2023/06/18 15:01:24
(R1suQ.V/)
つまらない話しですが、興味のある方は読んでみて下さい。
私は祖母と母親との三人暮らしの家庭の中で育てられたのでした。
厳しい母親のもと、悪さをすると折檻を受ける幼少期を過ごしたのでした。
子供の頃に、母親から受けた折檻は縄で縛られて柱に繋がれて
放置されるといった厳しいものでした。
子供相手であっても手加減無しでキツく括られたのです。
こんな折檻の日々が小学校を卒業する頃迄続いたのでした。
もともと気が弱く女の子っぽい私であった為、抵抗する間もなく
母に後ろ手に捕られて縛り上げられてしまう情けない少年なのでした。
いつの日からか、母親に縛られることを望む様になっていった私なのでした。
態と悪戯をして母親からの怒りを買う日々。
正確に言えば、母親の怒りを誘っていたのでした。
いつも愛用の縄を手に私に迫って来る母親。その姿に胸の中が疼く私なのでした。
甘酸っぱい感覚に襲われて、その場にへたり込んでしまうのでした。
直ぐにでも縛って欲しくて、追って来る母親に背中を向けて自ら
両手を後ろに回して待つ仕草をとるのでした。
そんな私の態度に、一瞬、戸惑った様子を見せた母親は
「なんで、、」と小さく言葉にしたのを耳にした私でした。
小学高学年の頃になると、こうした行為は日常茶飯事になっいました。
母親も私を縛ることに興奮を得ている様でした。
私は縛られることに喜びを感じ、幼くして興奮を覚えていました。
それが証拠に、股間に異常を感じはじめてきていたのでした。
僅か12、13歳にして勃起していたのでした。
私のズボンの前の膨らみを目にした母親は複雑な表情をしていました。
そうしたある日、この日はズボンを脱がされて縛られたのでした。
いつものように柱に括りつけられた私はパンツ一枚にされていました。
勿論、恥ずかしさもありましたが、嬉しさと興奮で、いつもの倍近く
大きくした物でパンツを盛り上げてしまいました。
その場を離れた母親は、隣りの部屋へと移って行ったのでした。
襖を僅かに開けて、そこから顔の半分を覗かせて、目だけが異様に光っている様に
感じられました。
母親の顔が畳に頬を着けるようにして並行になっていることに
違和感を感じた私でしたが、そのわけは直ぐに理解出来ました。
母親は畳に寝そべって、襖の隙間から目だけを出して私を見つめていたのでした。
襖から覗いた母親の顔が何故か、せかせかと不自然に動いていました。
その内、だんだんと母親の呼吸も忙しくなってゆくのを不思議に感じていた私でした。
その時点では、オナニーといった言葉も行為も知る由もない私でした。
小学六年生、夏休みの暑い昼下がりの日の出来事でした。