地に近いところにアパートを借りました。
すると、幼馴染が頻繁にやってきて、土曜は泊まりたがりました。
「俺たち、もう子供じゃないんだから、男と女が夜一緒はマズいだろ。」
「お兄・・・昔みたいに一緒にお風呂入って、お医者さんごっこしたいよ・・・」
と言われ、それは幼馴染なりのせい一杯の告白だったんだと受け止め、その夜、抱きました。
28歳の幼馴染には、驚いたことに処女膜が存在しました。
処女喪失から8か月後、私31歳、幼馴染29歳で再婚しました。
再婚して今年で丁度10年、現在は小2の娘と3人家族になっています。
そして、私と幼馴染の妻は、週末の性生活に大人のお医者さんごっこを取り入れ、クリ診察で包茎治療と称し、クリを吸引しました。
5年前、妻のクリは完全に包皮から剥きだし、真っ赤に肥大して、そこにンクリピアスを通しました。、
クリピアスは、セックスの時に擦れて気持ち良さが倍増、妻は毎回逝きまくりです。
しかし、前にも書いたとおり、快感の目的もありますが、自分が変態マゾでご主人様の性奴隷だという証を刻み込んだのです。
妻は、小学生の頃から私の前でパンツを脱いで恥裂を晒し、恥穴やクリを弄られていました。
それは、おもちゃの医療器具などで弄るお医者さんごっこでしたが、年端もいかない女の子であっても、恥裂を開かれて恥穴を晒すのは恥ずかしかったと思います。
あの時、妻が濡れていたか、感じていたかは記憶がありませんが、していたことは親に見られてはいけない秘め事であったことは認識していました。
そんな二人が、時を超えて夫婦になれば、大人のお医者さんごっこをしないわけがありませんから、妻の女性器が肉体改造され、クリピアスが光っていても不思議ではないのです。
さて、今回このような文章をしたためたのには訳があります。
先日、私の実家に私宛のレターパックが届きました。
それは、12年前に別れた元妻の母親からのもので、元妻の訃報が記されておりました。
元妻は、別れた後も私との思い出ばかり話していて、再婚することも無く、次第に無気力になり、鬱になり、自ら人生の幕を下ろしたと書いてありました。
小さな箱が同封してあり、開けると、2つのピアスと小さな南京錠が入っていました。
私は、妻に見つからないように、レターパックを持って外出しました。
そして、川岸で空を見上げて、元妻にお別れを言いました。
本当に愛していた元妻・・・愛情の表現が義父母には伝わらなかったけれど、サドとマゾは、確かな信頼関係が無ければ成り立たない関係なのです。
愛マゾが求めている行為を理解し、サド側が超えてはならないラインを守ってくれるという信頼、これが無ければ、マゾ調教は出来ないのです。
私は、もう記憶も薄れてきた元妻の顔を思い出して、元妻を幸せにできなかったことを詫びて、それを最後のお別れにして、ピアスと南京錠は川に思い切り投げ捨てました。
「さよなら・・・俺は、守らなければならない家族があるんだ。お前との思い出は、小箱に入れて、南京錠をかけてしまっておくよ・・・」
そう言って、元妻の母親から来たレターパックを川岸で燃やしました。
立ち上ってゆく煙の中に、元津のあどけない笑顔が見え、そして空に消えていきました。
遠い昔に愛し合った元妻の思い出を、ここに記します。