ナンネットID のアカウントをお持ちですか? ログイン ログイン

SM調教体験告白 RSS icon

1 ... 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 ... 200
2025/02/05 08:58:38 (a29I4Wn7)
まず最初に先週末の土曜日に彼(ペット)と二人で野外露出してきたコトを御報告します。高速道路沿いの小道で彼にイタズラした後、フェンスに寄りかかってバックでセックスしてきました。今日は彼にアナルフィスト初貫通した時の想い出話をします。

M男募集の掲示板に応募してきた彼・・・全裸で正座して、私の脚の指を丁寧に舐めてくれました。仰向けに寝かして顔面騎乗で強制クンニ、御褒美は私の唾で亀頭を手コキして寸止めを繰り返すと女の子みたいに身をくねらせて悶えます。彼を四つん這いにしてお尻を丸見えにしてアナル遊びに移りました。
独りでオナニーしていたアナルは軟らかくて、指数本まではすんなりと入って彼も気持ち良さそう。全部の指を更に奥まで挿入しようとしますが、一番太い親指付け根あたりがなかなか入りません。少し痛いはずですが、痛さが気持ち良いのか腰を動かし、私の手首を飲み込もうと身体全体を前後に動かします。
突然「ん゙~」って叫びながら私の手首がズボッと貫通!
中で動かすとオチンチンからトロトロと透明な液体が糸を引いて溢れます。
それ以来、彼はアナルフィストの虜になり、プロフィールの写メは私の友達にフィスト中の様子を撮ってもらったものです。回数を繰り返すたびに彼の中が緩くなって、今では中でグー・パーできるようになりました。凄く悦んでくれてます。
71
2025/02/05 00:48:46 (KjAFyqQJ)
私は52歳の熟女です、旦那とは半年に一度あるかないか位なのですがパート先で知り合った年下の彼と肉体関係になってます。
最初の頃は正直そんなに感じなかったのですが回数を重ねてそれにバイブや電マを使われてしまい段々と感じてしまう身体に‥
目隠しとか手足の束縛とかも‥
72
2025/02/04 11:42:16 (wuFvtcA/)
 半月くらい前に「滝行」をさせられました。といってもSM調教の一環で、山奥に連れて行かれて滝の下の岩の上に全裸で正座させられて滝に打たれる、というものです。私のご主人様(女性なのですが)はこのような野外でのハード調教がお好きな方で、昨年は近くの海水浴場でマイクロビキニを着せられての寒中水泳、一昨年は大雪の中、ビキニ姿で運動公園のジョギングコースを走らされました。来年は何をさせられるのか、今から不安です。
73

(無題)

投稿者:幸子
削除依頼
2025/02/02 19:43:20 (8MaPkJot)
最初のお話しだけでお終いにするつもりでいたのですが、
嫁入り当初のお話を、といったリクエストに躊躇しつつも、当時の事を思い浮かべましたところ、
懐かしさも手伝って、再度お話をさせていただきます。

嫁入りと言いましても、結婚式を挙げる訳でもなく、お役所で籍を入れただけで妻となったのでした。
当日、我が家から夫となった男性宅へと、家を後にしたのでした。
当日、父親は仕事の都合で会社に行き家を空けていました。
が、父親が居なかったことが私にとっては幸いなことでした。
父親と言っても男性であることには違いありません。
とても父親に見せられる姿ではありませんでしたから、そこは救われた思いでした。

母親一人、見送る中での嫁入りでした。夫から言われてはいたものの、花嫁衣装は縄である。
と言い聞かされていました。母親は、それだけは許してあげて下さい。
無垢の娘が、それでは余りにも可哀想です。家を出て行く迄は普通の状態で連れて行って下さい。
母親の必死の頼みも虚しく、無慈悲にも母親の見ている前で縄を打たれた私なのでした。

「罪人ではあるまいに、、」と嘆き悲しんだ母親の言葉が、今でも耳に残っています。
まるで昨日のことの様に耳に襲ってきます。
あまりの無残さに、この娘をお嫁には出しません。このお話しは今日この場で無かった事にして下さい。
そう叫んだ母親でした。その言葉を制したのはこの私でした。
父の会社を倒産させてはならない。私達家族だけならまだしも、それなりの数の従業員がいる。
私が犠牲になっても、父と会社、そして従業員の家族を露頭に迷わせるわけには行かないと思ったのでした。

夫に言われるままに洋服を脱ぎました。母の涙の訴えで、下着だけは許して貰いました。
パンティ1枚の裸体となった私は、徐ろに両手を背中の上で組みました。
これも予め夫から言われていたことでしたので従ったまでのことです。
素肌にザラついた縄が容赦なく絡んで来ました。そしてあろうことか猿轡迄も嚙まされだのでした。

声を封じられといったことよりも、グッと頬に食い入る布の厳しさに打ちひしがれた私でした。
何よりも、そんな姿を母親に見せたこと、見せなければならないことに、意識が遠のいてゆくのでした。
「ドサッ」大きな衝撃を受けた母親が私よりも先に畳の上に倒れ込んでしまいました。
失神した母親をその場に置いて、私は夫に縄尻を取られ引き立てられて歩まされるのでした。
玄関先の止められてあった黒光のした車の後部座席に乗せられたのでした。

24年間住み慣れた我が家を後にしたのでした。もう二度と帰ってくることのない我が家。
母親の事が心配で車の中からガラス越しに家の方を振り返りながら泣きました。
後からあとから溢れ出してくる涙は噛まされていた猿轡に吸い取られて行きました。

これが私の嫁入りの状況でした。
24年前の雲ひとつない晴れ渡った美しい空の青さを今でも忘れることが出来ません。

投稿、こちらの文章に関しては読み返しをしていません。
誤字脱字等が有るかも知れませんが悪しからずご了承下さい。
74
削除依頼
2025/02/02 11:39:52 (8MaPkJot)
父親の会社の経営不振。持ち堪える体力も尽きて倒産寸前。
在る投資家の方からの救いの手が差し伸べられて、会社は存続する事が出来たのでした。
以前より我が家に出入りして来ていた初老の男性でした。
奥さんを亡くされて独り身の方。何時も私を見据える視線に何か不安を感じていたのでした。
以前より、私を嫁に欲しいと両親に申し出ていた投資家の男性なのでした。
勿論、両親も私も断り続けていたのでした。
然し、会社経営の危機に際して、父親の苦労を見るに見兼ねた私は結婚の申し出を承諾せざるを得ませんでした。

当時24歳の私。夫となるお相手は62歳。私の父親よりも年上の男性でした。
両親と私が、男性との歳の差だけが結婚反対の理由であったのではありません。
家に訪問して来ては、遠慮会釈なく露骨な話題を放って来るのでした。
聞かされる話しに、両親も私も顔から火の出る程の恥ずかしさに悩まされたものでした。

そして嫁入り、覚悟はしていたと言いえ、現実の厳しさに泣き崩れた私でした。
家で聞かされていた通りの現実が、其処にはありました。
全裸で縛られての床入りでした。初めての男性を受け入れる私には地獄の夜となりました。
その日から20年が瞬く間に過ぎて行きました。40歳も半ばになった私です。

過去の厳しい調教と躾けに、涙の無い日はありませんでした。折檻の日々に泣いた私でした。
でも、被虐の歓び、女の悦びを教えてくださった夫にいまでは感謝しています。
いまでも毎夜、縄付きの床入りで狂わされています。
体力の衰えが目立ってきた夫。代わりに淫指の責めに「堪忍して」と言葉を漏らしている私です。
その後は、心を込めてのお口のご奉仕で、お返しして、喜んで頂いています。
女の幸福とは、その男性に縛られて独占される喜びの中にあるものだと気付きました。
75
1 ... 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 ... 200
スレッド投稿フォーム
名前
トリップ()
E-mail
 ※任意
タイトル
本文

投稿文に自動改行は行われません、適宜改行を行ってください。 # タグ使用不可
画像認証

上に表示されている文字を半角英数字で入力してください。
◇掲示板利用規定 〔必ずお読み下さい〕
動画掲示板
画像で見せたい女
その他の新着投稿
人気の話題・ネタ
ナンネット人気カテゴリ
information

ご支援ありがとうございます。ナンネットはプレミアム会員様のご支援に支えられております。