検索ではすぐにヒットした。その自助グループは、その名の通り、車椅子や体の不自由な人たちが、自立した生活ができるように生活サポートをしている団体だった。その中の活動実績のコーナーの写真では、あの荒木らしき人物が多くの写真に写っており、おそらくこの団体のスタッフか、あるいは主要メンバーであることは容易に想像ができた。またその施設のある場所は豊島区。俺の住む家とさほど距離が離れているというわけではない。そんな検索をしながら、(何やってんだ俺。仮にあれが数年前に小学校で一緒だった荒木だとして、今更何になるんだよ・・w)とそのHPを閉じたのだった。しかし、俺の潜在意識に入り込んだ、荒木との再会。それは俺のホストでの仕事にも大きな影響を与えていた。(おそらく)荒木であろう人物の、あの颯爽とした爽やかなイメージと、あの団体の中でのはつらつとした笑顔を見てみると、それに比べて、俺の環境は、タバコ臭てうるさい音楽にドンちゃん騒ぎ、ワインやシャンパンの一気飲み、アホの集団がアホな事をやっているのである。少し前まで俺もそのアホ集団の一員だったのだが、俺はどんな心境の変化があったのか、そんなアホな仕事をアホらしく思えてきて、仕事もやる気がなくなっていってた。(またいつもの怠慢クセが出てきたか)と思っていたが、その時はなにかいつもとは違う感じがあった。気が付けば毎日、その自助グループのHPを見ている俺がいて、数日後、あの東京都庁見学の活動も写真アップされていたのだった。俺は冷静に考えた。仮に今、あの自助グループの施設を訪問し、「荒木さん。という方は在籍していますか?以前に町で見かけて、もしかしたら彼女、僕の小学校の同級生かもしれないのです」ということが、そんなにおかしいことかどうか考えた。それにHPにも「見学はお問合せください。」みたいな部分もあるし、外部との接触を拒んている組織には見えない。数日は何のアクションも起こせないでいた。そんな俺はある土曜の朝の9時頃、突然目が覚めて、朝だから夜と意識が変わっていたのか、まるで何かに導かれるように、、(よし。。。行くぞ)と決意している俺がいた。そして俺は持っている中でも地味なスーツを着用し、髪の毛もホスト風というよりかは、少し長いだけで若者風という感じに仕上げ、無駄にチャラチャラしたブレスレットや指輪などは一切つけず、今風だけど、質素な若者を演じて、俺はその豊島区の自助グループ施設へと足を運んだのだった。事前になんの連絡もないアポなし訪問。果たしてこの物騒な事件もよくあるご時世で、俺は不審者に思われないだろうか。そんな事を考えながら俺は夏の照りさかる太陽の下を歩いていた。そしてHPの地図を携帯でみながら、その自助グループに近づいてきたとき、どうやらそのグループは思っていたよりも大きいグループであったようで、施設には運動場がついていた。正面玄関にはインターフォンがあったが、それを鳴らして、誰かが出た段階で、「荒木さんっていますか?」というべきなのかも迷った。かといって大声で「すみませーん」と、インターフォンがあるのにも関わらず、大声で呼ぶのもどうかと思った。そんな感じで躊躇していたら、その自助グループのスタッフらしき、エメラルドグリーンのポロシャツを着た40代くらいのオバチャンが、怪訝そうに、「何かご用ですか?」と俺に聞いてきた。俺は「あ、こんにちは。あの、荒木さんに面会に来たのですが・・」と、そんな言葉がふと出てしまった。オバチャンは、「荒木、、、女性の?」と俺に聞いてくるので(男の荒木もいるのかな?)と思いながらも、「はい、そうです。」と答えた。オバチャンは「ちょっと待ってね」と中へと消えていき、俺の心臓の鼓動はピークに達しつつあった。そして一度消えたオバチャンは、また出てきて「あの、どちらさん?名前は?」と遠くから俺に聞こえるような大きな声で聞いてきた。それに俺は「酒井と申します。」と、そのオバチャンに聞こえるように俺も大声で返事したのだった。するとオバチャンはまた施設の中に消えていった。そしたらオバチャンはまた出てきて、「今、荒木さん買い物行っててもうすぐ帰ってくるって。中のロビーで待ってて」と案内され、俺はそのロビーのソファーへと座った。ロビーでは、その自助グループの利用者が作った工作物や、絵画、そんなものが陳列してあった。待つこと15分、かなり長く感じた。すると奥の職員が使うエリアの通路のほうから「唯ちゃーん、お客さんきてはるよー」と、あのオバチャンの声が館内を響き渡り、「はーい」
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デートの約束をした日、その日の夜に俺は実家に電話をかけ、いきなり電話に出た母親をまくしたてた。俺「なぁ、あの屋根裏収納スペースに置いてた弘明(弟)が小学校の時に使ってたドラゴンボール筆箱あっただろ!!???」母「いきなりなんやのよ!そんなん知らんわ」俺「とにかく屋根裏行ってくれ。そしたらなんかブルーかなんかの箱があるわ。その中に筆箱はいってるから見て!早く!」という具合だった。母は「ちょっと待って、もー!テレビ見てゆっくりしてたのにー!」と電話を切ってきたのだった。それから数分後、「なに?これのこと?」と屋根裏のガラクタ置き場においてあったドラゴンボール筆箱を見つけたらしく、色や形状が、あの時のものと同じだったので、俺はそれで間違いないと確信し、「とにかくそれ、すぐ送ってくれ!!!」と住所を伝えた。母親は「こんなの何に使うんよ?」と聞いてきたので、俺は「んとー、あれだ、ほらドラゴンボールマニアがいてだな、そいつが言うのはあの時代の文房具にプレミアがどうこういってたので、その可能性が高いんだよ!」とごまかした。そして数日後、そのドラゴンボール筆箱が到着し、外観を見ると、やっぱりあの時の筆箱だった。そして筆箱の中を見ると、中にはドラゴンボール以外の鉛筆やシャーペンなども混ざっていたが、ドラゴンボール鉛筆とドラゴンボール定規も中に入っていた。(やった・・・・!!!!!) 今までホストクラブに通う女から、少しくらいは高級な時計とかもらったことがあったが、汚くなったボロボロのドラゴンボール筆箱ほど、うれしいプレゼントはなかった。俺はこの筆箱で当日、驚かしてやろう。と思い、俺はカバンの中にそれを格納し、日曜日をまったのだった。日曜日、JR大塚駅。俺は改札口で荒木が来るのを待っていた。すると荒木は駅からではなく、北口のほうから現れてきたので、まず最初の会話は、「あれ、大塚に住んでるの?」だった。そして荒木は「うん。10分くらい歩くけどね」と答えた。俺は「じゃ、どこいく?」と聞いたが、「うーん・・・」と二人ともなってしまい、俺は前まえから行きたかった靖国神社へ行ってみようと思い、荒木に「靖国でいい?wなんかマニアックだけどww」ときいてみたのだった。荒木は「うんw どこでもいいよw」と答えたのだった。すると荒木は、手元のレバーを前に倒すと、車椅子が前に進み、俺は「あ、、俺、押すわw 久しぶりに押させてw」と聞いてみた。すると荒木は、「バッテリー積んでるから重いよ^^」というのだった。俺は「大丈夫w」といって車椅子の取ってをつかみ、大塚駅北口から、メトロ大塚駅まで歩いて車椅子を押すことになったのだった。(懐かしい・・・。こうしてあの時も、荒木の頭のてっぺんのうずまきをみて歩いていたな。。。)なんて思いだしていた。そして日本は、意外といい国なんだな。とも思った。いろんなとこに身障者用のスロープがあったり、バリアフリーで段差がなかったり。駅にはちゃんとエレベーターが設置してあって、電車がきたら、電車とホームの橋渡しをするための板を設置してくれたり。夜の世界にいたら、絶対に見えることのない世界が見えていた。そして靖国神社まで移動する間、俺と荒木は懐かしい話をしたり、転校してからどんな生活をしていたかとか、同級生の〇〇覚えてる?とか、そんな身の回りの話をしていた。俺は自分が中卒であり、仕事が水商売で、しかも底辺のホストであるなんて言えなかった。もともとサービス業に興味があって、今はバーで働いてる。とだけ言っておいた。だが、小学校の時と、今俺が押している荒木はまるで別人だった。こうして背後から車椅子を押しているだけで、いろんな人とすれ違ったが、きっとこの荒木の美貌と、その車いす。というギャップに驚くのだろう。みな、二度見してくるのを感じた。(荒木はこの時、ちゃんとメイクしてきていた)そして当時は夏の暑い日だったので、日本全国の女性が薄着になる時期でもあるのだが、車椅子に乗る荒木もその例外ではなく、俺は上から見下ろす荒木のブラウスから、ピンク色のブラとふくらんだ胸の谷間が少し見えて、(こいつも大人になったんだな・・・)と感慨にふけっていた。そして靖国神社を見学し、そして遊就館に入ろうとしたとき、俺はカルチャーショックを受けることになる。遊就館の入り口にあるゼロ戦の実物を見て、(なんか燃えてきたぞww)とミリタリー好きの血をたぎらせていたところ、荒木が「お手洗いいっていいかな・・・」と言ってきたのである。俺は「うん、先トイレ行こうか」と荒木を押して、トイレの前まで来たのだが。。。俺「え、、とここで待ってたらいいの?」と聞いた。する
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カラオケに行き、そしてエレベーターに乗り、2階で受け付けを済ませ、案内されたのは「車いすのお客様が1名ですね?では2階の段差がないところをご案内します」と、ここでも車いす対応がされているのかと感心した。日本はほんといい国である。そして俺たちはカラオケの一室の中に入り、スピードメニューを見ながら、ビール、カクテル、フライドポテト、小エビのから揚げという定番メニューを注文し、それを飲みながらワイワイとしゃべったり、歌ったりをしていた。生来、足が不自由で車いす生活の荒木からすれば、運動ができない分、カラオケというのは昔っから大好きな趣味であり、歌も信じられないくらい上手で、(真剣に歌手になれるんじゃ・・・)というくらい歌が上手だった。そしてやっぱり、酒を飲んだらトイレが近くなるのは当然の事であり、荒木がトイレに行きたい時は、俺もトイレに付き添っていき、「ヨイショ」と手慣れた感じで荒木を座らせると、俺は外で待つ。という感じになっていた。そしてカラオケ店で歌うこと3時間、飲んだ量は、俺はひたすらビール、荒木はカクテルという具合に、そこそこ酔ってきて目の前がフラフラし始めたとき、カラオケ店からの「延長しますか?10分前です」という室内電話が鳴ったのだった。俺たちは「どうする?」と顔を合わせたが、けっこう飲んで歌ったというのもあったので、「延長はいいです。」とカウンターに伝え、俺と荒木は支払い伝票を持って会計を済ませて店を出たのだった。もう夜になっていた。俺と荒木は都電荒川線の路面電車の線路にそった道を、夏の夜風にあたりながら、俺は荒木を家に送るのに車椅子を押していた。すると、途中にいい感じの広い公園があったので、少ししゃべって帰ろうと、俺たちは公園の中に入った。そして俺はその公園で酔っ払っていたということもあり、少年の気分に戻って、地面から吹き出す噴水と戯れていたのだった。そしてふと、車椅子の荒木を見ると、荒木はなぜか悲しそうに下を向いているのだった。俺は(足の不自由な子の前で、噴水の水を蹴ったり、飛んだり跳ねたりしたのがマズかったのかな。。。)と思った。俺「どうしたの?気分悪くなってきちゃった?」と聞いた。すると荒木は「うんうん・・・(違うの意)」とだけ答えたのだった。そして俺は異変に気が付いた。車いすの車輪の足元に、、、ポタポタと荒木が座るシートを透き通って水がしたたり落ちているのである。俺は(あ、、、やっちゃったか・・・)と思った。荒木はすると俺に気が付かれた事を察知し、すすりなき始めた。俺は「気にしなくていいよ!」と励ましたが、荒木はグスグスと泣き続けるのである。そしてやっと口を開いたかと思うと、「今日、1日で、なんかいトイレ付き添ってもらった?もう情けなくて!!!」と、本音をぶつけてきたのだった。(荒木なりに酔ってるじゃんw)と水商売慣れしている俺はそう思ったが、荒木は荒木なりに、俺に何度もトイレに連れて行ってもらうのが恥ずかしくて、あと少しで家だと思って我慢してたけど、我慢できなかった。という感じなのである。俺は腹を割って話した。俺「あのな、俺、、さっきはバーで働いてるって言ったけど、本当は水商売で生きてるんだ。ホストクラブっていうとこ。そこには、いろんな女の子の客がいてね。シャンパン一気飲みしてぶっ倒れる子。店の中でゲロをはく子。あるいはトイレ間に合わずに、漏らしちゃう子。いろいろ毎日のように見てる。そんな仕事をしているのを、隠してバーで働いていると嘘をついている自分が、俺は一番情けない奴だって思ってる。でも、荒木さんは違うでしょ?ただ、本当に心がきれいだから、俺に申し訳ないって思って、、、こうなっちゃっただけで、人間として恥ずかしくもなんでもないんだよ?情けないことじゃないんだよ?情けないのは俺のほうだよ。。」と言った。すると荒木は涙目の顔をあげて、「うん・・・ありがと・・」と言って、まだ鼻をグスグスさせていた。俺は(そうだ!いまだ!)と思い、「これ覚えてる??」と自分のカバンをまさぐり、、出したのはあのドラゴンボール筆箱だった。荒木は「え・・?」といった後、「わあ・・・ これ!!!! 私が買ったやつだ・・・・ずっと持ってくれてたの!??」とボロボロになった筆箱を手に持っていた。俺は間違っても、弟の弘明に上げた。とか言えず、、「うんw」とだけ答えた(笑)すると、、「うれしい・・・・!!!」と言って、また号泣しだすのであった。俺も涙がちょちょびれた。
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