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回顧

投稿者:電波太郎
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2005/06/04 10:47:38 (y3nQRwgI)
私はう~~んと古い昭和40年代の子供である。
まだ「テレビ」が目新しいものであった時代だ。あっても白黒が多かった。カラー
は高かった。トリニトロンというのがほしかった。まあいい。
ケータイどころか携帯電話すら一般には使用されてない。
電気屋ではラジオが人気製品だった。さすがにもうラヂオではなかったが。学研の
教材では鉱石ラジオ(ダイオードだけで回路が構成されるアレだ)のキットが好き
だった。なにしろ乾電池という高価で貴重な消耗品を親に買ってもらう必要がない
のだから。
運良く父親が遥々と秋葉原(まだアキバなんぞという語はない)に連れてってくれ
れば歓喜して何ヶ月もこの日のために貯金箱に溜め込んだお小遣いを入れたガマグ
チを握り締めて電気部品屋を探して歩き、ああ当時は本当に秋葉原は電気街
で・・・この『街』という感じがわかってもらえるだろうか?昨今のアキバではも
う僅かな場所にしか残ってない迷路にも似たセンスオヴワンダー(←SF的感興)な
感覚なのである・・・探検するという感覚があった。
そうして子供の生活の中に当たり前のように時たまSF的な体験が入り込んでくるわ
けなんだが、その結果として生成されるラジオは当然日本の中波(短波ではない。
短波は憧れだった。短波は電離層で反射されるため、強力な電波を発信すれば世界
の遠く離れた地球上の地点からの電波でも受信できるため、当時海外旅行なんて生
ける人はかなり富裕な人だけだった。それゆえ人口の大多数を占める庶民にとって
は現実性に乏しい海外旅行よりも、現実に接する機会があり得る海外ラジオ放送の
方が現実的な憧れの対象だった。とはいえ短波ラジオだってかなり高価なのだ。特
にヘテロダイン方式とかその後出て来た垂涎のスーパーヘテロダイン方式の電波受
信機などは到底小学生のお小遣い如きで買えるものではなかった。だから大多数の
人にとってはた~だのAMラジオが精々だったし、勤続恩賞がFMも聞けるラジオだっ
たりするとかなり喜ばしかった。FMラジオでさえも高かったのだ。短波ラジオなん
て清水の舞台から飛び降りる覚悟に近い決心が必要だった。それでも海外旅行より
は現実性があった)のラジオ放送局が発信している電波を受信した。
子供がラジオを聞ける時間というのは当時は限られていた。朝は忙しい。日中から
夕方にかけては学校で勉強で忙しい。友達と野原や道端や公園で遊び回ってたりも
する。ハラペコで夕飯。そして風呂。そして勉強。ながら勉強なんてものはしては
いけない、というかそんなものの存在すらまだ一般的ではなかった。端的にいえ
ば、なかった。だから勉強するときはひたすら勉強だ。別にがり勉じゃないが。
あとは布団に入ってオヤスミだ。はて、ラジオを聞く時間は?そうだ。布団の中
だ。布団の中といえば男の子にとっては唯一のHが許される場所だった。まあ一人H
なんだが。一人Hの同伴者がラジオだったのだ。ここに当時のラジオというものにつ
いていた微妙な隠微さがある。まあニッポン放送あたりの深夜番組の内容というの
もいくらか関係しているが。
え、どこがHなんだかわからない? むぅ、このびみょ~~~~なそこはかとなくH
っぽい感触が感じ取れないとは荒縄のような粗雑な感性だなぁ。まったく最近のワ
カイモンは・・・
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投稿者:電波次郎
2005/06/04 15:20:01    (jFBhXP.7)
私も40年代の人間!太郎さんの話しに妙に納得
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