昨年定年退職して以降、株の配当と友人の仕事を手伝って暮らしてきたが、故郷の旧友から手を貸してほしいと連絡があり、長年暮らした東京を離れ帰郷することになった。
離婚して、元女房と子供が出て行って30年近くになるが、一度もこの部屋を訪ねてきたこともなく、多分、もう顔を合わせても気づかないほど忘却している。
でも、部屋を出ていくにあたり荷物を整理していると、元女房や子供を思い出す品々が出てきて、遠い昔を懐かしみながらも軋む胸に、忘れたつもりでも、まだ心の片隅に情が残っていることに気づいた。
悲喜こもごもの荷造りの最中、押し入れの奥から煎餅の空き缶が出てきて、開けてみるとDVD数枚と茶封筒が入っていた。
これは、もう二十数年前の動画、俺の離婚原因になった不倫相手の猥褻映像で、十数年前にデジタルHi8からDVDにダビングしたものだ。
彼女は勤め先のOLで、俺より一回り年下、大学出て入社した新人の時に俺が面倒を見てたら男女の関係になって、離婚に至った。
DVDに動画が残っているのは、離婚後、俺が自棄になって彼女をSM調教したものだが、久々に観たら、画像は現代の4Kレベルと比べると悪いが、ノートパソコンで見るには十分だった。
画面の彼女は20代後半、高岡早紀に似た別嬪さんで、縄でM字開脚に緊縛されていた。
両乳首とクリにシルバーのピアスが通され、そこにアクセサリーの小さな鈴がぶら下がっていた。
固定されたビデオカメラの前で、仁王立ちの俺のチンポに吸いつきバキュームフェラ、乳首とクリを貫通したピアスに付けた鈴を鳴らしながら咥えていた。
その後、バイブでマンコを責めまくられてガクガク痙攣、潮噴いて白目剥いて気絶した。
俺は、離婚して独りになった鬱憤を彼女に向けていた。
彼女は、俺にさえ巡り合わなければ、持ち前の器量の良さでいい男と結婚できたに違いなかった。
この動画は、乳首とクリにピアスを通した別嬪が、中年チンポで突かれてイキまくる様子が記録されていた。
それはAVをも超えるハードな内容で、高岡早紀に呑別嬪がここまで発狂寸前のセックスを披露するのには驚かされるものだった。
プレイによって、乳首とクリのピアスには、鈴のほか、細い鎖でピアス同士が繋がってたり、その鎖をツンツン引っ張られて苦悶したり、変態がそこに極まっていた。
アップで映されたマンコは、荒淫で紫に変色し左右非対称に伸びて歪み、吸い出されて真っ赤に肥大して包皮から完全に剥け切ったクリにピアスがぶら下がり、とても20代の嫁入り前の別嬪さんのマンコには見えなかった。
前から後ろから中年生チンポにマンコを突かれて、別嬪顔をアヘ顔に歪ませて、ヒーヒー言いながら涎を垂らしてヨガりまくっていた。
いくら変態ドМ女でも、ここまで堕ちた女はなかなかいないと思わせる。
マンコをチンポで突かれているときは、髪を振り乱して喘ぎ続けてて、快感を貪り続けているから、チンポをキューキュー締めつけてきていたのを思い出す。
女として最も恥ずかしいマンコにクリピアスを光らせているが、彼女がそこまで受け入れたということは、それは完全に自分が俺の所有物であると認識していたということだ。
これは、男として支配欲を著しく満たす。
クリをバキューマーで吸引して肥大させると、二度と元の可憐なクリには戻らない。
包皮から飛び出て、まるで小さなチンポのように真っ赤に腫れたクリは、不可逆的な行為を受け入れたという意味では、心身ともに捧げた証でもsる。
まして、その変態化したクリに穴をあけてピアスを通すなどという行為は、マゾ性奴であることを誓ったことを身体に刻み込んだわけで、男の嗜虐心をそそる。
クリを肥大させるには、専用の吸引機を使う。
俺が使ったのは、クリバキューマーというもので、継続して使用すると、毎回一定時間で一時的に肥大したクリが元に戻っていくが、やがて少しずつクリが元に戻らなくなっていく。
そして、二度と皮の中に戻ることがなくなり、クンニのたびに直接舌で刺激されて女は発狂し、あっという間にクリイキするようになる。
更に、肥大したクリにピアスを通し、女性器にマゾの証を刻印し、俺の性奴と誓ったのだ。
うら若きy明利前の別嬪ОLが、肥大したクリにやや大きめのリングピアスを通し、そのピアスをローターで振動させればすぐに潮を噴いて白目を?く。
更に洗濯ばさみで挟み、場オブの振動を与えれば発狂する。
肥大クリに通したリングピアスに紐を通し、重りを垂らすと涙目で痙攣する。
指で挟んでこねくり回し、指先ではじきなど、肥大したクリは責めのバリエーションが増える。
そして、その責めに淫らに喘ぐ姿を撮影したのが例のDVDだった。
一通り懐かしい性奴のDVDを見終えたら、俺はそれらのDVDを割って処分した。
彼女が性奴として俺の元にいたのは31歳まで、実に8年の男女関係のうち半分が性奴生活だった。
その美しくも淫らな変態行為は、動画撮影だけでなく、デジカメでも撮影され、某素人投稿エロ雑誌にも掲載されていた。
しかし、その雑誌掲載が彼女の両親の目に留まり、彼女は仕事を辞めさせられ、俺の元から連れ去られた。
彼女の訃報を知ったのは、その5年後だった。
彼女は俺の元に何度も戻ろうとしては両親に捕まり、実家に軟禁状態に置かれた。
それほど、俺の調教は彼女の被虐心と従属心を強くさせていたようだった。
「専属マゾ奴隷には、いつしていただけますか?」
と、俺との結婚を夢見ていた彼女だったが、俺は、再婚するつもりがなかったなら、彼女が連れ去られた時、失った性奴への喪失感とともに、どこかホッとしたのも事実だった。
だから、彼女が自ら人生の幕引きをしたと聞いたときは、自分を責め、そして心から詫びた。
そして、DVDを封印し、煎餅の缶に収めた。
俺は間もなくこの街を出て、東京を離れて故郷に帰る。
おふくろが亡くなって以降、長らく放置してあった実家を修繕したから、そこで余生を過ごそう。
旧友は仕事の相棒を失って、俺を頼ってきたのだから、身体が利くうちは力になるつもりだ。
貯えも株などの資産もあるから働かなくても食ってはいけるが、これはいつか施設におっせわにる時に使おうと思っている。
そして、もう、どこでどんな暮らしをしているかさえ分からない元女房や子供の幸せを祈り、性奴だった亡き彼女の冥福を願って、静かに暮らそう。
東京と、忘れかけていた昔の家族にお別れを言おう。