一昨年、母親が亡くなり、実家に誰もいなくなったので、家を処分することになった。
それで、家財の整理に、久しぶりに郷里へ戻った時のことだった。
押し入れの奥に仕舞ってあった、僕の小中学校時代の荷物の中に、空色の封筒に入った手紙が二通、きれいなお菓子の空き缶に、まるで宝物のように納められていた。
忘れてはいけないことを忘れていた。
もう30年以上も前のことだ。
僕なんて、ずっとモテることなかった。
別にデブでもチビでもないけど、顔の造りが平凡なんだろう。
不細工って言う訳じゃないとは思う。
華がないんだ。
小学校の時に、好きな子がいたんだけど、その子のことは僕の黒歴史になっている。
僕の取り柄と言えば、人がいいことぐらい。
頼まれるとイヤと言えないタイプだ。
ヤスオカの“ヤス”は安請け合いの“ヤス”と言われるほどだった。
でも、中学に入ると、いろんな小学校の子が集まってくる。
物好きがいたんだ。
僕の下足箱にラブレターが入っていた。
オープンタイプのただの棚みたいな下足箱にだ。
誰からも見ることができる、そんな場所に、よく入れようなんて思ったもんだ。
一応、上靴に突っ込んだ形で、人目にはつきにくい状態にはなっていたが、そのせいできれいな空色の封筒が、シワだらけになっていた。
とりあえず、勇気ある行動に敬意を表して、人気のないところで開いてみた。
人気のないところで読むのは、僕の顔がニヤケているからにほかならないが。
簡単に言えば『好きです。付き合ってください』
と言うようなことを、一生懸命考えたんだろうか、僕がまるでハリウッドスターのような書きぶりで綴ってあり、ふだん余り本を読まない僕には、便箋7枚はきつかった。
「せめて、自分の名前ぐらい書けよ……」
直接渡すつもりだったのかもしれないけど、名前を書き忘れるドジぶりと文面から、相手が容易に推察できた。
同じクラスの、キムラさん。
あれは先々週の美術の時間だった。
造形粘土で向かいあった人の頭部を造る課題で、僕は、ヤマグチの突き出たデコをデフォルメしたような傑作を造っていた。
授業が終わって、次の週まで制作途中の課題を置いておく棚に仕舞い、美術室から教室に戻ろうと廊下を歩いているとき、キムラさんが走ってきた。
「ヤスオカくんごめん。課題、ぶつけちゃって……」
「ああ、いいよ別に」
ちょっとぶつけたぐらい、来週手直しすればいい。
「でも……」
よくみるとキムラさん、顔色が悪い。
ひとまず、美術室に引き返すことにした。
美術室の棚の前にはまだ何人かが残って、成り行きを伺っていた。
話を聞くと、キムラさんが自分の課題を棚に置こうとしたとき、誤って僕のに手が当たってしまったらしい。
「気にせんでいいよ。すぐに言ってくれてありがとう」
僕は、手が当たって棚から落ちた後、慌てたキムラさんに蹴飛ばされて足形のついた課題を棚に戻して、その潰れた粘土塊を指差した。
「ヤマグチのやつ、こっちの方が男前なったんちゃう?」
回りにいた連中が笑ったので、キムラさんも少し頬を緩ませていた。
僕としては、壊れたものをとやかく言っても仕方ないし、ちゃんと謝ってくれたわけなんで、ほんとになんとも思ってなかったんだけど、ラブレターによると、キムラさんは、ずいぶん感動したらしい。
そんなので感動するなんて、あの黒歴史の女の子に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたかった。
僕は、読み終えた手紙を学生服の内ポケットに突っ込んで、教室に戻った。
教室にキムラさんがいる。
僕が入っていくと、それだけで彼女が緊張感しているのが伝わってくる。
放課後までの一日、キムラさんを観察することにした。
実際、今までそれほど意識してみたことがなかったからだ。
体型はポッチャリ、いや太ってる?
でも、デブと呼ばれる範囲までは行っていない。
身長は僕より10センチ以上は低いけど、きっと体重は上回ってるだろう。
コロコロしてる。
前髪パッツンで、肩甲骨までの黒いストレートヘアは風にサラサラと揺れて、キムラさんにはもったいない。
焦げ茶色の樹脂フレームの大きな眼鏡を掛けてて、余計に顔が大きく見える。
まあ、余り美人ではないと思う、だいぶ抑えた言い方だけど。
鼻が上を向いてるのがウィークポイントなのかもしれない。
その体型なのに、他の子と比べてもオッパイは未発達に見える。
まあ、中1ではその点は仕方ないかもしれない。
それで、自分への自信のなさのせいか、何となく暗い。
キムラさんの回りだけ、教室の照度が二分の一になってるような気がする。
そんな感じで、親しい友達はいないみたいで、近くの子と何かおしゃべりする以外は、たいてい図書室で借りた本を読んでいる。
文学少女なのだろう。そう思うと、あんなラブレターを自力では書けた理由が分かるような気がする。
真面目、一途、ひたむき。
キムラさんのいいところは、男子にとっては面白味にかけるポイントばかりだろう。
昼のお弁当も一人で食べてた。
でも、いじめとか無視とかじゃあないみたいで、本当に一人が好きなようだ。
でも、それなら“彼氏”なんて要らないんじゃないかな?
僕は、キムラさんが本の中に出てくるような、恋愛に憧れてるだけなんじゃないか、恋に恋するってやつじゃないかと思った。
放課後、僕は人の少なくなった教室のすみでキムラさんに声をかけた。
その場所にキムラさんがいたのは、たぶん僕が声をかけやすい場所に誘い込む作戦だったんだろう。
僕は、内ポケットから空色の封筒をちらっとだけ見せて、
「これ、見覚えある?」
と、確認した。
「あ……」
キムラさんが震えるように頷く。
「名前、書いてなかったから」
「え、あぁ」
キムラさんは真っ赤になって俯く。
「それで、手紙貰ったのは嬉しかったんだけど、キムラさんのこと、今まで好きとか嫌いとか考えたことなくて、友達としか思ってなかったから……」
そこまで言ったところで、キムラさんは突然しゃがみこんで声をあげて泣き出してしまった。
「ちょっと、キムラさん」
僕がキムラさんをなだめようとするよりも早く、回りに女子が集まっていた。
「どうしたん?」
「ヤスオカくん、キムラさんに何か言ったでしょう!」
口々に責められる。
「何も言ってないよ」
「何もないのに泣くわけないやん。何かスケベなことしたんちゃうん」
「してないって!」
女子たちは、僕がキムラさんにブスとかブタとか言ったか、スカートを捲ったかしたと思っているようだった。
でも、まさかキムラさんにラブレターを貰って、それを断ったとは、みんなの前では言えなかった。
なので、僕は、理由のないまま、キムラさんが泣き止むまでひたすら謝り続けなければいけなかった。
それでも、まあ、これで、キムラさんも落ち着いてくれるだろうと、内心ホッとしていた。
その翌朝、通学路にキムラさんが立っていた。
「友達でいいから……」
ボソボソとした話し方が暗かった。
「うん、まあ、友達と言うことで」
僕の顔はひきつってたと思う。
そこから一緒に学校に向かったんだが、これって友達なのかと疑問が浮かんだ。
「私、友達、いなかったから」
キムラさんは、心なしかニコニコしているようで、勘弁してくれと叫びたかった。
それ以降、登下校時にはキムラさんが待っているようになった。
そんなことが3日も続けばみんなに知れることになる。
僕とキムラさんが並んで教室に入ると、デリカシーなんて持ち合わせていない連中が、あっさりと聞いてくる。
「おまえら、付き合ってんか?」
キムラさんがすぐに否定したんだけど、その言い方が微妙だった。
「そんなん、違うって。ウチらただの友達やから。ねぇ」
さらっと言えばいいのに、照れ笑いしながらこっちにアイコンタクトしてくると、逆に何かありますと言ってるように感じるもんだ。
僕は、告白されたのをちゃんと断ったはずだったのに、いつの間にか付き合ってることにされてしまった。
やるじゃないか、キムラさん。
でも、絶対に身の潔白を証明して見せてやる。