俺は、男ばかり4人兄弟の末っ子として生まれた。父は 1人くらい女の子が
欲しいと次々つくったが、4人目の俺まで男だったため、あきらめたとか・・・
昼間だけは 両親共いないため、4人兄弟の生活は凄まじく、兄弟が争っても
止める者がいない。俺は被害を被らないよう、ひっそりと生活していた。
俺が小1になった頃からかな、3人の兄達は昼間 両親のいない事を幸いに、
近所の俺くらいの歳の女の子を家に誘い込み、悪戯三昧な事をやり始めた。
初めは穏やかに、遊びながら3人でパンツを脱ぐよう説得するが、拒否され
ると、3人で飛び掛り、手足を押さえつけて、服をめくり上げる、パンツを
ずり下げる、3人交替でアソコを触ったり揉んだりと手際がよい。
手足を押さえられ、それでも白い胴体を右へ左へと くねらせて抵抗する姿が
印象的であった。中には、3人の威圧に負けて 自分から脱ぐ子もいた。
大の字に押さえられ、涙目で不安そうに天井を見つめ、嵐の去るのをじっと
耐え忍ぶ子もいた。
俺の役割は、部屋の出口に立ち スキを見て逃げ出す子を押し返す役だった。
当時 低学年だった俺には、そこまでの欲求も無く、その役で良いと思った。
俺も高学年になり欲求の出てきた時には、兄達は中学・高校生となっていて、
昼間は俺一人が多かった。穏健派だった俺は、幼い子に強行手段を取らず、
言葉巧みに誘い込み、優しく説得して合意で脱がせる術を覚えた。
兄達に邪魔される事無く、抵抗も無く、白い肌に頬をスリスリしたり、口を
付けたり、自由自在に弄んだ。そして別れる時はお互い笑顔で別れた。
心も体も傷つけず・・・の俺の思想は、この頃に養われたのかもしれない。
やがて何年か過ぎ、兄達は次々と結婚し、次々と子供をつくった。どの兄も
女の子を欲しがったが、なぜか出来た子は全て男の子だった。
その時俺は、「我が一族は男子家系かもしれない?・・・・このままでは俺の子も
男児になる」 と考え、男女産み分け方の本を何冊も読んで、結婚した。
悲願的中、兄弟の中で唯一、女の子の父親となった。そして冠婚葬祭等々、
親族の集まる場所へは、自慢の娘を連れて出席した。兄達の羨望の眼差しが
まぶしかった。
娘が4~5才に成長して、兄の家に連れて行くと、どの兄も娘を抱き上げ、
同じ事を言う。「娘だけ1日置いていかないか?明日、おまえの家に届けるか
ら」 と・・・。しかし、昔の兄達を知っている俺は、すべて断った。
先日、九州に転勤している3番目の兄から、「娘を連れて2~3日遊びに来な
いか?」 と誘われた時は、俺も付いてる事だしと思い、新幹線で行った。
その兄にも3人の男児がいた。夜は酒にビールにと大歓迎され、娘は3人の
男児と寝ると言うので、俺は別室で寝た。
次の日、目が覚めると、兄と4人の子がいない。義姉に聞くと、朝早く裏山
へ登りに行ったとか・・・まぁ、自分の3人の子も一緒だし良いだろう・・・・。
しばらくすると5人そろって帰って来た。しかし、妙に娘が暗い顔だ。娘に
「山登り楽しかったか?」 と聞くと、直に兄が 「さあ朝飯だ!4人共手伝って
くれ!」 と、娘の答を遮った。後で娘に聞いたが答えない。
そこで、3人の男児の1人にこっそり聞いてみた。すると、登山口で兄が、
「おまえ達3人は右ルートで登れ!父さんとこの子は左ルートで登り、どちら
が先に頂上に着くか競走だ!」 と別れて登ったが、3人が頂上に着いても、
娘と兄は現れず、相当待ってからやっと登って来たそうである。
それに昨晩は、4人で寝たのではなく、兄も娘の隣に来て5人で寝たとか・・・
帰りの新幹線で、娘に「山で何が有ったか」聞いたが、ガンとして答えない。
よほど口止めされたのか?恥ずかしくて言えない事だったのか?
いずれにしても、何を?どこまで?されたのだろう・・・・!