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SM調教体験告白 RSS icon

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削除依頼
2024/02/14 10:57:57 (w.POwUec)
40代のM男です。
20代前半の頃、アルバイトで知り合った40代のご夫婦様に五年近く調教されました。男女問わず奉仕行い聖水など含め皆様が想像するようなSMは一通り経験したと思います。
奥様には奴隷らしく身体を改造して頂きました。全身の毛はもちろん禁止でしたし、鼻、乳首、性器の順でピアスもつけて頂きました。そして一部外国の風習である足の人差し指へtattooを入れて頂きました。
ご主人様夫婦が転勤され調教は終了しましたが、プレー以外は旅行に行ったりカラオケに行ったりと、ほんとの息子のように接して頂きました。
九州の田舎に住んでいるため、出会い自体が奇跡的な事だと感じます。今でも性器2本貫通してるピアスや両人差し指にあるマゾ、奴隷のtattooの刺青を見るとあの楽しかった頃を思い出します。
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2024/02/12 09:59:52 (pvqM21V.)
私49、娘22、娘の夫34です。
10年以上前に、義息とはセフレでした。
私の浮気です。
夫とはできないようなSMプレイをたくさんしていました。露出や複数も何度もしていました。堕胎も1度。
娘が結婚相手として連れてきた時は、心臓止まるかと思いました。
当たり前のように関係は復活。
娘と入籍して1時間もしないうちに、私は種付けされました。結婚して初めての種付けが娘ではなく私だったのが、正直、嬉しかったです。
娘もマゾだそうです。でも娘は奴隷であり妻。対して私は、娘には可哀想で出来ない事でも遠慮なく出来る、奴隷ですらない、ただの玩具だそうです。それを嬉しく思ってしまっています。
私の夫はすでに他界しているで、当時よりもさらに何も躊躇されないでしょう。
そのうち、娘にも伝えるといっています。娘とはすでに複数プレイをしているそうなので、問題ないそうです。
義息の好みに合わせて、髪は金色に近いブラウンに染めました。この歳でミニを履かされています。脱毛も始めました。まだ耳だけですが、ピアスも開けました。
今年のうちに刺青かタトゥーを入れるそうです。
写真や動画も撮影して、顔出し名前出しでネットに出すとも言われています。その時は、笑ってやってください。よろしくお願いします。
137
2024/02/11 23:05:26 (S2kibzfN)
最初は、うつ伏せで普通のマッサージをタオル越しにしてもらいました。次に仰向けで足のマッサージ、そのあと、またうつ伏せで、オイルマッサージをしてもらいました。フェザータッチになってきてからはずっと声を我慢しながらモジモジしてました。女の子もだんだん楽しくなってきたのか、こちらの感じてる様子を伺いながらかなり際どいところをマッサージし始めました。その後、仰向けになり、オイルを上半身に垂らされて、たまたま指先が乳首を掠れた時に、声が出てしまいました。声を出したらダメだからって言われて、そこから両乳首を執拗に触られて、ずっと我慢していたら、だんだん感覚だけ何度も行くようになり、たくさん脳イキをしてました。その後、四つん這いのまま、乳首とペニクリをたくさん触られて、ちょっと強めに握られたり、つねられたりした時に、腰が勝手に何度もビクビクしてしまいました。声を出さないようにって仰向けにされて、足を自分の手で持たされて、お尻とペニクリを両方マッサージしれて何度もおかしくなりそうって言ったんだけど、なんで勝手にいくの?ダメでしょ?って、さらにタマタマを握られて、何度も何度もお尻やペニクリをビンタされて
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2024/02/11 12:21:06 (.BjyjyfW)
拷問女子、変わった名前だと思われるでしょう。
今から12年位前のお話しになります。
とあることから、ある男性に囚われて酷い拷問を受けました。
囚われるに至った経緯には、自業自得というところもあったので仕方ないものでした。
当時【投稿パラダイス】と言ったサイトがありました。
覚えていらっしゃる方も居るのではないでしょうか。
そこに投稿していた私でした。辛い過酷な拷問の現状を話させてもらっていました。
人間扱いされない拷問の数々に、読まれた方々からの沢山の心配と励ましのメッセージを頂きました。
凡そ2~3ヶ月間、両手が自由になった時には、投稿を続けました。
そうこうしているうちに、「投稿パラダイス」のサイトが閉じられてしまいました。
その後の私は、何人もの男性の間を引き回されました。所謂転売でした。
男達は、拷問ビデオ映像を録画販売して、利益を上げていました。
凡そ三年近くも続いた拷問生活でした。拷問ビデオ撮りの日々か続きました。
その後、とある理由で救い出された私でした。あの時の事を思い出すと恐怖で体が竦んでしまいます。
体の傷は癒えましたが、心の傷は癒えることはありません。
自由の身となり、人並みの生活に身を委ねる事が出来る様になったいまこそ。
あの忌まわしい体験の全てを語ることによって、現在のトラウマから脱することが出来たらとの願いで投稿させて頂きました。
【投稿パラダイス】をご覧になっていた方が居られましたら幸いに思います。
そして『拷問女子』を目にしている方がいらっしゃいましたら奇跡に思います。
過酷な拷問に泣いた日々。過ぎ去りし思い出。懐かしさも交えてお話ししたいと思っております。
古いお話しで申し訳ありません。
当時、読まれていた方も含めて、私といった人間人に興味のある方。
そして、『拷問』をこよなく愛している方からのお便りをお待ちしています。

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2024/02/10 19:22:13 (obg0Ze2c)
小5のときに両親を事故で亡くした私は、両親がカトリックだったこともあって、修道院に預けられました。
私は男の子だったこともあり、面倒をみてくれるシスターの部屋からは裏口からしか出入りを許されず、表立ったところへの侵入は許されておりませんでした。
従って、修道院に男の子がいるということは知られておらず、修道女ですら限られた人しか私の存在を知りませんでした。
学校は、修道院が経営する短大付属小学校へ通学していました。

私は、シスターにとても可愛がられ、シスターと一緒にお風呂に入り、就寝時はシスターに抱っこされて寝ていました。
支所の頃は、ペットのように可愛がられていましたが、私が中学生になると、可愛がられ方が変わってきました。
思春期に入り、陰毛が生えてきても一緒にお風呂に入るシスターに、いつものように体を洗われるのですが、陰茎の荒い方がしつこくなりました。
中学生が、陰茎の皮附剥くように洗われれば、勃起してしまいます。
私は、勃起の意味も分からず、陰茎を洗われてビクビクしていました。

中一の私は、裸のシスターと裸で寝ることも珍しくなく、当時13歳の私と40歳のシスターは母子でもおかしくない年齢差、でも、裸で寝るとその雰囲気は異様でした。
まだ精通してない陰茎を握られ、目の前にはシスターの乳房、興奮します。
そして、中一の秋頃、お風呂で陰茎を洗われているとき、内股がザワザワしてきて、
「ああ、ああ、なんか変・・・」
私の勃起した陰茎は、精液をダラダラと漏らしました。
私が精通した瞬間でした。

それからというもの、毎晩お風呂で陰茎を洗われたのですが、扱くのではなく、亀頭を念入りに洗われて、最後扱かれて射精していました。
シスターは、扱いてしまうとあっけなく射精してしまう男の整理を理解してて、亀頭だけの刺激だと、快感だけを享受して、なかなか射精に至れないことを知っていました。
仮性包茎の皮を剥かれ、恥垢を洗うという名分のもと、少年がウケていたのは亀頭責めでした。
亀頭を席巻まみれでヌルヌルと洗われ、快感に身悶えする中学生、勃起も射精の意味も分からず、でも、シスターにされている気持ちいい仕打ちは、イケナイことだとは薄々感じていました。
イケナイことをシスターと共有している、そんな興奮もありました。

やがて、陰茎洗いはステップアップして、陰茎を石鹸まみれの手ぬぐいで洗われるようになり、そのざらつく刺激に苦悶しました。
お風呂の椅子に座った私を後ろから抱き抱えるようにして亀頭を洗われるから、逃げることもできず、されるがままに悶えました。
お風呂で射精したにもかかわらず、お風呂から上がっても、私の勃起は治まらず、シスターに、
「発情しすぎのイケナイおチンチンね。」
と言われ、ベッドに仰向けにされた私は、シスターのお世話をしてる若い修道女二人に私の両手を押さえつけさせました。

私の両足の上に乗ったシスターは、
「発情しすぎたおチンチンは、お仕置きが必要ですね。」
と言うと、切ったストッキング片の両端を持って、テンションを架けながら勃起した私の亀頭に被せると、亀頭がストッキングにめり込ませた状態で、ストッキングを左右に動かしました。
亀頭に強烈な刺激が走り、仰け反りながら、
「ああ~~ああ~~ああ~~ああ~~ああ~~」
と悶絶させられました。

快感と苦痛が入り混じる初めて味わう刺激で、腰がガクガク痙攣して、ハアハアと息が荒くなっていきました。
気持ち良すぎて発狂する、そんな刺激でした。
「どう?ピュッピュしたい?」
シスターは射精をピュッピュと言ってました。
頷くとシスターはストッキングを外し、中学生の陰茎とは思えぬくらい真っ赤に充血してあまりの果敢に震える陰茎を扱きました。
お風呂でsy精してるにもかかわらず、ドっピュー――っと大量に射精しました。

しかも、射精してしまった陰茎を、シスターは扱き続けるのです。
射精後の陰茎は超敏感、私はヒィーヒィーと発狂させられました。
若い修道女は、生唾を飲んでその光景を見ていました。
私の陰茎は萎えることを許されず、三度四度と射精を繰り返しては、扱かれ続けました。
やがて勃起しなくなり、
「やっとおりこうさんなおチンチンになったわね。」
と言って、許してくれました。

少年にとっては強烈なマゾ体験、勃起させると、あの恥辱の超快感を味わえると体が覚えてしまい、私はシスターに見せつけるように勃起させ、連日ストッキングで発狂しました。
そんな私は、中三になってすぐ、シスターの世話をしている若い修道女で童貞を卒業しました。
毎晩、シスターと寝ているベッドで修道女と生セックス、連日ストッキングで鍛えられた私の陰茎は、中学生とは思えぬ持久力を発揮しました。
毎晩イキ狂う修道女の子宮に、ドクドク射精していました。
そして、修道女は夏の頃、修道院から姿を消しました。

そうやって、私は中三時代、何人かの若い修道女と連日中出しセックスをしたのですが、決まってその修道女は、やがて修道院から居なくなりました。
中学を卒業した私は、修道院を出ました。
そして、系列のカトリック系私立共学高校の理事長のお宅へ預けられました。
修道院が経営する短大付属学校は、中学校までが共学で、高校は女子高でした。
だから、高校へは系列共学高校の理事長の家から通いました。
理事超は50代熟女、教育ママみたいなメガネをかけてて、毎晩陰茎を弄ばれました。
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