突然に失礼いたします。
この季節になると思い出してしまいます。
よろしかったら、私の独り言を聞いてやって下さい。
もう20年も前のことです。
当26歳で結婚した私でした。夫との楽しい暮らしに毎日が希望に満ちていました。
少し離れた所に、夫の父親が住んでいした。
義父は、連れ合いをなくしての一人暮らしでした。
以上が簡単な登場人物です。
結婚一年目のこと、出張で夫が家を空けていた時でした。
突然に我が家に押し入って来た義父にお腹を殴られ、馬乗りになられました。
用意して来ていた紐で手足を縛られて自由を失いました。
何重もの厳しい猿轡も噛まされて畳の上に転がされて夜の来るのを待っていた義父なのでした。
夜も更けて、義父に担がれて義父の家に連れ込まれたのでした。
当時60を過ぎているとはいえ体力のある義父でした。
そうしてその日から、義父による監禁緊縛暴行の日が始まったのでした。
来る日も来る日も縛り上げられた体を犯され続けました。
もちろん声を立てられないようにと猿轡を噛まされ続けられました。
猿轡を外されるのは、食事と歯磨きの時くらいでした。
それと、朝昼晩の義父へのフェラチオの時間でした。
最初の頃は抵抗もしましたが、厳しい縛りに猿轡の身に、鞭打ち、蝋燭で責めたてられて、私の反抗心も徐々に衰えて行きました。
泣いて過ごす毎日を送っていました。
私のことで、父親に相談にと、夫は何度か義父の家へとやって来ました。
半年近くが経ち、妻の蒸発ということで決着したのでした。
そんな親子二人のやり取りを襖ひとつ隔てた隣りの部屋で聞かされた私なのでした。
「助けて、、此処に居るのよ、、縛られていて動けないの、、口も塞がれて言葉もだせないの、、」
「胸の内で叫んでも夫の耳にまで届く筈もありません。
悔しくて惨めで、涙で畳を濡らしました。
その日に夫が訪ねて来ることを知らされていた義父は、あろうことか私の股間にデイルドウを装着しておいたのでした。
そんな義父の暴挙に対して、反抗的な態度を取れば、鞭蝋燭は元より、その頃には針責め水責めも加わっていました。
恐怖に打ちひしがれた私は、次第に義父の奴隷と化して行ったのでした。
それから数ヶ月後のことでした。義父の家に夫が来ることになりました。
いつものように手足を厳重に縛り終えたのちこちらも厳しい猿轡を噛ませられて、居間の隣り部屋に縛り置かれた私なのでした。
この日の縄掛けは、逆海老縛りといった厳しいものでした。まったくの身動きもなりませんでした。
夫は、女の人を連れ立ってやって来たのでした。
再婚することを義父に告げに来たのでした。
楽しそうな夫と女性の会話に混じって、義父のおめでとうの言葉が、私の胸を抉りました。
そんな三人の未来に向けた会話を耳しながら、厳しく縛られた体とキツく噛まされた猿轡を奥歯で噛み締めて泣きじゃくりました。
そして私は諦めました。覚りました。もう元には戻れないことを。義父に身を預けて
生きて行がなければならないことを。
その夜、いつもより激しい義父の愛撫を受ける私でした。芋虫のように雁字搦めに縄掛けされた体を義父にあずけた私でした。
私の体を強く抱きしめた義父は、耳元で囁きました。
ずっと拒否してきていた私でしたが、この夜、初めて義父
の要求を受け入れるべく、猿轡の顔を静かに縦に振りました。
生まれて初めての肛門セックスでした。
つまらないお話しをここまで聞いてくださって恐縮に存じます。