2010/02/16 21:51:18
(QDTIb6nN)
皆さん、こんばんは
いつもより早く帰宅し、時間があったので、書いてみました
雪だるまの送る、小ネタ話を1つ
以前、コメント欄に書きました祖父母っ子だった時の話覚えて頂けてますか?
その大好きだった祖父も、一昨年、104才の短い生涯を閉じてしまい、思い出を残す為に、書いて見ようと思います
題して【祖父の生涯】です
戦争の話や、手前味噌の話になるので、気分が悪くなった人は、読むのを直ぐにやめて、手の届く物を壁に思いっきり投げつけてから、寝てください(笑)
当然!エロも皆無です
心が弱ってる方も、読まない方がいいです
後、長くなるので忙しい人は、時間に余裕のある時にどうぞ(笑)
【祖父の生涯】
私の祖父は明治生まれで、小さい時に戦争で兄弟を亡くし、家も焼け出されて、両親と3人で、今の私の実家のある場所に移り住んだそうです
田舎では名字を言うと、だいたいどこの村の人か?分かるのですが、裸一貫で流れてきた我が一族の先祖は、名字も馴染みのない物で、小さい時は違和感を感じていました
祖父は小学校を出た後働き、両親と住める家を買うために頑張ったそうです
しかし、祖父の父は戦争で帰らぬ人になってしまい、母と2人で大変苦労したようです
祖父は、働いていた建具屋のご主人に可愛がって貰い、昼間働いて夜は夜間学校に行かせてくれたそうです
特に数字に強く、亡くなる直前まで計算の速さは勝てませんでした(笑)
祖父にも赤紙召集が来るかも?と言う時に、祖母とお見合い結婚したそうです
祖父は、身長が176とその当時では異常に高く、祖母は150にも満たない可愛い身長なので、並んだ写真はだいたい祖父が椅子に座ってるものでした
いよいよ召集されるとなった時に、祖父は希望入隊しました
何故、希望入隊したかと言うと、召集で集められると、体格の良い祖父は、甲・乙・丙・丁の当然甲になり、陸軍の歩兵に入隊が予想され、最前線の戦地に出兵させられると考え、希望入隊なら特殊部隊への希望を聞いて貰えるとの情報から、自ら率先して入隊を選んだそうです
そして、祖父の選んだ特殊部隊とは?通信隊だったのです
選択の理由を聞くと、部隊行動の時、通信班は必ず本部との連絡を取る為に最後部に位置し、連絡が取れなくなる事は部隊の全滅に関わるので、守って貰えるからというものでした
当時の考え方では、(名誉の戦死)と言われ、国の為に死ぬ事が尊いとされた時代に、祖父は「残した母と妻の為にしねない!」と断言してたと祖母から聞きました
今でならその考えも理解されるが、当時なら決して口外出来ない考え方だったと思います
入隊前に持ち前の勤勉さで、モールス信号と英語をマスターし、無事通信班への入隊になったそうです
戦地は南国の離島、ボルネオやサイパンにも行ったそうですが、幸運?にも終戦前に負傷し、戦局が悪くなる前に帰国出来たので、命が助かったと聞きました
幼い子供心に、「お爺ちゃん、大変だったんだろうな~」と思ってました
戦争時の話をするお爺ちゃんは、威張る事も・悲しむ事も無く、ただ真実を伝えるように分かりやすく話してくれました
「戦争なんかで死んだら損だ!」とよく言ってました
終戦後、お爺ちゃんは建具屋に戻る事なく、通信班で知り合った人の紹介で、郵便局に勤めました
持ち前の計算の速さは、更に磨きがかけられ、簡保保険勧誘の成績と定期預金の勧誘は誰にも負けなかったと豪語してます
私の負けず嫌いな性格は、多分お爺ちゃん譲りだと思います(笑)
高度経済成長期に、株式や(赤いダイヤ)と言われる小豆相場等の商品取引に手を出し、裸一貫で来た土地に三軒分の土地と家屋を建て子供に分け与える程儲かったそうです
その一軒が実家です
今では、一生かかっても一軒建てるのが夢物語なのに、定年までに更に特定郵便局の認可を得て、郵便局まで土地を購入し建ててしまいました
今もその郵便局の局長は、従兄弟が継いでいます
そんなお爺ちゃんの趣味は(囲碁)で、父親の兄弟が誰一人として勝てません
還暦を過ぎた頃には、朝日新聞主催の全国囲碁大会で二回優勝してます
囲碁は若い時から夢中になり、家族が田植えしてる時でさえ、碁会に行ってたので、お婆ちゃんは「碁が嫌いだ!」と言ってます
自転車の空気が減って、碁会に行けないと怒り、自転車から降りずに、お婆ちゃんにポンプで空気を入れさせる我が儘さも、昔は許されてたそうです
そんな男尊女卑の権化のようなお爺ちゃんも、年を重ねると、お婆ちゃんを労りながら仲良くなっていきました
父は、男5人・女1人の6人兄弟の次男で、私の従兄弟は15人曾孫8人の大家系の、トップに立つお爺ちゃんには誰も逆らえませんでした
しかし私は、昔から特に可愛がられ、誰よりも一緒に居たので、私が言えばニコニコと従ってくれてました
80才まで大型バイクに乗り、舗装工事の穴に落ちる事故で入院した時も、誰がバイクを取り上げるかで相談した結果、私がお爺ちゃんを説得する事になった位です
交換条件に、当時流行ってたヤマハのパッソーラを買い与え、上手くすれば自分が貰えるのではと考えての行動です(笑)
退院したお爺ちゃんは、バイクが無くなり元気が無かったので、父親に交換条件の事を話し、スクーターを手に入れたお爺ちゃんは元気になりました
当時の高校生の私に「金は出すから、もっと速く走れる様にしてくれ!」と頼む位のスピード狂も、私が受け継いでます(笑)
お爺ちゃんからお金を貰って、吸・排気系を弄り、軽く100キロは出るスクーターに仕上げました
機嫌の良くなったお爺ちゃんは、制限速度なんてお構い無しに走り捲り、爆音を出して警察に捕まると「孫が勝手に弄って、往生しとるんです!」と言って、キップを免れたと自慢気に話してました
警察官も、まさか80過ぎのお爺ちゃんが、自らの指示で改造してるとは思わずに許したようです
後日私が捕まった時に、「お前がお爺ちゃんのスクーターを勝手に改造したのか?」と怒られました
いい思い出です(笑)
大学に入り、地元を離れても、毎月のように手紙をくれました
内容は、交際女性の選び方や、お金の使い方等多岐にわたり、お爺ちゃんの手紙が待ちどうしくなってました
大学で付き合った彼女の事を書くと、「3人姉妹の長女は養子を欲しがるから、直ぐに別れなさい!」とか、「お爺ちゃんが品定めしてやるから、正月に連れて帰れ!」とか、相手の彼女の都合も聞かずに言いたい放題でした
一度彼女に手紙を読まれて泣かれた事もありました
しかし私は、そんなお爺ちゃんでも大好きで、心配掛けないように考えて返事を書いてました
就職の時バブル絶頂期で、公務員なんて誰も見向きもしないのに、「後を継がせてやるから公務員試験を受けろ!」と言われ、初めて「落ちた!」とお爺ちゃんに嘘をつきました
今思うと、従ってた方が楽だったなと思います
盆・正月は必ず帰省し、顔を見せないと怒られるので、毎年欠かさず帰ってました
30才手前の時に、「お前、給料いくら貰ってる?」と聞かれ、素直に答えると「まだお前には負けてないな!」と笑われました
お爺ちゃんは、年金と恩給・遺族者年金と株の配当金で、90でも税金を払っていて、「お前だけたぞ!」と言って、死ぬまでお年玉をくれました
月収は年齢×一万、財布は年齢×千円入れるようにすれば、恥はかかないと教えられ、今も実践してます
100才の時、朝ごはんがパンに変わったので「ハイカラなご飯食べてるね」とからかうと「100年も米食べたら飽きた!」と言われました(笑)
米は、100年食べると飽きるそうです(笑)
数々の名言は有りますが、これ程実体験に基付いた重い言葉を聞いた事ありません
ボケる事も無く、少し耳は遠くなりましたが、補聴器に頼らなくても聞こえ、何台目かのスクーターに乗り、ゲートボールに行くお爺ちゃんを尊敬してました
しかし別れは突然訪れました
風邪を拗らせ、肺炎になってしまい、抵抗力と体力の衰えで、病原菌に勝てずに命を落としました
会社で知らせを聞いた時は、目の前にある物も見えず、直ぐに駆け付けたい気持ちはあるのに、体が動かなくなってしまいました
「お爺ちゃん、いつ死ぬの?」なんて軽口を叩いて、お爺ちゃんと笑い合ってたのに…
余りの急な知らせに、思考が停止してしまい、会社のデスクで座ったままになりました
どうやって家にまで帰ったか覚えてません
親から携帯に電話があり、「絶対に電車で帰って来い!」と、きつく言われました
お爺ちゃんの家に着いても、現実感がなく、寝てるようにしか見えずに、泣き崩れるお婆ちゃんの横で、ただ座ってました
葬式も終わり、火葬場に行っても尚、泣く事もなく、誰とも話さず、ただお婆ちゃんの肩を抱いてました
火葬が始まり、待ってる間に外に出て、空を見てると、火葬場の煙突から出る煙がお爺ちゃんの顔に見えて、人目も憚らず号泣し初め、驚いた親戚の人に休憩室の椅子に連れて行かれました
何故煙がお爺ちゃんの顔に見えたのかは分からないですが、きっと我慢の限界だったんだと思います
冷静になった時に、火葬が終わり、骨を拾いに行きました
あの大柄なお爺ちゃんの姿はなく、ただ白く並んだ骨だけが目の前にありました
喉仏等の説明を受け、骨を拾っていると、太股の所からピストルの弾が骨の間から見つかりました
お婆ちゃんは知ってたみたいで、「この弾がお爺ちゃんを長生きさせたんだ」と言いました
終戦前に負傷して、帰国の原因になった弾だと、直ぐに気が付いたのは、お爺ちゃんに可愛がって貰い、その話を知っている私だけでした
お婆ちゃんは手で弾を拾い上げ、「お前が御守りとして大事に持ってな!」と言って私にくれました
骨壺に入ってしまったお爺ちゃんと家に帰り、仏壇の前で、貰った弾を握りしめ、声を出さずに長い時間泣きました
お婆ちゃんが肩を叩きながら「お爺ちゃんはお前が大好きだったね。もう泣かなくても、お前の気持ちも十分伝わってるよ」と言ってくれました
大好きなお爺ちゃんを亡くして、初めて別れの辛さが分かった気がします
今年100才のお婆ちゃんとも、いつかは別れる事になるので、それまでお爺ちゃんの時に感じた後悔をしないように、お婆ちゃん孝行を誓います
おわり
読んで頂けて、ありがとうございます
この文は、自分がお爺ちゃんの事を忘れないように書きました
非常に辛い思い出ですが、これからの人生の教訓として生きていきます
お婆ちゃんは、現在凄く元気です(笑)
多分、お爺ちゃんの歳を越えると思います
長寿の家系に生まれた事を嬉しく思います
ありがとうございました