教師を退職して7年が経とうとしている。
俺たちにとって教師という立場身分が前半後半で激変した世代だと思う。
若い頃は、親も子も、教師という存在にそれなりに敬意を表し、何のかんのと立場は絶対だった。
ところがバブルの頃から、いわゆるモンペアの出現、生徒はお客様という発想、教師が次第に使用人の立場に追いやられていった。
定年は僅かに延長し、嘱託で講師として更なる延長の話も頂いたが、丁重にお断りした。
とてもじゃないが、生徒に媚びを売る、そんな惨めな思いをしてまで、生徒の指導を続けたいとは思わない。
今の教師は、ある意味可哀そうだと思う一方、80年代までの一部の教師の傍若無人ぶりに呆れるやら、羨ましいやら。
俺の勤務していた学校は私立で女子校だった。
偏差値的には中の上だったが、我々の世代まであった公立校崇拝の中でも、まずまず名前が売れていた私学だ。
公立高校に結果として落ちた、という優秀な生徒も多く、中には母親や祖母までOGだったりする伝統校だった。
当然、大学短大進学を希望する生徒が多いから、学校全体も規律の良い学校だったと思う。
(大学同期の仲間には、下位の私立や転勤が付き纏う公立の教師として赴任し、結局定年まで続けられなかった奴が半分位いる。)
さて、そんな俺が40代に入った頃だ。
学年副主任、学年の教科主任となって、ある程度の権限が与えられるようになった。
後輩の教師をまとめ、学年教員会議などでも、いろんな状況が俯瞰的に見える立場になったのだ。
1学年250人近い女生徒がいるわけだから、優秀な奴、ダメになった奴、美少女もいれば、そうでない娘もいる。
全部揃っている奴も稀にいるが、そんな女生徒が中年の俺など眼中にないのは当たり前だ。
蓼食う虫も好き好き、というが、俺を熱い眼差しで見つめている事があるかと思えば、1か月もしたら目も合わさないのが当たり前。
真面目に取り合うのが無駄、というのが相場だった。
ところが、この時の2年生に、3拍子揃った美少女、桜子という女生徒がいた。
彼女は我が校の推薦枠を獲得して、某私立大学への進学を希望していた。
成績は全体としてまずまず優秀だったが、俺の担当する教科が一番の苦手で、人並みの成績が常だった。
これでは推薦評定の最低ラインはクリア出来ても、校内のライバルに劣後してしまう。
当時はバブルも弾け、就職氷河期が叫ばれる一方、大学受験はピークを過ぎても有名大学の人気は依然だった。
まともに受験に取り組めば、予備校通いや通信教育、家庭教師などで数十万の出費が問題視されていた。
高校生活も半分になって、一向に成績が好転しない俺の担当科目に、彼女の悩みが募っていった。
そんな桜子にとって、俺への個別指導の申し入れは思い悩んだ結果だろう。
一方の俺はといえば、3年生の担当もあるし、普通2年生の依頼など例外なく断ってきた。
ところが桜子の依頼には応えた。下心に火が点いたとしか言えないものがあった。
先ほど3拍子揃ったと言ったが、俺にとっての3拍子とは「容姿端麗、品位を漂わせる立振舞い、従順さ」だった。
桜子は、俺の想定以上に、3拍子揃った美少女ぶりを発揮してくれた。