私が童貞を捧げたのは16歳の時、相手は53歳の美熟女教師で、中学時代の担任だった綾子先生でした。
黒髪ストレートでお淑やかさに溢れ、53歳には見えない若々しい美魔女でした。
母親より10歳も年上の綾子先生でしたが、母親よりも若く見えたし、美人でした。
卒業するとき、先生とお別れするのが哀しくて涙ぐんだら、私が先生を好きなことを知っていたようで、
「康太君、時々遊びにいらっしゃい。」
と言ってくれたのがとてもうれしかったです。
高校生になってすぐのゴールデンウィークある日、自転車でホームセンターに行った帰り、一人の女性とすれ違い、それが綾子先生だと気づき急ブレーキ、
「先生。綾子先生。」
と声をかけたら、嬉しそうに微笑みました。
すると、先瀬瑛の住まいが近所だったこともあって、部屋に誘ってくれました。
先生は2LDKのアパート住まいで、40歳の頃に離婚して、元ご主人のところに娘さんがいると言って、
「あの子も大学出て社会人一年生かあ・・・」
と言っていました。
その日は、コーヒー飲んで暫くおしゃべりして帰りましたが、
「先生、ずっと一人だから、寂しかったんだ。まさか、受け持ってる生徒を部屋に入れるわけにはいかないけど、卒業生ならいいわよね。康太君、またおいでね。」
と言われたので、土曜日の午後に先生の部屋を訪ねました。
すると、先生は外出から帰ったところみたいで、学校で見たような紺のスーツにタイトスカート姿でした。
「ちょっと待ってね・・・」
というと、ふすまを開けて隣の和室に行き、スーツを脱ぎ、タイトスカートとブラウスも脱いで下着姿になり、それを見てしまった私は勃起してしまいました。
先生はTシャツと部屋義のスカート姿でリビングに戻ると、前屈みになっている私の股間に気づき、
「どうしたのよ。ねえ、なんで?やだァ・・・」
と言われ、私は、
「先生の着替え、見えちゃって・・・ああっ・・・」
「ちょっと、そんなところで漏らさないでよ。ズボンとパンツ、脱ぎなさい。」
と言われ、急いで脱ぎ始めると、先生も下半身裸になってて、
「そこに仰向けになりなさい。先生が処理してあげるから・・・」
私は、16歳の童貞を53歳の綾子先生の騎乗位の生膣で卒業し、そのまま閉経した子宮で、あっという間に精液を搾り取られました。
初めて見た女性器は。紫色でものすごく卑猥でした。
一度射精しても先生は腰を浮かさず、
「若いんだから、何度もできるわよね・・・」
というと腰を振られて、射精したばかりの敏感陰茎を刺激されて悶絶しました。
そしてこの日、先生の子宮に5発の射精をして、
「先生も満足したわ。また、いらっしゃいね。」
と言われました。
それからというもの、先生とは毎週土曜にセックスをしていました。
先生の部屋に行くと、まずはシャワー浴びて、ベッドで全裸で抱き合って、ベロチューしました。
16歳の少年が、53歳の美熟女教師と裸で抱き合い舌を絡めて37歳差のキス、それから先生の指導の下にクンニ、そしてフェラされて、たまにあまりの快感に先生のお口に出してしまうこともありました。
すると先生はニコッと笑って、我慢汁と精液が混ざった体液をゴクリ、舌を亀頭に絡みつかせて、喉を鳴らして最後の一滴まで飲み干しました。
「若い高校生の精液は、若返りのエキスね。」
とご満悦でした。
高校生の性欲はバケモノで、一度射影したくらいでは収まらず、まして、目の前には恋焦がれた綾子先生の女体ですから、抱きつくと綾子先生は大股を広げて、ズボッと若い陰茎を受け止めました。
夏休みなどは、綾子先生の非番の日を狙って、頻繁にセックスしました。
エアコンが効いていても、若い身体と熟れた肉体を絡ませ続ければ、玉の汗を浮かべながら、連続してイキ果てました。
好きな先生に生挿入して中出しする・・・こんなに素晴らしい経験はありませんし、今思えば、先生も閉経してから37歳年下の教え子の精液を搾り取れる興奮に酔い痴れていたんだと思います。
綾子先生は、五十路でしたがとても綺麗で、特に裸は、肉付きのいい太腿からお尻にかけて、若い陰茎をそそり立たせる魅力がありました。
先生に教えられた愛撫とクンニとキスで、たっぷりと前戯に時間をかけることを覚えました。
毎回先生の方から騎乗位で陰茎をを挿し込むスタートで、
「あぁ・・・入ってる・・・高校生のチンチンが入ってる・・・」
と言いながら、ハァハァと徐々に息が荒くなり、
「あぁ~~高校生の固いチンチン気持ちいい~~」
腰をクイクイさせて、Dカップを揺らしながらヨガりまくりました。
私と先生は、深く、激しく愛し合いました。
次第に私もセックスが上達し、まるで大人同士のセックスのように濃厚に絡みあいました。
それでも、別れはやってきました。
私は大学進学で上京することになり、先生に、
「行ってきます。夏休みには帰るので、また愛し合いましょう。」
と言って、
「お勉強、頑張るのよ。」
と言われて旅立ちました。
大学では、既に女体の扱いを知っていた私は、好みの女子大生に気軽に声をかけて、仲良くなりました。
熟女で女を覚えた私は、同い年より年上の先輩が好みで、1年生のくせに4年生を口説いて、
「この子ウケるわ~」
と言われて、お姉さんが教えてアゲルとばかりにベッドインしたら、五十路熟女の手解きを受けた愛撫にメロメロ、クンニにヘロヘロになっているところに怒涛の生挿入で膣内を抉られて、
「?でしょう~あぁ、あぁ、ダメ、頭がおかしくなるぅぅぅぅぅぅ」
と言って、1年生にイカされてしまいました。
夏休み、東京土産を持って帰ると、すぐに綾子先生を訪ねました。
すると、先生が居た部屋には、別の人が住んでいました。
中学を訪ねると、先生は遠い学校へ赴任していました。
先生は、それを私に黙って、ひとりで姿を消したのです。
教え子との37歳差の恋、しかも男と女として愛し合ったことに贖罪を感じたのかもしれません。
先生が決めた別れだから、受け入れました。
先生が居たアマートの前で、
「先生、さようなら・・・」
と言って、アパートを後にしました。
私は、大学時代、3年生までは4年生キラーとして、何人もの4年生の女子大生を蕩けさせてきました。
でも、4年生になって、2年生の女子大生に告られて、初めて処女喪失を経験しました。
そして、処女に性感を教えるという、面倒だけどやりがいのある仕事をやり切って、卒業しました。
地元に戻り、就職して、その頃には熟女でも若い女性でも、容姿だけじゃなく中身を重視するようになってて、27歳で24歳の妻と結婚しました。
今年結婚して10年、中身を重視して結婚したはずが、子供を二人産んで、三十路になった妻を見ると、どこかに綾子先生の面影があることに気づきました。
そんな時、中学の同級生から、綾子先生の訃報が届きました。
先生は、とっくに定年退職してて、隣町の山間のホームにいたそうです。
享年74歳、先生は、身寄りがなく、一人静にお亡くなりになったと聞きました。
離婚した元ご主人の元に娘さんがいるというのは嘘で、生涯独身だったそうです。
先生が葬られた共同墓地に行き、花と線香を手向け、手を合わせました。
先生に、結婚して子供がいること、そして、妻は先生に似てることを報告しました。
帰ろうと後ろを向いたら、
「康太君。」
と聞こえたような気がして振り返ると、
「勝手にいなくなってごめんね・・・」
とでも言いたげな先生の幻が、フェードアウトするように消えていきました。
そして、やっとなぜ先生が黙って消えたのか、その答えにたどり着いたような気がしました。