たいへんお待たせしましてスミマセンm(_ _)m体調は回復したのですが、町会の役が思ったより大変で慣れるのに時間がかかり、アタフタしているうちに仕事が夏の繁忙期に・・・中々書き進められる状況になりませんでした。 それと、エロ気が少ない章に入り書きにくかったという事も一因です。この章はそのくらいエロ気が少ない章ですが、どうしても必要な部分なので、ご容赦して頂きますよう、お願い申し上げます。●俺が中3の頃の話① 俺が中3の前半というのは、諸事情により妹への挿入性行為が激減した時期でした。性行為をしなかった訳では有りません。妹への愛撫は機会が有る毎にしていたんですが、挿入行為が出来るほどの時間が取れなかったり、挿入行為に及べるほどの元気が俺に残っていなかったりで、愛撫止まりな事が多かったんです。記憶が定かでは無いのですが、春休みが明けてから夏休みまで1回も挿入しなかったかもしれない。そんな期間だったんです。その“諸事情”は大きく2つ有ります(既に書いて有る理由や細かい理由も有りますけど)1つは、前置き話の最後に書いた祖母の退院が関わる話なのですが、夏休みに直結する話なので、書き始めてしまうと、もう1つの事情を入れられなくなる事から後回しにします。もう一つの事情なんですが、俺の性格や行動原理(※)を先に理解して頂いた方が読みやすく、俺も話を書きやすい事から、俺の幼少期の話から順を追って書こうかと思います。(妹がどんな娘だった解る話も入れる予定)※行動原理⇒行動の根源的な動機となる本能・欲求・願望・信条・価値観など。 なお、俺自身には幼少期の記憶があまり無く、ほとんどの話は祖母や母や、当時はまだ家に居た叔母達から、後年に聞かされた話になります。△俺の幼少期からの話 まずは俺の生まれながらの行動や性格などが解る話から始めたいと思います。俺は発育の早い子で、生後半年で掴まり立ちを始め、10ヶ月頃には一人歩きをし始め、1歳になる頃には、大人の目を盗んで独りで外遊びに行ってしまうような子だったと聞いています。両親や叔母達や祖母の話では、俺の独り外遊びは普通のレベルでは無かったらしい。俺のお気に入りの場所は、我が家所有の、家から一番遠い田んぼだったと聞いているのですが、地図アプリで調べてみると、家からその田んぼまでは直線距離で200m以上、(使用アプリでは直線距離が出なかったので、アプリ地図上での目測値)道なりだと290mと出ました。農作業に行く両親や叔母達や祖母に連れられて、良く行っていた田んぼとは言え、1歳児が独りで遊びに行く距離では有りませんよね?祖母や両親は、その度に俺を叱って危険性を言い含めたらしいのですが、俺の独り外遊びは止まらなかったと聞いています。その場ではしおらしく泣いて謝っていたらしいのですが、翌日には怒られた事など無かったかのように、独りで家から一番遠い田んぼまで遊びに出かけていたと聞きました。どうも1歳頃の俺は、興味の有る事には我慢が効かず、思いのままに行動してしまう、幼児(まだ乳児?)としては独立独歩な自由人だったようです。(今は社会に出て鍛えたおかげで“幾分マシ”になっています) そんな俺の行動が、ある時から急に変わったと聞いています。妹が母のお腹に来てからの俺は、一人での外遊びを一切しなくなったそうです。代わりに、母に付いて回って仕事を手伝うようになり、しょっちゅう母のお腹の中の妹に話しかけていたらしい。ちなみに、妹だと解ったのは産まれてからだったそうです。 この話にも俺の性格が解る裏話が有ります。この頃の俺は2歳後半~3歳初めで、就園年齢に達していませんでした(※)
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すみません、長過ぎたのか途中で切れてますね。切れてる行から上げておきます。掃除のやり直しになれば、最初からキッチリ掃除するより時間がかかりますからね。それはチェック担当場所の掃除をする生徒達への指導にも現れていました。 掃除の仕方から上手い手の抜き方まで手取り足取り、先生のチェックが1発で通るように、俺の担当部署での再掃除は1回も無かったんじゃないかな?そのせいなのか、掃除のチェック担当部署の後輩からは慕われるようになりましたね。 世の中には、そんな俺の仕事ぶりを目敏く見ていて評価する人が居まして・・・陸上部顧問のI澤先生なんですがね、じつは清掃委員の顧問(副顧問だったっけ?)でも有りました。 I澤先生は、俺が中2の3学期頃から俺に色々と用事を頼むようになってきました。どうも、俺になら安心して仕事を任せられると思われていたフシが有ります。一刻も早く下校して、下校途中の妹と合流したい俺にとっては大迷惑な話。 最初は委員に関わる用事だけだったのですが、そのうちに委員外の仕事まで頼まれ始め、頼まれると中々嫌と言えなかった俺は、引き受けた仕事をキッチリ終わらせるうちに、I澤先生の俺への信頼が更に上がって、翌年の清掃委員副委員長に内定してしまいました。本来、次期副委員長は先生と正副委員長の指名で1年(翌2年)の委員から1人選出されるのですが、良い人材が居なくて、サポート&指導役として仕事に慣れた2年(翌3年)を2人目の副委員長として付ける事になり、それに俺が選ばれてしまったんです。2年の副委員長は翌々年度の委員長候補なので、サポート&指導役は大任です。出来れば断りたかったのですが、俺の目から見ても他に出来そうな人が居なかったので、断る事も出来ず引き受けてしまいました。まぁ、仕事的には2年の副の裏方的立場なので、まだ楽でしたけどね。 I澤先生に頼まれる仕事をキッチリ終わらせる俺の仕事ぶりは、他の先生方にも知られるようになり、他の先生方も用事を頼んでくる事が増えましたが、さすがにやり切れないので、I澤先生から以外の、特に大きな仕事は断るようになりましたが、1つだけ大きな仕事を引き受けました。正式名称は忘れましたが、新入生に関わる委員です。 仕事内容は新入生の入学準備から新生活に慣れるまでの補佐みたいな仕事でした。ナゼこの仕事だけ引き受けたかと言うと、新入生には妹が居るからです。俺と妹が通っていた中学は、1・2年のクラスが有る校舎と3年のクラスが有る校舎は、生徒の登校口から真反対の方向に有り、校内での1年と3年の接点が全く無い作りでした。 つまり、俺がただの3年だと妹のクラスが有る校舎にフラフラ立ち入る事が出来無いのですが、新入生に関わる委員になれば堂々と出入り出来る名目になるんです。そう思って引き受けちゃいました。 ※ 部活や委員の用事で出入りする事は出来ましたが、俺は部活を休部状態でしたし、 清掃委員じゃ1年のクラスに行かなければいけない用事なんて、ほぼ無かった。 という事で、中2の2月に入った辺りから、徐々に中学内での仕事が多くなり、新入生を迎えた4月からは、毎日のように放課後に残るハメになり、休日は平日の疲れから、農作業の合間は仮眠や昼寝を取るようになって、時間的・体力的に、妹に挿入行為をする事が出来なくなってしまったんです。 まぁ、悪い事ばかりじゃなかったけど。仕事で関わった同級生や後輩達が、俺の人柄と能力を知った事で、学校内での俺の株が急上昇しました。新入生に関わる仕事をした事で「友達がお兄ちゃんの事褒めていたよ」とゆうような話を、妹から良く聞くようになりました。どうも妹の親しい友達だけじゃなく、妹の周りで俺に憧れている発言をする人が多数居たらしい。女子生徒だけじゃなくて男子生徒も・・・。(あんな兄が欲しい、憧れるといった意見が多かったらしい)俺の妹という事で、妹も中学内で一目置かれるようになっ
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