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SM調教体験告白 RSS icon

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2020/11/15 09:38:17 (5kA9jemo)
あやめといいます。実は私、元々男の子でしたが、数年前に付き合っていた彼女から
女体化改造されたのです。きっかけはいつものSMプレイの最中に受けたアナル調教でした。
アナルに指を入れられ前立腺をイジられたとき、思わず出た「アッ」という声が自分でもビックリ
するくらい女の子みたいな声だったのです。「あら、カワイイ声ね。もう一回ね。ほらッ」
「アン!」「もう一回」「アン!」「カワイイ。女の子とやってるみたい」それ以降、女装調教を
されるようになりました。
 そのうち、女装だけでは物足りなくなったのか、ある日、「ねえ、あなたいっそのこと
女の子になっちゃいなさいよ。女体化改造手術をしてくれる人、知ってるから」「えっ、ちょっとそれは」
いいから女の子になりなさい。女王様の命令が聞けないの?」
 こうして半ば無理やり手術を受けさせられたのです。顔の整形、ヒゲと首から下の体毛の永久脱毛、女性ホルモン
注入による豊胸、ウエストを細くするためのコルセットによる矯正、男性器の除去、これらの
施術で女の子にされたのです。ただ、ホルモン剤の注入は一回だけでは終わらず、その後も定期的に注入を受け、
少しづつおっぱいを大きくしていきました。
 こうして1年ちょっと経つと巨乳と言えるほどのおっぱいが出来上がり、ウエストも細くなり、お尻や太ももにも肉が
ついてムッチリとした女の子らしい体になりました。もう、男の子だった頃の面影は全く残っていません。完全に
女の子になったのです。そのため、勤めていた会社を辞めるハメになりましたが、
今では風俗店で働いています。失ったおちんちんと引き換えに得た大きなおっぱいで
パイズリをしたり、フェラチオをしたりして男の人たちを喜ばせる毎日を送っています。
 なお、余談ですが、私を女の子にした彼女とは今でも交流があり、よく「レズプレイ(?)」を
しています。
861
2020/11/15 10:27:28 (Zgeqc3ot)
私は、高校生の時に御主人様の調教ガ始まり
私の最終願望ガかなってフリーにされました。
私は、中学生の頃から自分の意思で女装を始めて
それまでは、二人の姉のお下がり着せられてました。
両親の稼ぎの関係で少しでも節約の為に私に姉たちのお下がりの女物を着せてたのに
中学生になって男物が買われて着せられたけど
着心地の悪さに耐えられなくてせめて家にいる時は、お下がりを着せてたけど
それだけでは、収まらなくて気持も女で成長してた私
それで女装するのと姉たちのように胸が欲しくて中学生でホルモンまで摂取を始めてしまってました。
いろいろ調べてると運良く安くホルモンが手に入りました。
まだ成長過程の私が早くからホルモンを取り出したから
ホルモンの効き目で望んでた胸だけでなく
女性化の進みも良くて一年で姉たちみたいに成長してた。
長男なのに姉たちと同じ姉妹になってた。
もともと小さかった男のシンボルも一段と小さくなってしまってた。
私の変化に驚いて病院で検査を受けさせられた。
ホルモン異常と判断されてた。
ホルモンをとってるのは、黙ってた。
男性ホルモンをとらされるのは、拒否してた私
中学卒業の頃には、もう男の機能が失われてた。
精神も女になってしまってた私に両親も諦めてしまった。
そしてこんな私でも入学できる高校に進学して
男に抱かれることになり
そんな時に御主人様に出会って抱かれた。
その頃は、まだ性同一性障害とか知られて無くて性転換がまともに出来なかったのを
御主人様との契りで調教の最終で手術をすることに
アレが小さいから調教での露出で他の男をだませてた。
段階で去勢されてホルモンから更年期の婦人薬でも維持できるようになった。
御主人様のおかげで姉たちより美人になっていってた。
成人した時には、もう女としての調教が終わり
手術を受ける事になって
性転換出来て私の処女は、御主人様に
フリーなる前にソープで働いたりストリップ劇場で踊り子も経験させてくれた。
御主人様にとって私の調教の楽しみが無くなり
私をフリーにすると言われた。


862

最愛なるご主人様へ

投稿者:槌槌 ◆cDpa9tZlkI
削除依頼
2020/07/10 20:37:57 (8JvhDC.C)
お目汚しとは存じますが、懺悔させてください。

私は、ご主人様から逃げてしまいました…
私は罪深き奴隷です。本当に申し訳ありませんでした…

ご主人様と出会ったのはつい数日前、私が掲示板にご主人様を募集する旨を投稿した事でした。ご主人様を募集したとはいえ、私はキスすらまだな処女で、確かに虐められたい、という気持ちはありましたが正直恐怖感も強くて、あらかじめNGなプレイを私の想像の及ぶ範囲内でしたが、なるべく細かく記しました。

・社会的立場を損なう恐れのあるもの
・痛すぎるもの(針刺し、過剰なスパンキング等)
・汚いもの(スカトロ)
・苦しすぎるもの(過剰な首締め等)

上記に加え、何もわからないので、まずはゆっくりお話ししたいこと、大人の余裕のある方に色々と教えていただきたいこと、あくまでも未経験なのでゆっくりと進めていただきたいことを記しました。

ご主人様はその投稿を見てご連絡をくださって、少し話しているうちになんとなく優しそうな方だな、この方ならゆっくりと優しく教えてくださるかな、と思い、少し安心しました。
ご主人様はその日の夜から早速通話をしながら感度を高めてみよう、とおっしゃられて、私は少し戸惑いましたが、奴隷になるとはそういうことなのだろうと自分を納得させ、受け入れました。私は自分でオナニーをしてもイったことがないと申告していたので、きっと最初から激しくされたりたくさんのことを求められる事はないと思いました。

想像していた通り、ご主人様は最初、とても優しくて、ゆっくり私の気持ちを昂らせてくださって、そのときの私はもうご主人様に任せよう、と思っていました。ですが段々とクリトリスや乳首を強く捻り、引っ張り、爪を立てて強く刺激することを求められるようになりました。そしてそのまま何度もイくことも。正直痛くて堪らなかったですが、やはり私はご主人様を募集しただけあってドMだったのでしょう。何度もイきました。

何度も何度もクリトリスと乳首でイかされたあと、今度はおまんこの中に指を入れ、中のザラザラとしたところを擦るように命じられました。ぐちゃぐちゃに濡れた中を指で擦るのは堪らなく気持ちよくて、ここでも何度も何度もイきました。手を止めることを許されず、頭がおかしくなるくらいにイかされました。

何度もおまんこを指でかき回してイった後、ご主人様はペンをおまんこの中に入れて奥でイくようにと私に命じました。処女の私は指よりも硬いペンを入れる事は凄く不安で怖くて、さっきまでグショグショに愛液が溢れていたのに、愛液がまったく出なくなってしまって、ペンをおまんこへ入れても正直とても痛かったです。でも、焦った頭ではそこで拒否して仕舞えば失望されると、ひどく責められてしまうと思い、何もかも怖くて不安だったけれど必死に奥まで入れました。奥を刺激してイくように命じられても痛くて、乳首やクリトリスと違って気持ち良さなんて一切なかったのですが、でも命令だからイかなきゃって必死に姿を映していないことをいいことにクリトリスを弄ってイきました。

ご主人様はたくさんイった私を褒めてくださって、それで正解だったのだと、その時は少し安心しました。私が余韻から落ち着くまでらご主人様はゆっくりお話ししてくださって、だんだんと落ち着いてきた頃、ご主人様の奴隷になることを誓わされ、少し時間がかかってもいいからと、奴隷契約書を作成することを望まれました。私はその時、奴隷契約者がどんなものなのか一切分からなくて、ご主人様に喜んで貰うためだから、と少し時間も貰えるということもあって作成することをお約束しました。

私はその日だけでご主人様に身体が作り変えられた感じはしましたり今までオナニーで気持ちよくならなかったことが嘘のように、もっともっとと求めるようになってしまいました。次の日、ご主人様のことを考えながら日中を過ごした後、その日も通話をしようとご主人様は仰ってくださって、その時に通話までに奴隷契約書を完成させるようにと命じられました。

私はわからないながらも調べて奴隷契約書を作成しようと、調べました。そうして出てきた言葉を見て、私は怖くなってご主人様から逃げてしまったのです。
私は奴隷契約書が一切破棄できないことを、一生を縛る可能性すらあるものだということを知りませんでした。そして初心者は数年かかったとしても良いのだと、長い間一緒にいて十分にお互いを信頼しあってから作成するのでいいのだということも知りました。私は必死に考えました。私に一生ものになるかもしれない契約書を作成する事はできるのかと。
結果、私はできなくて、怖くて堪らなくて、逃げてしまいました。私はご主人様のことを何も知らないことに気付いたのです。私が教えて欲しいとお願いすれば良かったのかもしれませんが、ご主人様となる方にそう言ったことを聞いてもいいのかもわからず、ただただ受け身になってしまって、安易に奴隷になる、とご主人様に通話にて誓ってしまいました。奴隷になるということがどういうことなのか、まだ理解していなかったにも関わらずです。

私の安易な行動が悪いのです。安易に何もかも受け入れようとしてしまったことが悪いのです。ですが、どうしても怖くて、不安で、苦しくて、ご飯もまともに喉を通らなくて、頭の中がぐちゃぐちゃになって、果てには逃げてしまいました…
使用していたアプリも退会して削除しました。
せめて、真摯に謝罪するべきだったと、後悔していますが、ただ逃げる事でいっぱいで何も言わずに逃げてしまいました。

ごめんなさい、ごめんなさい。
本当に一瞬の時だったけれど、私はちゃんとご主人様のことは好きでした。ちゃんとご主人様の望む奴隷になれるように頑張ると誓った言葉は嘘ではありませんでした。でも、怖さが、不安感が勝ってしまって、何も言わずに逃げてしまいました。申し訳ありませんでした。心の弱かった私を、どうか許してください。ご主人様にふさわしい奴隷が現れることを、ご主人様の幸せを、心からお祈りしています。
863
2020/11/05 21:28:29 (VXQBFANI)
結婚7年目の主婦です。
主人に薦められてSMを始めてから5年になります。
主人の調教を受けるのが、私の日課です。
自宅には、私専用の調教ルームが用意されてあり、そこで、毎日、厳しい調教が行われます。
調教を受けるときは、私は、妻としてでなく、奴隷として扱われます。
そのために、奴隷用の調教着を着せられて、首輪をはめられて鎖につながれるのです。
週末には、時間をかけて、三角木馬の調教が行われます。
調教用の三角木馬にまたがらされ、逃げられないように、両足に足枷をはめられ、木馬と鎖でつながれます。
両手にも手枷もはめられて、木馬の頭の部分と鎖でつながれます。
首輪も木馬の頭の部分と鎖でつながれて、完成です。
あとは、主人からたっぷりと凌辱されるのを待つだけです。
調教が終わるまで、主人の前で、脚を大きく開いて木馬にまたがる恥ずかしい姿をさらしていなければなりません。
「さあ、しばらく、このままでいるんだ。」
「ああ、いやっ・・」
調教ルームは鏡張りになっていて、恥ずかしい自分の姿が映っています。
主人は、私をたっぷりと視姦して辱めます。
鎖につながれて奴隷になっていると、甘い感覚に身を包まれ、くすぐったいような快感に浸らされます。
「ああ、私・・」
「どうだ、恥ずかしいか?こんなことをされて。」
主人は、私の太ももを撫で、乳首にキスをして、私の身体を調べていきます。
大好きな主人の手で調教用の木馬に架けられ、身体を調べ上げられるのです。
鎖につながれて、身体を調べられているときが、とても幸せです。
私の身体は、あなたのものなの。
だから、鎖につないで、しっかりと点検してちょうだい・・
主人は、背中から腰を触って、おしりのまんなかに指を這わせ、アナルに指を入れます。
「ああん・・」
身をよじらせると、手枷と足枷の鎖がじゃらりと、いやらしい音を立てます。
この音を聞くと、自分が鎖につながれた奴隷であることを実感できます。
首輪と手枷、足枷をはめられて、鎖につながれている自分の姿が鏡に映るのを見て、
被虐感に包まれて、「あはあん、あはあん・・」と甘い喘ぎ声を出してしまいます。
「かわいいよ、みき。」
「うれしい・・」
これが、私たち夫婦の間の聖なる儀式なのです。
私は、主人への生贄となり、しっかりと食べてもらわなければなりません。
そのために浣腸をされて、身体の中まできれいにしておくのです。
私のために、1回で1リットルくらい入るような特製の浣腸器が用意されていて、
大量の浣腸液が大きな洗面器の中で調合されます。
主人は、浣腸器で洗面器の中の浣腸液をかきまぜ、吸い上げると、
私のアナルにあてて、ぎゅっと差し込みます。
「あ、ああ・・」
「さあ、みき、我慢するんだ。」
主人は、容赦なくピストンを押して、浣腸液を私の中に注入します。
「ああ、あああ、ああああああ・・」
腸の中を浣腸液で満たされていく間、私は、首輪、手枷、足枷につながれた鎖をじゃらじゃら鳴らして、
奴隷のみじめさをたっぷりと味わいます。
奴隷は、ご主人様が満足するまで浣腸液を入れなければならないのです。
「もう・・もう・・・」
「いっぱいか?」
私は、たっぷりと浣腸液を入れされ、アナルに栓をされて、
もとどおり、性器を木馬に密着させるように命じられます。
「苦しい・・」
「大丈夫だ、こうすれば。」
「いやあ・・」
主人は、木馬に備え付けた調教用の鞭を外して、手に持ちます。
「こうすれば、浣腸の苦しみを忘れられるよ。」
「あああ・・」
私は、調教用の鞭で背中を打たれ、その痛みで、浣腸の苦しみから解放されます。
「ああああああ・・」
これが、浣腸の苦しみから解放するための愛の鞭なのです。
「ああ、ああ、ああ、ああ・・」
主人に鞭で打たれるたびに、露出した乳房が揺れ、じゃらり、じゃらりと鎖の音がします。
私は、調教を受けている自分を鏡でしっかりと見ておかなければなりません。
「う、うう・・」
しっかりと我慢をさせられ、浣腸液が腸の中で暴れまわった後、
首輪、手枷、足枷が外され、三角木馬から降ろされます。
それからSM調教用のトイレで排泄をするのです。
このトイレは、ガラス張りになっていて、排泄する姿が外から丸見えになります。
便器にも手枷、足枷が取り付けてあって、今度は、便器と鎖でつながれます。
ガラスの扉が閉じられ、個室に入った状態になりますが、外からは丸見えです。
「さあ、出していいよ。」
「うん・・」
手枷、足枷のついた便器に鎖でつながれ、女として見られたくない排泄の姿を
主人にじっくりと鑑賞されます。
「あ、いや・・」
ずぶ、ずぶと音を立てて、排泄物が出てきます。
鎖につながれたまま排泄をするみじめさは格別です。
「すごくいやらしい音を立てているよ」
「みないで・・」
排泄を鑑賞するための特別のトイレに入れられ、便器と鎖につながれて、
羞恥心と便意を戦わせながら、そして、羞恥が破られていく。
主人は、私のために、こんな残酷な道具まで考えついたのです。
「あ、ああ、ああ・・」
私を辱めるための最高の道具。
主人の目の前で、耐えられなくなって排泄をする私・・
最初にこれに入れられたときは、つらくて泣いてしまいました。
凌辱され、屈従し、奴隷に堕ちていく自分がとても悲しかったのです。
でも、愛する主人の奴隷になるのなら、そんな人生もいいのかなと、
いまは、すべてを受け入れて、すすんで主人の奴隷になる毎日です。
とりとめのない告白で申し訳ございません。
864
2020/11/03 19:28:01 (ziND0JgL)
私は大学3年から16年前までの8年間、縄師である調教師の元で撮影アシスタントとして働いていました。
そして私の妻は、その調教師の奴隷の一人です。
22年前、高校を出たばかりの妻は、ご両親の工場の借金のカタに、この調教師の元へ売られてきました。
当時、バツイチ40歳、寝取られ壁のあるご主人がいる人妻32歳、OL24歳、そして後の妻の4人が調教師の専属奴隷でした。

当時、妻はまず地元企業の社長に処女を売り、県議に3か月間凌辱され、その後調教師がもらい受けたのです。
それだけ需要があった妻は、かなりの上玉で、セーラー服を着せられると実に清純そうな美少女になりました。
ビデオカメラを構える私の前で、妻がセーラー服のまま目隠しをされて緊縛され、M字開脚でオマンコを晒しました。
調教師はクリトリスを器具で剥き、舌の先でクリトリスを舐めあげました。
じっくりと時間をかけて焦らされながら、クリトリスを愛撫されていました。
調教師は執拗にザラザラした舌でクリトリスを舐め回すと、クリトリスに吸いつきました。

その後、調教師は玩具の注射器のような器具の先端を勃起したクリトリスに皮を剥き上げるように被せ、ゆっくりと吸い上げました。
ツバが潤滑剤の代わりをして、密着したシリンダーの先端をクリトリスが膨張していきました。
真っ赤に充血したクリトリスが震えていました。
目隠しをされたセーラー服美少女は、何をされているか全くわかっていません。
十数分後、シリンダーを外しても、充血して肥大して飛び出た状態を保っていました。

調教師は、飛び出たクリトリスを舌先で舐めてやると、清純そうなセーラー服美少女があっという間に逝ってしまいました。
その様子は、ほかの3人の奴隷でも見てきましたが、見た目が年端も行かない女の子に見えたセーラー服美少女の恥辱の姿は、味わったことの無い興奮でした。
それらの動画、静止画は出版されていました。

調教師は、女性を辱めることに特化し、自らのペニスで女性を犯すことをしませんでした。
それはもっぱら私の役どころで、恥辱凌辱を受けて困憊した女性を犯していました。
私は、調教師の年齢を知りませんでしたが、アラ還っぽい感じでしたから、或いはもう役に立たなかったのかもしれません。
それは、私が仕えて8年したら、仕事を引退してしまったことからも想像に容易いです。
年齢的なものもあったでしょうが、16年前辺りからデジタル化の波が押し寄せ、紙ベースの写真本は売れなくなりはじめたことも一因かと思います。

当時私は29歳、妻は25歳でした。
私は、暫くは撮りためたものの整理と出版社への引き渡し業務があったため、調教師が引退した後も1年間、残務整理をしていました。
他の3人の奴隷は、一人ひとり帰る場所がありましたが、住み込みで調教師の世話をしていた妻は行くあてがなく、私のアパートに転がり込んだのです。
私は残務整理をしながら妻を凌辱して性欲処理しつつ、故郷に職を求めていました。

私は30歳で故郷に職を見つけて、東京を去って帰京する時、妻に身の振り方を訪ねました。
「お嫁さんにしていただくことは・・・できませんか?19歳から7年間、抱かれてたら私・・・このままお別れするのは切なくて・・・」
26歳になっていた妻ですが、見た目はまるで女子大生、それも新入生じゃないかというほど幼い清純顔をしていました。
私は、妻を連れて帰郷し、実家のそばにあった亡くなった祖父母が住んでいた家をリフォームして住み始めました。
妻を見た両親と兄夫婦は、そのイタイケな美貌に驚いていました。
昔、納屋だった部屋は妻の調教部屋にしました。

妻を緊縛し、羞恥のM時開脚にして、長きに亘る調教ですっかり皮が剥けて肥大しっぱなしのクリトリスを重点的に責めました。
舌先で舐めたり、指でこね回したり、クリトリス責めに悶える可愛い妻を楽しみました。
もう、肥大してミニペニスのような妻のクリトリスなので、クンニというよりフェラと言った方がいい感じでした。
肥大クリトリスを指でシコシコ、ちゅぱちゅぱフェラ、絶頂への階段を登る美しい新妻。
「あっ!あっ!ダメ~~あ~~あ~~イクッ!イキそう~~~」
清純ないつもの妻とは思えぬ下品な喘ぎで、縄を食い込ませました。
身をよじるようにして、逃げようとしても緊縛されていて無理なのです。
ここでピンクローターのお出ましです。
「んん~~~あぁ~~~!!いやあぁぁぁぁぁ」
ピュピュピュっと潮を噴いて、白目を剥いて気絶してしまいました。

ここから、緊縛を解いて生ペニスで愛してあげるのです。
もう、全委sんが性感帯になっている妻は、挿入した瞬間から感じまくりの逝きまくり、清純な乙女はどこへやら、淫らな淫婦に堕ちていくのです。
そんな妻は、27歳と30歳の時に娘を産みました。
第一子出産の折、アナルを開発して禁欲をせずに乗り切りました。

そして昨年、約1年間の闘病生活の末、この世を去ったのです。
数奇な運命に翻弄された妻の40年の人生でしたが、
「あなた・・・私ね、あなたと出会えて、幸せでした・・・」
そう言って微笑んだ翌日、息を引き取りました。

間もなく妻の一周忌がやってきます。
この1年、妻の恥辱の記録は一度も見返すことはありませんでした。
だから、一周忌を前にすべて焼却処分して、ここに、妻の数奇な人生を書き記します。
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