躾の厳しい、プレッシャーの多い家で育ちました。
父は開業医、母は弁護士でした。
家にはお手伝いさんや、働きに来られている看護師さんが日中いらっしゃり、大人から「さん付け」で呼ばれる日々でした。
習い事も多く、バレエ、剣道、水泳、ピアノ、書道、合唱、塾・・・。あまり友人と遊ぶ時間もなかったように思います。
兄は優秀で、名の知れた大学へ進み、医者になりました。
姉も優秀で、医者ではありませんが薬剤師の道へ進みました。
ところがわたしは不出来でして、そこそこの成績ではあったものの、兄や姉の進んだところには落ち、習い事でも兄や姉には勝てず、結局燻ったままやりたいことも見つからず、大学院へ、そして今に至ります。
前置きが長くなってしまいましたが、率直に言いますと、わたしはマゾであると思います。
昔から、負けるということに悔しさを感じながらも安心感がありました。
また、両親や習い事の先生からも厳しく叱咤されることで、見捨てられていないという安堵があったように思います。時には習い事先で、平手打ちやお尻叩き、延々と一人で鏡に向かい歌を歌わされることもありました。
バレエでは、兄や姉、同年代の子との差を指摘され、嘲笑されました。
剣道では、年下の子がレギュラーになるなか、わたしは補欠としてその子のサポートをいたしました。荷物運びや、タオルの受け渡し、スコアの確認・・・。
そうした中で、徐々にその地位に愛着が湧いてきたのかもしれません。
しかし、大学院へ進んでから、こういった地位にはなかなか浸ることが出来ませんでした。
周りは、こんなわたしをエリート扱いしますし、嘲笑や罵倒、ましてや虐げられることなど皆無です。
一人暮らしの部屋に戻り、SMサイトの掲示板の書き込みや精神的に追い込まれるようなSMの動画を見て、自分と重ね合わせておりました。
ご主人様に拾っていただくまで、ヘビーノーズや脅迫スイートルームをはじめとする動画を見ながら毎晩オナニーに耽っておりました。
ご主人様に見つけていただいたのは、1年前のことでございます。
研究室の先生が行っているセミナーに参加しました。
電車を乗り継いでいく距離でしたので、会場近くのホテルを予約していたのですが、そのホテルにはセミナー参加者の方が他にも何名かいらして、夕食を一緒にとることになりました。
翌日は帰るだけでしたので、お酒も入り、普段よりハメを外していたかもしれません。
話の流れで、ぽろっと、自らがマゾであることを零してしまったのです。
SかMか、といった軽い話でしたので、そこまで本気で受け止められることはありませんでしたが、ご主人様だけは違いました。
夕食の席が解散となった後、わたしを「もう一軒行きましょう」とお誘いくださったのです。
ご主人様とわたし以外の方は、ご家庭のある方や恋人のいらっしゃる方だったようで、「じゃあ、お二人で楽しんで」と帰っていかれました。
二軒目のお店で、わたしは洗いざらい、過去のことやずっと妄想してきたこと、現在のことを話してしまいました。
ご主人様には、隠し事ができないと感じたのです。
ひとしきり話したあと、ご主人様は「じゃあ、少し試してみますか?」と一言。
ところがその日は何もなく、連絡先を交換し合っただけで別々の部屋に別れ、夜があけました。
拍子抜けしていたところに、翌朝LINEが入りました。
「帰りの電車は、昨日のセミナーで着ていたスーツ。下着はなし」
たったこれだけの文章でしたが、興奮してしまいました。
私服で帰るつもりでいたわたしは、仕舞いこんだスーツを引っ張り出し、真夏なのにジャケットを羽織って乳首浮きの対策をし、ノーパンノーブラで電車を乗り継ぎ部屋まで帰ったのです。
長くなってしまいましたので、続きは次回書かせていただきます。