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SM調教体験告白 RSS icon

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削除依頼
2025/06/14 16:45:38 (6S5XVLjn)
以前より目を付けていた女を酒で酔わせて乱暴する。
部屋にビデオを設置して全てを録画した。
録画ビデオで脅迫して、毎日のように私の家へと通わせてセックス漬けにした。
奴隷調教を目指して全裸に厳しい縄掛けを施して嬲った。
俺から逃げ出す様なことがあれば、この録画をお前の夫の元に送る。
これで女は私に逆らう事は出来なくなった。
女には夫と子供が二人居る既婚者なのでそれなりの気を使った。
身体に縄痕が残らないようにする為に麻縄等は避けて繋ぎ合わせた紐を使用した。
女はパート職員。大した時給は貰っていなかった。
その収入で家計を助けていた。女は欠かさずに私の命令に従って家に通って来た。
その僅かなパート賃金を差し出させた。私の小遣いにする為であった。
女は家計の遣り繰りの為のお金なので、許して欲しいと懇願してきたが私は認めなかった。
その為、女は何処かでその分の金銭を捻出していたと思う。
多分、体を売っていのだろう。女はそれを口には出さなかった。
私への金銭の上納を日に日に増やしていった。
一言の抗議もしないで、私の要求した金額をきちんと手渡して来た。
かなりの無理をして得ている様であった。所謂、立ちんぼで稼いでいた。
その頃には、パートタイマーを止めて、それ一本で生計を賄っていた。
それと私への上納金である。女は、日に日に奴隷的存在になっていった。
縛り上げた状態での口奉仕は欠かさずに義務付けていた。
ふぐり(垂れ袋)を含ませた状態で口中で玉を転がさせる。
舌での肛門清掃にかなりの時間を費やす。最後に小便を飲ませる。
そのどれもに素直に従える女へと変貌させた。
そして私は女に向けてこう言い放った。
亭主と別れて俺の奴隷となってこの家で暮らすんだ。
暫くの沈黙の後、女は静かに頷いた。女の顔を覗いてみた。
涙が頬を伝い正座した太腿を濡らしていた。
厳しく縛った後ろ手の手首。ぎゅっと握り締めた両手の拳が震えていた。
女は夫と子供を捨てて私の元に来た。
更なる厳しい奴隷調教を受ける為に家を出たのであった。
毎日の立ちんぼで三万円から五万の日銭を稼いで来て全て私に差し出して来る。
金銭を渡し終えた女は、そそくさと衣服を脱ぎ、全裸になって私に背を向ける。
静かに両腕を背中の中程で手首を交差させて、私からの縄掛けを待つ姿勢をとる。
もう家族の目を気にする事もなくたった女への縄掛けは麻縄に変わった。
もう私は何処へゆく所もございません。此処に置いてもらうほかありません。
一生懸命働いてお金を稼いで参ります。貴方が喜んでくださる奴隷となって一生尽くします。
どうか捨てないで下さい。後ろ手に縛られた身で深々と頭を下げる女。額を畳に擦り付けて伏すのでした。
ある日のこと、私の我が儘をひとつだけ聞いて下さいと懇願して来た女であった。
聞くと、一度だけで良いですので、子供の姿が見たいと言って、泣いて縋って来たのでした。
奴隷が今更子供を見ても仕方ないだろうと突っぱねた私でした。
その日から私への奉仕が異常と思える程の尽くし方になったのでした。
フェラチオ射精はもとより、肛門への舌奉仕には驚かされた私でした。
今までは肛門に舌先を這わせての刺激的愛撫に過ぎなかったものが、用を足した後の肛門に奉仕したいと願って来たのでした。
つまり、大便の付着したケツの穴を舌で綺麗にしたいと言い出して来たのでした。
これには驚かされました。でも女を奴隷としてここまで仕込んだのかと言った優越感に浸りました。
全裸後手に緊縛した女を扉を開け放したトイレの前に正座させて、私の排便を待たせるのでした。
排便後の尻を女の顔の前に突き出して促す。女の舌先が私の肛門の残便を掻き取る様にしてなぞる。
次に、肛門を塞ぐようにして柔らかな唇が吸い付いてきて直腸内の糞便を吸引するかのようにして肛門を洗浄するのであった。
ある嵐の晩、台風の雨風が殴りつける様にして家の屋根、庭木の枝葉を大きく揺らしていました。
何時もの様に、全裸後ろ手緊縛できちんと正座して姿勢を正して口奉仕に励む女。
ソファーに腰を下ろして大きく股を開いている私の肉棒を斜に無に加えて律動させる。
あの夜、俺に捕まらなかったら、こんな事にはならなかっただろうにな。こんな言葉を女に浴びせた。
それはもう言わないでください。こうなることが私の定めであったと諦めているのですから。
それより私は貴方の奴隷です、奴隷が家の中に居ては示しが付かないのではないのでしょうか。
どうか、庭の木に繋いでください。女のその言葉にゾクッとしたものが背中に走った。
女に有した強度のマゾ性質を見る思いであった。私としてはこの嵐の中に女を外に出すことを躊躇った。
がしかし、女の立って願いとあってはと、実行にうつした。
横殴に襲い来る風雨。身体が持っていかれそうな吹き荒れる風雨の中、庭の木立の根元に正座した女であった。
後ろ手の縄尻を木立に繋いだ。この時点で女の髪も体も雨でずぶ濡れになっている。
このまま朝まで放って置いてください。女は覚悟を決めたかの様に言葉放った。
そんな事無理に決まってるじゃないか。女に言って聞かせるようにした。
いいんです、このまま死んでも構いません。貴方に責め殺されるのなら本望です。
夫、子供を捨てた罪深い女です、こうした死に方がお似合いなんです。このまま死なせて下さい。
どうせこの先、子供にも会えない私です。生きていても、、。と小さな声でつぶやく様に言葉にした。
女をここ迄の行動に追いやったのは、子供に逢えない遣る瀬無さに人生を儚んでの事なのであった。
私はいったん家に入り、ひとり晩酌を嗜む。窓から木立に縛り付けた女の姿が良く見える。
うちつける風雨と戦っている女の姿がみてとれた。雨で濡れた身を襲う強風に体温が失われて行く。
そんな哀れな姿を見ながら、晩酌を楽しむ私であった。凡そ一時間が経過しようとしていた時、女の姿勢が崩れてガクと落ちた。
背後の木にもたれかかる様にしてグッタリとしていた。
その様子を見て慌てた私、女に駆け寄って介抱した。
意識朦朧とする女の口から、せめて一度、一度だけで良いですから子供に会わせて頂けませんでしょうか。
お許し頂けるのであれば、どんな辛い調教も、責めにも耐えてみせます。
もっともっと働いてお金を稼いで参ります。貴方様にお命を預けます。
どんな命令にも従います。どうか子供に一目だけでも。そう言って私にもたれ掛かって来た。
失神したのであった。冷え切った女の体は氷のように冷たかった。
数日後、子供に会わせてやることにした。
会わせると言っても学校の下校時の姿を見せるだけの短い時間である。
都合良く、学校の正門前にはコインパーキングがあった。そこに車止めれば怪しまれない。
車の中から下校時の子供の姿を見せてることが出来た。
車には、黒色のフィルムが貼ってある。内側からは見えても、外から中を見ることは出来ない。
女を座席に座らせて子供の下校時を待った。
女は全裸にしてある。勿論、後ろ手に厳しく縛り上げてある。子供を見つけた時に興奮して車内から出てしまう恐れがある。
懐かしさ嬉しさの余り、大声を上げて子供の名前を呼ぶとも限らない。
声が外に漏れてはよろしくない。予め二重の厳しい猿轡を噛ませて置いた。
正門から目を離さずに見入る女。やがて女が緊縛された身体を譲って窓ににじり寄る。
5、6人の集団の中に自分の子供を見つけたのであった。
手は無論、足も厳重に縛ってあるので、にじり寄るほかにどうすることも敵わない。
フィルムの黒い窓ガラスに額を押し当てていた。猿轡の内から声にならない呻き声とも付かない叫びが車内の空気を震わせた。
無論、外には漏れていない。女の顔を除いてみたら両眼から溢れ出た涙が滝の様に頬を伝っていた。
子供の姿は、ブロック塀の角を曲がって、あっという間に姿を消していた。
子供の側に駆け寄りたい一心で踠き足掻いて縄と戦う女の姿は哀れであった。
車を走らせ家路を急いだ。その間ずっと泣き続けていた女であった。
次の日から再び調教が繰り返された。女は子供のことは二度と口にすることなく調教の中に身を置いて耐えた。
立ちんぼにも精を出し、稼ぎも大きくなって来た。
その日から数ヶ月後の事、いつもとは聞き慣れない場所で女は死んだ。不慮の事故であった。
その後、どの様な処置がされたのかは、私には分からない。
66
2025/06/13 20:13:35 (6e9mgbtL)
26歳から32歳まで、結婚していたことがあります。
息子が一人生まれて、とても幸せな日々を過ごしていましたが、私が体調を崩し、喘息から肺炎を発症し、仕事を辞めて田舎の環境のいい診療所は入所しました。
医療費は医療保険をかけていたのア賄えましたが、生活が立ち行かなくなったので、話し合って離婚しました。
「息子を頼んだぞ。できるだけ早く、経済力のある男と再婚して、幸せになってほしい。俺のことは、忘れてくれ。元気にな。さよなら・・・」
「あなた・・・さよなら・・・」
元妻は、娘の手を引き、泣きながら診療所を後にしました。

離婚して、10年が過ぎようとしています。
私は、6年前に一時回復して街に戻りましたが、元妻を訪ねることはしませんでした。
しかも半年で喘息が再発、再入院して、結局私は空気の悪い街住みは無理と悟り、現在は診療所のある田舎町に住んで、観光協会の仕事をしています。
この町は、隣の中核市の奥座敷となっている温泉街があり、自然も豊かなので観光客も多く訪れています。
コロナ禍で一時は温泉街が寂れかけましたが、各旅館やホテルが工夫を凝らし、ファミリー向けの部屋を作り、家族での宿泊をキャンペーンして持ち直しました。

コロナ禍前は、社員旅行などを主に推し進めていましたが、コロナ禍で宴会系は厳しくなり、ホテルも4人部屋や5人部屋に改装して、ファミリーを狙いました。
温泉街には家族連れが増え、昔、私にも家族があったっけなあと、元妻と息子を思い出しながら目を細めて眺めています。
そんな私も42歳、実は、3年前に再婚しています。
今の妻は5歳年上の47歳、22歳の娘がいますが、3年前、専門学校へ進学してこの町を出ました。
その娘と入れ替わるように、私と妻が再婚したのです。
現在、娘は専門学校がある都会に就職しています。

妻は、ある病院の看護師をしていて、週に2回、私がいた診療所に派遣されていました。
泌尿器科の看護師で、ちょっと膳場貴子さんに似た感じの知的な美人です。
奇麗な人だなあと思っていましたが、妻は、男性患者の排尿処理もしてくれていて、その時、溜まった精液も処理してくれていました。
「大丈夫ですよ。定期的に出さないと前立腺に悪いですからね。これも治療の一環ですから、恥ずかしがらずに出してくださいね。」
と言われて、私も何度かお世話になりました。

妻の手コキは素晴らしく、亀頭を重点的に責めてハアハアさせられた後にしごかれますから、大漁に射精してすっきりします。
焦らされてからのほうが、一滴残らず抜かれるようで気持ちいいですね。
手コキ射精をされたとき、妻に、
「素敵なお持物ですね。奥様がうらやましいですわ。」
と言われたのを真に受けて、5年前、再入院から退院するとき、バツイチだと言って交際を申し入れました。
妻もバツイチで、離婚原因が妻の性癖にあるから、交際は無理だと思うと言われました。

数日考えて、妻がどんな性癖なのか知りたくなって、一度試しにデートしてほしいと頼み込み、デートした後ラブホに行きました。
すると妻は、私をラブホの椅子に腰かけさせて、ひじ掛けに両足を載せられМ字開脚にしてタオルで縛られました。
「私、泌尿器科にいたせいもあって、男性が尿道カテーテルで処置されているとき、男性のシンボルを弄られてハアハアする様子を見るのが好きになってしまって・・・」
と言われて手コキされて勃起、かなり恥ずかしかったですが、膳場貴子さん似の知的美人に責められて、素直にマゾを感じようと思いました。

暫く亀頭を責められてはあはしていましたが、妻は、尿道カテーテルを取り出し、私の尿道に挿しこみました。
尿小津を責められたのは初めてでしたが、細い金属の棒で尿道をゆっくりと抜き差しされると、痛いのと気持ちいいのが混ざり合って、何とも言えない快感に見舞われました。
その快感には、男性のシンボルを辱められている恥辱が混ざり合い、マゾの心が芽生えていくのを感じました。
扱かれながら尿道カテーテルで海綿体を刺激され、尿道カテーテルを挿されたまま、ドプドプと射精して、羞恥にまみれた射精の開館を知りました。

それ以来、私は妻に下半身を囚われ、尿道カテーテルから尿道ぶじーへ昇格し、そして3年前、直径9㎜のウェーブした尿道プラグを克服して、妻の専属マゾ夫となったのです。
今では、中空でボコボコした尿道プラグを抜き差しされて、前立腺を直接突かれて悶絶しながら、ドライオーガズムに白目をむいた後、妻に跨られて精液を搾り取られています。
妻はピルを飲んでいるので、毎晩中出しです。
完全にマゾ調教された私は、恥辱の快感にまみれながら、膳場貴子さん似の美人妻と暮らしています。

先月、出張で県庁所在地に行ってきました。
そこは空気が悪いので長期滞在は無理な都会で、そして、10ン前まで元妻と暮らした街でした。
6年ぶりに尋ねたその街で仕事を終え、車で元妻の実家の前を通りました。
懐かしい家・・・元義母が洗濯物を取り込んでいました。
元妻の姿はなく、きっと再婚して家を出たんだろうなと思いました。
そして、元妻と息子と暮らしたアパートの前を通り過ぎ、かつてあった幸せな家族の思い出に浸り、少し涙を流した後、涙を拭いて戻ってきました。
元妻と息子に一目会いたかったけれど、きっと新しい家族が形成され、幸せに暮らしていると思うから、懐かしい街と元妻と息子に「さよなら・・・」と言いました。
そして、私は妻の性奴として下半身を捧げる幸せに生きる覚悟を決めました。
67
2025/06/09 10:53:18 (IXDBdS8l)
大学3年の時に初めて歳上の男性と交際しました。
おしゃれで高級なレストランに外車など大人を感じて交際を始めました。
セックスではやはり丁寧な愛撫と舌技、突くだけではない腰使いに私は逝く事を知りました。
もっと気持ち良い事を知りたくて玩具や露出プレイをして軽いソフトSMなどしたんですが、やはり本格的な縛りとかもしてみたいと言う事で交際相手がSMのベテランの方、先生とか呼ばれてる方を連れてきて3人で教えてもらいながらしました。

けっこう私の反応が良い、正直無茶苦茶感じてました。ただカンチョウは嫌でして自分の汚物や匂いは嫌でした。
しかし交際相手の彼とSMセンセとの話であるSMパーティへの主役としての参加した時に20人くらいの人の見ている前で大量のカンチョウをされ見学者の前で豪快に股間や肛門を晒し、大量のブリブリ音と共に排泄をしました。
聞いてないし恥ずかしいしで拒否する言葉も絶叫し排便も絶叫しました。
しかし、その時に今までにない快感が電気のように走り恍悦感があった事も事実でした。
それからSMはエスカレートし普通の生活に戻るのに苦労しました。
68
2025/06/08 15:58:01 (N3O7O1v6)
シングルのアラフォーです。同年代のセフレとSMプレイを続けていたら、いつの間にか主従関係にされてしまい、昨夜は貸し出しされてしました。引き渡される前にホテルの部屋で裸で椅子にまんぐり返しに開脚させられて緊縛され、穴に何やらゴワゴワした物を押し込まれたと思ってら、私が穿いてきたショーツでした。彼から相手の方に「パンツは抜き取ってご自由にお持ち帰り下さい、女が返してと言っても返さなくて良いですよ」と言われたのが凄く惨めでした。
69
2025/06/04 17:12:20 (64VtN4uL)

ちょっとSMと違うかもしれない。

家内と家内の両親と一緒に義実家でコタツに入っているとき、
家内の太ももからあそこまでコタツの中で何食わぬ顔で
愛撫しまくった。
家内からはにらまれたけど、アソコは濡れ濡れ、俺の手を押さえて
抵抗されるのだけど、息が荒くなってきている。
義母に「どうしたの? 体調悪いの?」
とか言いながら義母は気が付いているみたい。
「ううん大丈夫だよ。あっ!」
俺の指がバギナに入り込む親指でクリを揉む。
家内の耳元で「どうお母さんに見られながら逝くの?」
首を振って否定したけど容赦はしなかった。
義母が妖しい目で見つめる中、こっそり家内は逝った。

やっぱり義母は娘が犯されていることに気がついている。
俺の性癖や娘の性癖にも気が付いているようだった。

後で「出張に行っても浮気しちゃだめよ、病気はもらわないでね」
ね」と変な念押しをされた。

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