諦めと絶望の中で迎えた肛門セックス。
初めての体験。苦痛と恐怖のシーツを涙で濡らして耐えた冬のよ夜。
何度もの逃亡の失敗を重ねて、その度に厳しい折檻を加えられて号泣した私でした。
死ぬのではないのかと思うほどの鞭打ち。股間の粘膜に垂らされる蝋涙。
乳首に打たれる針の鋭さ。水を張った湯船に頭から浸けられての水責め。
雪の降りしきる庭の木立に全裸後ろ手に縛り付けられて過ごした寒い夜。
何も悪いことをしていないのに、何故にこんな辛い目に遭わなければならないのか。
「いっそ殺して、、」と何度義父に哀願したことでしょう。
入浴を口実に、裏木戸からの逃亡。あと一歩のところで捕らえられてしまいました。
柱を背負って縛り付けられ、首縄まで打たれて身の動きを封じられて、バリカンを使って丸坊主にされたりもしました。
余りの悔しさ、屈辱、惨めさ悲しさで、足下に落ちてゆく髪の毛を見ながら失神してしまった私でした。
それからというもの、入浴の際にも後ろ手の縄は解かれることはなくなりました。
縄付き入浴の毎日になりました。後ろ手緊縛はもとより、猿轡を許されるのは、前回にも話しましたが、
朝夕の奉仕の時だけです。
正確には日に三度のフェラチオを義務付けられていました。
それも、その時間が来ると、私の方から義父にその事を告げて知らせるのでした。
猿轡の状態で仕草態度をもって義父に奉仕の時間である事を告げるのでした。
こんな悔しいことが他にあるでしょうか。
決して行いたくもないフェラチオ奉仕を私自らに告げなければならないのでした。
許されるものであったら、義父の男性器を噛み切ってやりたい衝動に駆られました。
しかし、用意周到な義父は、私の思いを察知していたのでしょう。
フェラチオを強制しておきながらも、私の口には開口具が嵌め込まれるのでした。
悔しさ惨めさに涙が頬を伝います。そこまでして奉仕をさせる義父の責め。
硬い肉の棒で喉の奥を突かれる苦しさ。許しを乞うても声にならない。
口内に放出される精液。その精液をすべて飲み込ませる為に、直後に小水を流し込まれるのでした。
いつでも肛門を使えるようにと、浣腸は日常的に行われました。
その後に、肛門拡張器で括約筋を鍛えられたりと地獄の日がーー年間も続きはした。
ある日のこと、槌まされた猿轡から異様な匂いがしました。
「どうだ儂の匂いは、、お前のこれからの猿轡は、この汚れた褌を噛ませることにした」
口中に広がるオシッコの味とアンモニア臭。とうとう私はここまで堕とされたのだ。
と、嘆き悲しみました。この世に於いて、私がどんな悪行をしたのでしょう。なんの報いなのでしょう。
ごく当たり前の日常を夫と送っていた。
誰世間に後ろ指を指されることもなく、穏やかであった日常生活の中に、突如現れた義父といった存在に全てを奪われてしまった私。
自ら命を絶って、この現実から逃れたいと思っても、それさえも許されない拘束の身。言葉すら発せられない口枷の日々。
不本意であっても、義父に身を委ねて行かなければ生きては行けなかったのでした。
食事は後ろ手緊縛の状態で、床の上に置かれたお皿に入れられた義父の食べ残しでした。
這いつくばるようにしてお皿に顔を突っ込むようにして貪りました。食事は日に一度と決められていました。
毎日が空腹で仕方ありませんでした。飲み水は与えられませんでした。代わりに、喉を通る物は義父のオシッコのみでした。
たとえ日に一度であっても口枷を外されるのは、この時をおいて他にありません。
この時とばかりに、死にたいです。死なせて下さい。言葉にした私なのでした。
「そうか、そんなに死にたいのか、、だったら望み通りにしてやる」
その日から三日間、雁字搦めに縛り上げられた私は、奥の間の狭い部屋に押し込められて過ごすはめとなったのでした。
季節は夏の真っ只中、汗と猿轡で口中の水分は取られます。空腹もさることながら、喉の渇きに苦しみました。
三日目の朝、様子を見に、義父が現れました。手にした丼には、黄色い液体が満たされていました。それが何であるかは直ぐに分かりました。
「まだ死にたいか、、、」
義父の冷たく言い放った言葉が私を支配してきました。
人間、死にたいと思っても、そう簡単に死ねるものではない。
特に断食させられて死に至るのには、苦しい過程があることを身をもって知らされた私なのでした。
私は最後の力を振り絞って首を横に振って、生きていたい事を精一杯に示しました。
「分かればいいんだ、、お前は儂無しでは生きて行けないことが分かったんだな」
言いながら、猿轡を解いてくれた義父でした。
「分かりました。今まで我が儘を言って申し訳ありませんでした。許してください。これからも可愛がって下さい」
自分でも、思ってもいなかった言葉があとから後から出てきました。それ程に厳しく見に堪えた折檻なのでした。
「お義父さま、、どうかその手にしているものを飲ませてください」
喉の渇きが限界に来ていた私なのでした。
「はっきりと言いなさい、、」
「はい、お義父さまのオシッコを飲ませてください、お願い致します」
義父に身体を抱えられるようにして、丼の縁を唇にあてがわれて、黄色い液体を流し込まれて行きました。
簡単な食事も与えられて一息つきました。
そして自ら求めなければならない物へのお願いをするのでした。
「ご馳走さまでした。それでは、お義父さまのお褌での猿轡をお願い致します。とっても汚れたものを槌まして下さい」
冷静にここまで言える私になっていました。
「お前もだいぶ素直になってきたな。
実は、お前のことを、儂の旧友等に話して聞かせたら、是非に抱きたい。縄を掛けて責めてみたいと、言ってきた。
金銭までも払うからと言う始末でな、、それで儂も納得した。
いいか、これからは儂だけではなく、その者達の為にも尽すんだ。儂のために稼ぐんだぞ」
私は、身震いしながらも静かにうなずくほかありませんでした。
この時点で、とうとう売春婦まで堕ちました。
義父は「縛られ女郎」と言って、私を蔑み、喜んでいました。
何処の誰とも知れない老人の一夜の奴隷として弄ばれる私なのでした。
毎日のように、義父の招いた老人の相手をさせられました。そこで恐れていた事が現実となったのでした。
妊娠といった最悪の事態でした。
相手の男は、産婦人科の医師であったことが幸いして、その医師の病院でひっそりと堕胎手術が行われたのでした。
五人から六人の男達が入れ替わり立ち替わり毎日のように私のもとに来ました。
その時の猿轡は、各々の男たちが当日締め込んできた褌が用いられたのでした。
その男の異臭を嗅がされながら、縦に横にと体を転がされて、犯されるのでした。
男と向き合うようにして抱かれ、男のかいた胡座の中に尻を落として固められるのでした。
男の起立したものが私の肛門に突き刺さっていたのでした。
もうこの頃には、抗う気力も無く、後ろ手に縛られた身を、その男の胸板に頬をつけ、身をあずけていました。
猿轡から漂ってくる男の異臭もが愛おしくさえ感じていました。肛門愛の悦びを覚えた私は、自ら腰を振っていました。
そして、褌の猿轡の内から声にならない声で、もっと虐めて、もっと恥ずかしい目に合わせて、もっと辛い拷問を、、、
と、叫んでいたものでした。
女とは弱い動物です。所詮、男の方には敵わない生き物であることを覚らされました。
長々と失礼いたいました。
今回は2回目の投稿で御座います。
先に投稿したものと合わせて読んでいただけましたら、今回迄の流れが分かって頂けるものと思われます。
興味のある方は開いてみてくださいませ。