あきさん、800の切番おめでとうございます誰かレス入れてくれ~!と待ってました(笑)軽い気持ちで昔の話を出したら興味を持たれ、小出しに説明も邪魔くさいので、事故話を昼飯も取らずに書きました(笑)当時(23年前)大学二年生で、バイト代と父親から貰ったお古の車(カペラ)を下取りに出し、真っ赤なガゼール(鉄仮面と同じ24バルブ・グロス190ps)を中古で買い山を走ってましたそこそこ自信も出てきて、友人2人を乗せ観光を兼ねて日光に向かいました学生なので、当然!下道を使い、着いたのは夜中でしたいろは坂の噂は聞いてましたが、走ってみると一方通行のサーキットのようで楽しく、一気に中禅寺湖まで登り、一休みして華厳の滝の駐車場で仮眠するつもりで、来た道を戻りました登りの感覚でアクセルを開けたのが間違いで、駐車場手前の最後のトンネル出口で、スピードがのり過ぎた車のコントロールが出来ず、ド・アンダーで突っ込み、ガードレールを突き破り、綴れ織りになってる30m下の道に落ち、そこのガードレールも突き破り、山中を70m落ちました最初の落下は空中を飛んでたので震動は無く、下の道に着いた時のバウンドでフロントガラスに頭突きし、山中を駆け降りた時は、ハンドルを持ってる手が、まるで道路工事のアスファルトを剥がす道具のように震動し、「止まってくれ~!」と叫びながらブレーキを踏み続けたが止まらず、滝壺から流れる出る河原の大きな岩に当たって止まりました最初のガードレールに当たった時点で、ライトは粉砕されていたので、真っ暗の中を突き進むジェットコースターに乗ってる気分でした幸い!横転する事無く止まれたのが、命拾いでした後部座席に座っていた友人1人は、下の道でバウンドした際、シートベルトをしてなかったので、ハッチバックのリアウィンドウを背中で叩き割り車外に投げ出され、止まった位置の遥か上の山中に座ってました前席の2人は、シートベルトをしていたので、車外に投げ出される事も無く、仲良く下まで落ちましたドアが変形して開かなかったので、サンルーフのガラスを割り、屋根から車外に出てバウンドした道まで這いつくばって登りました途中で車外に投げた出された友人と合流し、道まで上がると、地元の走り屋が集まっていて助けてくれました救急車の手配、警察への連絡まで全てしてくれ、病院に運ばれました診断の結果は、後部座席の友人は背中の打撲で、いまだに天気が悪いと痛む後遺症が残りました助手席の友人は、サンルーフから出る際、ガラスで小指の腱を切ってしまい、手術で繋がりましたが完全に曲がらない後遺症が残ってしまいました本人は、フロントガラスへの頭突きで、ガラスを割るほどの衝撃を受け、オデコに軟式野球のボール程のたんこぶは出来たが、骨と脳波には異常が無かったシートベルトのお陰で命は助かったが、鎖骨は粉砕され、1ヶ月入院となった救急車で運ばれ、友人の診察の間に取り調べを受け、終わるまでは一切痛みは感じなかった気が張ってる間は平気だったのに、治療が終わり病室で横になると、気絶する程の痛みに襲われ、人生初の鎮痛剤の座薬を看護婦さんに入れられ、恥ずかしかったのを覚えてます事故当時の状況は、脳内アドレナリンの噴出により、スローモーションの如く、鮮明に覚えてますガードレールの近付いてくる様は、今思い出しても(よく生きてたな)と感心してます後日警察に出頭し、「生きてる中では最長不倒だ!」と面白くもないジョークを言われ、「最高は120mだが2人亡くなった」と聞いてもないのに説明を受けたいろは坂を半日通行止めにし、車を大型クレーン車で引き上げ、その交通整理代、ガードレール4枚、支柱8本、作業費等総額200万請求されました「ローンで払う」と言うと鼻で笑われ、初めて警官に殺意を抱きました結局、親ローンになり、残りの学生生活のバイト代で払いました医者に「九死に一生を拾った命を大事にしなさい!」と言
...省略されました。