私が、初体験したのは中2の時でした。
小1から近所のピアノ教室に通ってました。
個人宅で、マンツーマンレッスンで、当初は50くらいの御婦人に教わってましたが、小6で先生が30くらいの女性に代わりました。
先の先生の娘のレナさんで、後から聞いたら離婚して出戻りだそうで、レナさんも小さい頃から母親からレッスン受けて、セミプロでやっていました。
母親の体調不良もあり代わった訳ですが、ただのおばさんから、ちょっと色気ある年上お姉さんに代わった感じだし、ちょうど夏場に差し掛かり、胸元パックリなブラウスかつ、ブラも透けていて、正直レッスンどころでは無いのに、平静を装い弾くのに必死で、たまらんと思い、帰って想像しながら風呂場で初オナニーしたのも、この頃からでした。
中1の頃、レナさんの母親先生が入院、旦那さん(父親)が付き添いでレナさんだけの日、弾いてる最中、あまりの先生の色気にフル勃起。
様子に気づいたレナさんが、「あ〜笑」と言って真後ろから頭におっぱい押し付けながら、
「まだエッチ経験無いのぉ〜?」
とか言われながら、一緒にシャワーし、レナさんのベッドで初体験を済ませました。
レナさんが離婚したのは子供が出来ない体質が分かり、長男家でもある嫁ぎ先から三行半を下されたそうで、ただそのおかげで、最初からずっと中出しでした。
その後もご家族がいる時は、こっそりと口でヌイてくれたりしましたが、初めて激しくヤラせてもらったのが、中2の秋に初めて参加した全国規模のコンクールで、両親が都合悪く、レナさんが付き添いで泊まりで行った時でした。
ホテルは部屋こそシングルを別々に取りましたが、片方でヤリまくり、もう片方は寝るだけに使い、ほぼ朝までヤリまくって、レナさんもイッちゃって廊下を全裸で端から端まで歩いて見せ、私もそれで興奮して勃起してまた入れて中出しするの繰り返しでした。
元々、エントリーしたら誰でも出れるコンクールだったので、結果は散々でしたが、互いにほとんどエッチ目的の旅行だったので、それだけで満足でした。
高校に入り、吹奏楽のピアノはレベル高い子が居て残念となりましたが、コーラス部からピアノ伴奏でスカウトされました。
コーラス部の練習は大半は発声の基礎練習やパートごとに譜面見ながらアカペラでやっていて、ある程度固まったとこで全体練習やコンクール前に集中するものの、私の普段のレッスンはレナさんのとこは変わらず。
それまで毎年銅賞止まりの弱小なコーラス部でしたが、男声を抜いて参加したところ、あれよあれよと全国に。
しかし、男子部員は伴奏の私だけで、遠征のホテルで、部員は私だけシングル。
コンクールも無事終わり、レナさんにメールしながら、ちょっと寂しいなと送ると、『コンクール終わったし、今夜は◯◯がお世話するから』と何故か顧問の名が。
しばらくしてドアがノックされ、来たのは顧問の先生でした。
開けたらサッと中に入り、私を見ながら「まさかレナの男が君って…」と言われ、顧問とレナさんが知り合いと知りました。
中学〜大学の同級生らしく、しかも女子校でビアン関係で、たまに遊んだら精液臭がして、付き合ってる男性が居るのは聞いてたけど、さっき実は私と関係持ってるとメールされたと。
叱られるかと思いきや、着ていたホテル浴衣をはだけておっぱいを見せ、吸ってと言い、結局朝まで数発を中出しと口内射精しました。
顧問は既婚ですが、見合いで仕方なく結婚した一回り年上の旦那には興味無し。
子作りしたくもなく、こっそりとピル飲んで、たまに営みはするけど、元気無くて下手だし、たまにいい男子生徒がいたらつまみ食いしてたそう。
今回、他の男子部員を参加させなかったのは、ぶっちゃけ好みが居なかったのよねとカミングアウト。
ただ私は気に入ってくれ、レナさんとの3P等、卒業まで遊ばせてもらいました。
大学からもたまにそれぞれと会ってたりしましたが、就職して地元を離れてからは激減。
年末年始に会えたら、しますか?ってくらいでしたが、ここ数年はコロナ禍もあったせいで会えなくて、私も結婚しているので機会がありませんでしたが、昨年末、顧問から久しぶり連絡あったかと思ったら、レナさんの訃報が。
大腸癌で見つかった時には既に腹腔内に転移もあり、ご存命の父親曰く、見つかって3ヶ月だったようで、葬儀も近親者で、済ませたとのこと。
後日、顧問と伺うと、我々への手紙が遺されており、帰りに顧問と見たら、1枚目は普通に謝辞が。
更に中に封筒があり、そこには私への特別な感情が書かれていました。
それを見ながら顧問と号泣。弔いを兼ね、ホテルに行って手紙を添えながら顧問と愛し合いました。