最近、寝屋川でとても聞くに堪えない事件がありましたよね。私もアノの事件を聞いて、おもわず自分の過去を思い出してしまったんです。
私(33)は、たった3日間だけだけど、本格的に監禁された経験があります。もう17年近く前の話になりますが・・・。
当時、私は関西のある地方で、今でこそ、珍走団とか呼ばれてますが、暴走族のレディースの特攻隊長をやっていたことがあります。
乗っているバイクは先輩から安く譲ってもらったCBX400F2 それにパーツはBEETというメーカーのものでフル装甲し、ハリケーンセパハンに、ドッカン風防というのをつけて、無名のショートマフラーの消音機を抜いて、夜な夜な爆音を立てて町を走っている時代があったのです。
土曜日が来れば、特攻隊長だけが着用できる、特別の赤色の先代からの伝統の特攻服に身を包み、安物の特殊警棒を腰に差して、単車や原付で、女ばかりで走りまくる。時代的に考えてもこれが関西の中でも大阪や京都なら、もう時代遅れだったのかもしれませんが、私が住んでいる奈良県では、まだまだ暴走族や、走り屋っていうのは、ギリギリ、土地柄もあって十分に反社会的な若者らしさを出すアピールとしては色褪せていませんでした。
レディースの規則も時代遅れというか、古臭いチームに所属しており、薬物厳禁、男厳禁、売り行為厳禁(売春)というバリバリのレディースだったと思います。
思い起こせば、特攻隊長になるときも、「処女検査」なるものがあり、時代遅れも甚だしい、というか、キリスト教の修道院かい。ってツッコミたくなるような、先輩からの内診検査があるんです。
総長とか、特攻隊長とか、親衛隊長っていう、暴走族の三大役職に就任する前には、必ず専任の役職持ちから、俗称「おま〇こ検査」っていうのがあって、夜の公園とかで、特攻服の下を脱ぎ、(上着がロングなので丸見えってことはないんですけど)先任の特攻隊長から、アソコに指を突き立てられて、固ければよし。中に入ったらシバキ。という、今思えば珍行事でしかない儀式を潜り抜け、特攻隊長という役職に就任したのを今でも覚えています。
その他にも、髪の毛で茶髪禁止。黒髪ショートかストレート(私はストレートでした)他にも、柄物やレースのついた下着はダメ。白、黒、グレー、紫、赤、という原色で、なおかつシンプルなモノじゃないと禁止。みたいな珍風習もあったのです。
そんな環境の中でも私は純粋にグレている方であり、また小さいころから空手をやっていた事から、自分でいうのもなんですけど、けっこう地元では「喧嘩に強いやつ」という部類に入っていたんです。
そんなイケイケ時代を過ごしていた私ですが、ある事件がきっかけで、もう二度と立ち直れないくらいのヤキを入れられる。(ヤキ入れるなんてもんじゃない)出来事が起こったのは、特攻隊長に就任してから4か月目くらいの話でした。
知り合いの可愛がってた後輩の子が、隣町の敵対地域のワルの原付を盗み、乗り回していた事がきっかけでした。
その子は、何を思ったのか、その盗まれた持ち主に盗んだ原付を乗り回しているところを見つかり、思わず言ってしまったそうです。「この原付は〇〇さんから借りたモノなんだよ!」と。(その〇〇さんは私)
後から聞くには、その子はまだ中学生で、本能的にか私の名前を出せば、見逃してくれる。って思ったらしいのです。
しかし、相手が悪かった。たかが原付といえども、私はさっき、敵対地域のワルと書きましたが、実際は相手は中学生とかじゃない。
〇川組というところの組員で、ほとんど年少生活が長くて学校授業に出てないんじゃないか。っていうくらいの、本格的なワルが、日常的に乗っていた原付だったのです。
すぐさま「〇〇捕まえろや!!!」という指令が発されたのは当然の事でした。
そんな背景があるとは知らない私は、のんきにその日も公園で友達とタバコを吸って屯っていました。
すると、白いセダンの車が、ブーーーン!!!と勢いよく公園の道路に横つけると、いきなり勢いよく4,5名の鉄パイプを持った男が「コラァア!!!〇〇ってお前かァ!!!!!」とか、カナ切り声を上げながら接近してきたのです。
一緒にいた友達はビンタされるは、蹴られるわで、(抗争か!!!!)とか思ったのもつかの間、私は4.5人の男に髪の毛をつかまれ引っ張られるわして、車のトランクに詰め込まれ、いきなり監禁されてしまったのです。
それから30分くらい暗闇の中、走りましたでしょうか。トランクがあいたときは対岸にある隣町の河原まで連れてこられたのでした。
トランクがあくや否や、目の前に立っていた男はタオルで鼻や口を隠し、一体、誰が誰かわからない状態でした。(といっても、隣町のヤクザなんて知らないし)
するとその中にいた、とりわけ優しい男が、「ちょっと、髪の毛抜けるかもしれんけど、テープさせてな」と私に断ってきて、グリーンの養生テープを私の顔に巻いてきたのです。
ここからずっと、この話は私にとって視界は暗闇です。
それから砂利道の冷たい場所に座らされ、その原付の持ち主という人物が現れたのです。
そこで私は正座をしながら、ずっと身に覚えのない原付を盗んだことを尋問され、、いやそんなつまらない事よりも、実際に私を拉致したのは、その〇川組のある傘下チームの(私たちにとって敵対している)レディースチームからの要請で、私を拉致してきた事が会話の中でうすうすとわかる展開になってきたのです。
そんな敵対チームのレディースが関わっている。と知った以上、私は弱腰になる訳にはいきませんでした。今まで、こういうケースは沢山聞いてきましたが、レディースの女の子っていうのは、やっぱ普段は粋がってても、窮地に立たされたらオンナが出てしまうようで、
拉致られた瞬間、泣き出した。とか、土下座して謝ってきた。とか、そんなイケイケと呼ばれる伝説の先輩方が、伝説じゃなくなる瞬間をさんざん聞いてきたからです。
私は終始、「そんな原付なんて盗んでねーよ!」と言い張って頑張ってました。
そのころ、季節は秋ごろだったと思うのですが、夜になれば肌寒くなっていたのを覚えています。
拉致してきたメンバーも、「寒むwww」と言っていましたし、朝になれば犬の散歩とかで一般人が出現する河原でずっと。っていうわけにはいかなかったんですよね。
結局、もっと大ボスがいるヤクザの家に私は移動させられる事になり、(この最中、胸を触られる、お尻さわられるは当たり前。)結局、目に張られたテープの隙間から朝日を感じるまでの約6時間、私は女であるという事からか、そこまでボコボコにされる。という事はありませんでしたが、見えない男から、「おっぱいたーっちw」とか、「カンチョーw」とかいう具合に、Hな路線でけっこうからかわれたものでした。
そのヤクザの家に着くと、暖房がきいている様子でした。私はフローリングに正座させられましたが、この時の前から、もうオシッコしたくて膀胱は決壊寸前でした。
また始まるどうでもいい、大ボスからの尋問の合間に、「トイレ行かせてくれないかな?」と頼んだことがきっかけで、そこにいたメンバー全員が、私への性的な屈辱感を味合わせる方向へと走ったのがこの時でした。
大ボスは、「しょうべん? そこでしていいよ。嫌なら漏らせば?ww」と言ってきたのでした。私は最初は冗談だと思って(というか、思いたくて)「ここで出来るわけないやん。トイレかしてよ。逃げないし」と真面目に答えてました。
しかし大ボスは「ここでいいよww フローリングだからふいたらいいしよww」というのです。(書いててなんか大ボスのセリフ、なんか弱っちい男に見えますが、けっこうドスの聞いた声でした)
私は「もういいから、早くトイレかしてよ」と言ってました。すると、大ボスの傍らにいた男が、「でもこれは見ものだよな。この赤の特攻服って、確か3代目くらいから続く伝統の特攻服だろ?これに、13代目になった特攻隊長がオシッコ漏らすのかな。これ楽しみだわ。」とか言い出したのです。
私にとっても、この言葉は屈辱感がありました。確かに私が来ている特攻服は、先代の先代の先代の先代からの(三代目とかしりませんが)継承された伝統ある特攻服であり、私がオシッコもらして汚していい服ではなかったのです。
私は「もう、そんなんいいから、マジもれるって!!!」と(ほんとに限界になって)相手にトイレに行かせてくれるよう懇願しましたが、相手は「だからwww そこでしたらいいってwww 特攻服汚すも、脱いでするも、あなたの自由www」とか、おちょくってくるのです。
ほんとギリギリまで我慢しましたが、もう限界!!!!ってなって、私は逆に、特攻服をきたままオシッコをしてしまえば、それこそ相手の思うつぼ。みたいなのがあって、(同時に、回される(レイプ)時は回されるだろ。と覚悟を決め)私は、「じゃ、ここでするわ!」と粋がって立ち上がり、ベルトのバックルを緩めて特攻服のズボンだけを脱ぎ、(パンツまでぬいだら別の意味、恥ずかしいので)パンツはいたまま、その場のフローリングにしゃがんでオシッコをしてやったのでした。
すると周囲は一気に盛り上がり、「えろwwww」とか「さすが暴走族魂のこもった特攻服でおもらしはしなかったかww」等と、チャチャを入れてからかわれたのです。
(はぁ~~~w)と猛烈な尿意から解放された一時の安心と、同時に次ぎに襲ってくるであろう緊張の連続に身が休まる間もなく、大ボスは周囲の手下に、「お前ら、雑巾でふけ」と命令し、私の周囲ではゴソゴソと男が床を何かでふいている動作が感じ取れました。
それからもずっと、「パンツ透けてない?w」や、「割れ目に食い込んでるwww」等の言葉を投げかけられ、私はある意味開き直り、(どうなってもいいけど、絶対に泣き言だけは言わんとこ)と心に決意していました。
しかし、私が覚悟していたレイプシーンにはなかなかならず、それよりも、もう私1人を拉致して何時間が経ったのか、周りも疲れてきたような様子で、(私も尋問されながら、疲れの限界で、こっくりこっくりきてた) 「そろそろ俺帰りますわ」とか「あ、俺も」とか、そんな声が聞こえてきたのです。
(ついでに私もかえしてくれるかな)と、濡れたパンツをはきながらフローリングに正座する私の期待はむなしく、最終的に大ボスが、「上のベッドにつなげ」との一言で、私の解放への期待がむなしいものへと変化していったのです。
それから私は数名の男に引きずられ、階段ものぼらされ、ベッド的なものへと寝かされました。するとこのベッドは介護用ベッドなのかわかりませんが、手すりとかの金属部分がたくさんついているような感じであり(見てないけど)
そこに私は、ベルトかなにかを利用した簡易な拘束で、手足を大の字に広げられた状態で固定されてしまったのです。
大ボスから「そのまま寝とけや」と言われ扉をバタンを閉められ、私はそれから体感でいうならば10時間くらい、ずっと寝返りも打てない状態で、手足を固定されたまま、放置されたのです。その間、もともと便秘症だった私は大のほうがありませんでしたが、小のほうは2度ほど垂れ流した状態でつながれていたのです。
この10時間、下の階のほうではシンナーか薬物かなにかやっているのか、異様な笑い声が聞こえてきたり、時折私を観察しにきた女の人が、私におにぎりを与えてくれ、そして水を飲ませてくれたり、「ごめんな。もうすぐ帰れるからな」と励ましたりしてくれました。
~拉致24時間後~
次回へ続く。