運動部のクラブ活動が活発な女子校に中学から編入しました。
体操選手としての実績が入学する上でかなり考慮されたのは間違いありません。
従って、仮入部期間もなく、即入部でした。
皆、幼少時から繰り上がってきてるから、人間関係はほとんどできあがっていて、その辺が外様にはなかなかキツかったけど、なんとか辞めずにがんばれたんですが、その一番の要因は顧問の先生でした。
体操選手としてはやや肉付きがよすぎ、それが悩みの種でもあった当時…
通学では胸やお尻を触られたりの痴漢行為も多かった。
やっぱり中学生でEカップは軽くありましたから、目立ちすぎるんです。
レオタードになるのがすごく嫌だった。
それを武器だと思えるようになり、気にならなくなったのは顧問の先生のおかげでした。
その顧問は言ってみれば三番手に位置する顧問で、体操など全く知らない人。
名物顧問が家庭の事情でクラブの面倒を見れなくなり、二番手の先生が都合がつかない時の保険みたいな役割でした。
週に三回くらいその顧問の先生しか来ない日ができて、その日だけはわりと皆リラックスしてノビノビ練習してました。
取り立てて人気がある訳でもなく、どちらかと言えば目立たないタイプの先生。
私は些細な事からその先生に惹かれ、周囲からは相続もされないような積極性を発揮して、その先生を落とした…
私よりかわいい子なんてそれこそいっぱいいました。
でも、私より体が発育してる子はいなかったから、それを最大限に発揮してせまりました。
その先生が私を気にしているのもわかってましたから、物怖じすることもなかった。
正確には私の体に興味があったんでしょうけど。
それくらい私の体は他の子と差があった。
私があんまり仲間と群れてないところも、先生的には安心材料だったと思う。
あらゆる条件を満たした生徒から懐に飛び込んで来るんだから、よっぽどの理由でもない限り、理性を保てる男なんていませんよ。
先生は学校に近い実家住まいだったから、セックスは主に学校でしました。
私はわざと練習に遅れ、そのために居残りをしたりした。
体操部は週に一回しか休みがなく、練習が終われば皆ソッコーで帰ります。
電車の乗り換え駅の盛り場で少しでもフラフラ遊んだり買い物したりするのが唯一の楽しみだったから。
練習はその顧問の先生の時はかなり早く終わるから、それこそ皆我こそはと学校をあとにする。
その時、私は体育館の暗がりで先生とがっついてセックスしてました。
時間が限られてますから。
うちの学校は体育館が二つあり、小さな方が体操部の使用する体育館でした。
敷地が広い学校の中では一番不便な場所にもあり、戸締まりを済ませると体育館全体がベッド代わりになった。
体育館の小窓は中が覗けないガラスだったし、二回のバルコニーの窓も外からは全く覗けない。
一番したのは体育倉庫のマットの上でしたが、時には舞台やバルコニーやフロアなどでもしました。
短い時間でも必ず二回は出してました。
私もセックスにはすぐに慣れ、自分からも淫乱に求めてました。
子供の頃からかなり性欲は強かったと思う。
この先生との禁断のセックス関係があるから、嫌な事もスルーできたんですね。
こんなシチュエーションでセックスしてたから、のちに部屋で公認の相手に抱かれても全然イケなくて悩みのタネになりました。