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幼少期のエッチな遊び RSS icon
※お医者さんごっこ等

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恋人ごっこの罠

投稿者:サファテ ◆SRbeC9UcEs
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2025/09/22 21:36:47 (tAx88tu/)
小学5年〜6年にかけて
男女2×2で交換日記をしていた
オレの友達のケンジとジュンコとショウコだ

女子同士で交換日記をしていたのは知っていたが、そんな面倒くさい事に興味は無かったが提案されたノリでやる事になった

ジュンコは明朗快活、ショウコはおっとりした性格で、4人のリーダー的存在はジュンコだ

恐らく、男女混合交換日記の発案はジュンコだと直感していた

交換日記の内容は他愛無い事で、身の回りで起こった事や感じた事を綴る感じで、女子は文章力に長けていて徒然と書き流す

ケンジは俺よりガサツで機転も効かないので「特に何もなかった」で済ませても平気な奴だった

俺は自分の事を書くのは照れ臭かったので、「30個の質問」とか「10問クイズ」など、女子の書きネタになりそうな投げかけを多用してしのいでいた

ジュンコは教室でも俺に話しかける事が増え、内心「日記に書けばいいやろ」と思うくらいグイグイきていた

休み時間、俺は一人廊下に出て窓の外の景色を見て近眼防止の眼のエクササイズ的な事をしていた

その時もジュンコはそおっと俺に近づいて背後に立っていたので、振り向いた時に何度も驚かされた

ある日、いつものように外の景色を見ていたら、太ももに固いものが当たるなぁと思って振り返るとジュンコがいて、太ももにジュンコの恥骨が押し当たっていた

変に騒ぐと良くないと察し、ジュンコも恥骨が当たっているのを気付いてない程にしてやり過ごした

ジュンコの恥骨押し当ては、その後も何度もあったが気付いてないフリで諌める感じだった

ただ、ジュンコが俺に気があるのは感じていた。他の女子と話をすると、割り込んで会話に加わったり、ツンケンした態度になったりと徐々にあからさまに不満気な空気をだした

5〜6年合同の課外活動で、担任が料理部担当になるのを知って、料理部に希望を出すとジュンコも料理部に入ったりしてきた

俺は奥手だったので、振り返ると恋愛感情について、とても疎かったと分かるが、当時の自分はジュンコの気持ちを汲んではなかった

おそらくジュンコの気持ちが抑えきれなかったんだろう、「一緒に勉強しよう」と言い出しジュンコの家に招かれた

4人でと思っていたが、誘われたのは俺一人で二人っきりの空間で勉強するシチュエーション(ジュンコの両親は共働き)でジュンコは一人っ子なので、広い一軒家にノコノコと上がり込んだ

ジュンコは学校では長い髪をツインテールにしたり、編み込んだりしていたが
その日はロングヘヤーに軽くウェーブがかかり大人っぽい印象だった

リビングのテーブルに並んで宿題を片付けて一息つくと、ショートケーキと紅茶を運んできて嬉しそうに話し出した

ジュンコの調子に合わせて合いの手を入れたり、質問したりしていたら急にジュンコは黙って俯いた

「ジュンコ?どうした??どっか痛いんか?」

「ううん」

俯いた顔を下から覗き込むと
「ゲームか何かで遊ぶ?」

「いいよー、何する?」

「恋人ごっこ とかぁ」

「なにソレ? 笑笑」

小学6年でごっこ遊びとか幼稚で吹き出してしまったが、やった事無いのは間違い無かった

「じゃあ、やってみるか!どうすれば良い」

「◯◯くん(俺)とワタシが恋人と言う設定で…」

「分かった、分かった」
と言うとジュンコの表情がパッと明るくなり、ピタッと横に座り直した

「あのさ、どうすれば良いか分からんけど?」

「恋人同士がしそうな事をすれば良いんよ」

俺はジュンコの手を握ると、ジュンコは恋人繋ぎに握り直し、頭を俺の肩に乗せて体重を預けた

その場の空気が変わり、二人とも無言の状態が続く・・・ジュンコの顔が近づいてきて自然と唇を重ねた

▶︎ 続く
1
2025/09/19 14:26:27 (nqCtf7s9)
ミホさんの投稿読ませていただきましたが、私も子供の頃にミカン畑や雑木林の連なる田舎で育ち、近所の男の子とエッチな遊びをしてました。ミホさんの書き込み内容ほど大人っぽい事をした訳ではありませんが、小学4年生の秋寒く感じる様になった頃、荒れたミカン畑の跡地で同級生の男の子と裸でエッチな遊びをしました。それまでもお互い裸になって性器を見せ合ったり触ったりはしていたのですが、胸も少し膨らみ始めたのに私は羞恥心をほとんど感じませんでした。それがその日は男の子がどこかで拾ったらしいビニールの紐を見せて、これでお前を木に縛る、と言って本当に枯れた大きな夏みかんの木に後ろ手に縛られました。お前を縛る、と言われた時、私の胸が急にキュンとなって割れ目からもおしっこがちょっと漏れそうな感じがしました。私が、本当に縛るの?と聞くと男の子は上ずった声で、本当に縛る、裸で縛っていじめる、と言いました。それを聞いて私は頭の中がぼーっとなり、いいよ、と答えたんですが、私の声も男の子と同じ様に上ずっていました。私は両手首を縛られた後、夏みかんの木の幹に胸やお腹をグルグルと縛りつけられて本当に動けなくされました。その格好で男の子から尖ってきた乳首や割れ目を弄られたのですが、乳首やクリを乱暴に弄られて痛いのを、縛られてるから仕方ないんだ、と思いながら我慢してたら、精神的にもすごいエッチな気持ちになり、乳首やクリを男の子の指で乱暴に弄られるのが、痛いけどいやらしい感じに思えました。私は泣きはしませんでしたが、後で男の子に聞いたら小さな声で、赦して、赦して、とつぶやき続けて、男の子が止めようとしたら、もっとして、可哀想にして、と言ってたそうです。その男の子とは結婚した今もNTR相手として旦那公認でお付き合いしていますが、今もバイブなどで責めてくれる時に言葉でいじめてくれます。
2
2025/09/18 21:12:49 (qxDxidcF)
田舎で育った私(ミホ)は大自然の中を駆け回るように過ごしていました

その当時、田舎では娯楽などないため大人はお酒とセックスを愉しみにするぐらいだったと思います 笑

庭にある農機具を置いている小屋があり、そこには今で言うロフトの様な場所があって、わら束が敷き詰められていました

その場所では両親や近所のおじさんやおばさんが何やらやっている声が聞こえてきました

女の喘ぎ声が漏れ聞こえ、幼いながら隠微な空気は感じていたので、ある日覗いてみました

ハシゴを音を立てないように上がりゆっくりと呼吸をしながら見ると、下半身だけ裸の男女が寝転がってお互いの陰部を弄りチュパチュパ音を立ててキスをしていました

女は母親で、男は同じ集落のお兄さん(20代)でした。母はお兄さんに跨り反り立ったものにゆっくりと腰を沈め

段々激しく腰を振り、ビクッと体が弾けるとお兄さんにしなだれて舌を絡ませていました

音がしない様にその場を離れて、夕方近くまで川遊びをしてから家に戻ると、いつものにこやかな母がいつも通りに迎えてくれました

母への嫌悪感はなく、父ではない若い男の人と楽しんでいた女として、羨ましい気持ちがありました

その日は母とお兄さんでしたが、別の日は両親や祖父母だったり、父と親戚の叔母さんだっり、と覗くたびに組み合わせが違うことが多いので、男女の営みを見るのに慣れていきました

私はドキドキしなからある程度覗いて、コッソリその場を離れるとお股がグッチョリと濡れていて性的に興奮していました

大人の男の人が女を悦ばせる場面を何度も見ると、男の人の存在が私の女心を興奮させるようになり、私も母や祖母や叔母さんの様に可愛がって欲しいと言う欲求が芽生えできました

何となくおまたを触ると気持ちいい感覚がわかり、男と人に触って欲しい、イタズラされたいと思って

目をつぶって、そんな想像をしながらオナニーの仕方を覚えました。お母さんがお兄さんのおちんちんを舐めて、身体中に舌を這わせて跨って一心不乱に腰を振り、狂ったように舌を絡ませる様なケモノの様な行為を自分に置き換えていました・・・思い出すと興奮してきます

その環境のせいか小学生になると、エッチあそびっていうのをやっていました。相手は当時近所にいた男の子で、1つ年上でした

田舎だったから、同じ集落の小学生も私とその男の子と、もっと上級生の女の子だけでした

年も近いから男の子と遊んでたんですが、
どうしてそうなったのか覚えてないけど、
男の子の家の納屋に、おばさんが結婚前に使ってた部屋が残ってて、そこに忍び込んでエッチあそびをやってたんです

お互いに相手のズボン(スカート)とパンツを足首辺りまで下ろし合って性器を見せっこして、いじり合って、くっ付けて・・・

キスもしてました、まだ小学1年生くらいだったのに

「〇〇ちゃん、好き!」
「ぼくもミホちゃん大好き!」
とか言い合って、キスしながら性器同士を押し当て合ってました

日曜日は結構長い時間遊んでたので、押入れからふとんを引っ張り出して敷いて、裸で抱き合ったりとかしてました

『夫婦ごっこ』や『恋人ごっこ』みたいなのをして、旦那さん役の男の子が家に帰ってきたら、すぐにエッチ始めちゃう!みたいなことをやって遊んでました

私が小学2年生くらいから、フェラやクンニはやってました
タオルを濡らして、股間を拭いてからやってましたけど・・・

男の子のおちんちんは当時から皮が剥けてて、エッチあそび始める頃にはピーン!って勃ってて、フェラしてあげると『気持ちいい』って言ってました

私も・・・クンニが気持ち良くて、「ここ、ここ舐めて!」って、自分で割れ目拡げて、クリトリスを舐めてもらってました

舌も良かったけど、やっぱりおちんちん(亀頭の部分)でクリを擦られるのが大好きだったから、それまでと同じように、キスしながらのくっ付けっこで気持ち良くなってました

■続く
3
2025/09/15 10:40:30 (MHZNGK7J)
小学3~6年生までの間、休日・放課後や休み時間等いつも一緒に過ごしてたグループがありました。
構成は女子4人、男子2人です。
4年生になると女子は「命の勉強」という性教育を別室で行っていたみたいです。

その頃から、女子に誘われて共働きの子の家に行ってはチンコを見せるようになったり、
だんだん触られるようになって行きました。
男子2人なので必然的に女子2人からの責めとなるのですが、
精通していない包茎チンコでも弄られまくると硬くなります。
俺たちも何となく気持ちいい感覚はあったのでやりたいようにさせていました。

5年生になった頃も続いていたのですが、
いつものように弄らせているともう一人の男子が「漏れる!」って言いながら射精しました。
初めての射精感覚で呆然としていた・・・

女子達は初めて見る精液に興奮して、触ったり匂いを嗅いだり興味津々だった。

程なくして俺も精通して射精できるようになったのだが、
そうなってくると、女子の体の事も気になってくる。

6年生になる前には男女の体の違いを見比べるようになったのだけど、
女子の個人差の大きさにみんな驚いていた。

長くなってきたので需要があればレスで続けていきます。
4

回想

投稿者:
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2025/09/14 08:02:15 (AMwCVZzC)
最近、子供の頃に住んでた家での事が夢に出てきます。

目が覚めて懐かしく、近所の幼馴染みとの出来事を思い出したりもしてます。

私には2歳下の亜希と言う妹が居まして、幼馴染みは私より1歳下の加奈子と1歳下の涼太が居ました。

当時は児童数も減少して学年は1学級で児童は10人前後でした。

加奈子家族とはご近所さんで小さい頃からの家族ぐるみのお付き合いでした。

近所には小学生が居る家は家と加奈子の家くらいで遊ぶのもこの4人が大半でした。

そんな中で、私が6年生の時で夏休みでして4人でプールに出掛けお昼近くまで遊んだ後、お昼を食べたら私の家で遊ぶ約束をして一旦は別れました。

1時過ぎ位に加奈子と涼太だ遊びに来ました。

漫画を読んだりテレビゲームをしたりして楽しんでたのですが、プールで遊び疲れたのか涼太と亜希は寝てしまってました。

すると加奈子が座ってるローソファーの横に私は座りました。

加奈子の身体に寄り掛かりタオル地のハーパンの上から加奈子の股間を触ると加奈子は自分から閉じてた脚を開いてくれて私が触りやすい様にしてくれます。

最初は撫でる様に、次第にマッサージの様に揉んだりもすると、加奈子は読んでいた本を横に置き私の股間に手を伸ばし同じ様に撫でたり、硬くなったチンチンを指でなぞったりもしてきました。

お互いの股間を撫でながら気持ち良さを感じてました。

そんなには長くは触ってなかったと思いますが、私は加奈子のハーパンを少しだけ下げてパンツの中に手を滑り込ませ、1本筋の割れ目に人差し指を差し込み中を擦ると湿った感じが指先に感じますがヌルヌルしてません。

たぶん汗だと思いますが、更に中を擦り続けると今度はヌルヌルした感じで指先が動きやすくなって行くのが分かります。

ちょっと窮屈な態勢だったので加奈子を私のベットに上げて今度はハーパンもパンツも脱がせてから割れ目を開く様にして触っってるとヌルヌルが増すのが分かり、少しずつ加奈子の穴の中に人差し指を入れていきます。

第2関節近くまで入ると、狭くなる場所がありましたが、その時にはそれが処女膜だとは知りませんでしたが、触り続けてると亜希が目を覚まして慌てて加奈子はパンツとハーパンを穿いて気付かれずに済みました。
5
2025/09/14 07:55:37 (RCioGuqY)
うちの町内では毎年夏休みになると自由参加の習字教室がありました。
朽ち果てた神社の社務所を町内会が管理する代わりに、町内会の詰所として利用していたみたいです。

習字教室なんて子供達が行きたがる訳がありません。
ただ、タダなので(洒落じゃないw)、親は行かせたがりました。
なので、参加した子には帰りにドリンクが貰える特典をつけて、大人達はなんとか子供達を呼び込もうと目論んでいました。

別に厳密に何時から何時までとかは決まっていなくて、先生がいる時間内ならいつでもいいという緩い感じで行われてました。
1時間で帰ってもいいし、みっちりフルタイム居てもオーケー!
だいたい涼しくなりかける午後の3時くらいから6時あたりと設定されてましたので、私は5時前に行って最後までってパターンで行ってました。

子供の時、私は夏休みは長いと思ってました。
いわゆる鍵っ子で退屈をもて余していたから、結局は親の言われるままに通ったんです。
小4の夏でした。

来てるメンツはまちまちでパラパラ…
同じ町内に仲良しの女子もいなかったし、私は日常で書く字が上手になればいいという理由で、1人でもわりと小まめに通ってました。

いちおう夏休み前に回覧板でスケジュールは決まってました。
細かい微調整、例えば時間がずれるとか、そういう事は神社の階段を上がる前にわかるようにと、即席の掲示板みたいなものが設置されてました。
確かに長い急勾配な階段を上がって臨時休みとか言われたら発狂しそうです。
その辺の配慮はキチンとしていて、それも全て先生がやっているようでした。

正式な職がなにかはちょっと忘れましたが、出版関係の仕事に就いていてる中年の男性が先生でした。
ほとんど自宅でできる仕事らしくそれなりに時間の自由もきいたのでしょう。
少なくとも肩書き的には町内会の人達から信頼されていたのは間違いないでしょう。
本当にお駄賃程度の報酬で引き受けていたそうです。


結局私が挫折しなかった最大の理由はこの先生にありました。
正直、今でもなんかはっきりとした顔の印象がない人で、鮮明に思い出そうとするとなんか某俳優の顔が真っ先に思い浮かぶ…
そんな感じなんですが、一緒にいて不思議と緊張しないし変な気も使わない楽さがありました。
ああいうのって持って生まれたものですよね。
ただ、ちゃんと話も聞いてくれるし、大人の上から目線もない。
一回、男子が拾ってきたエッチな雑誌をみんなで騒いで見ていた時も、叱るわけでもなく一緒に見てました。
要するに話のわかる大人だったんです。
だから、いつも最低限の子供は集まっていたのは、先生がそれなりに好かれていたからだと思います。
比率的にはやっぱり女子が多かった。
男子はお義理で一回顔を出して終わりってパターンが多いようでした。


私はだいたい詰所の戸締まりをしたあとに先生に近くまで送ってもらいました。
夏で陽が高いとはいえ、いちおう気を使ってくれてたのですね。
だから、先生の家も教えてもらい、いつの間にか自宅にも遊びに行くようになりました。

以下はレスにて





6
2025/08/24 08:32:39 (jg/zVN/S)
道を踏み外した同士よw
僕の場合は、ごっこ遊びで「悪者に捕まったお姫様ごっこ」をして遊びました。大抵の子はヒーローに助けられるんだけど、まあ、その前に手足の自由を奪って床に突っ転がしてやると大体が怯えた、良い眼をしてこちらを見て来るのだけでもゾクゾクして来ますが、稀に「キッ」とこちらを見て来る気の強そうな子もいましたがそれはそれで散々泣くまでいたぶってやったわw。
で、最終的に「どうやって終わるか?」を選ばせてあげるんだけど、王子に助けられたいとか、何とか戦隊に助けられたいとか、たまに女の子に助けられたいとか、まあ、その子の性癖をうかがい知れたりする理由です。そして、極々稀に、悪人に「〇ろされたい」という子がいて、コレが好物ですw
なのでこのパターンは凄く物語が細分化してあってwただ単に〇ろされるのから、拷問して、或いは解剖されてとか、秘密を吐くまで責められてとか、色々あります。子供達に人気だったのは「秘密を吐くまでくすぐられる」でコレは悪人の手下役にも人気でしたw
そして、このバッドエンドを選んだ子達を誘う訳です。「もっと酷いこと、してあげようか?」
一番は「首〇〇」で、頸動脈がどくどく脈打って顔が紅潮して、お漏らししてしまう子がいたのが良かったです。
一人、ホントにやばい子がいて、絞首刑ごっこの踏み台を「コレを外したらお前はおしまいだ」と言ったら泣きながら自分で蹴り外しやがったw
まあ、ロープでなく、タオルの輪っかだったから少し放置するとビックンビックン跳ねて漏らした所で抱き留めてやった。
こっちだって、そんなの見せられたら堪らなくて、ヨダレも鼻水も垂らして、恍惚としているs2を後先考えずお菓子たのが最年少記録。

7
2025/08/23 10:22:06 (mt.kG7Ts)
小6の時に友達のお父さんに海水浴に連れて行って貰った時に
抱き付いて遊んでました。
友達は思春期特有のそれでおじさんとは距離を置いてて
弟の面倒ばかりみてたのを覚えています
そんな中私は浮き輪代わりに足を絡めておじさんに抱き着いたりして
わざと下半身を密着させたりしていました
元々あざとかったと言うか男性(モノ)に興味があって
大きくなるのも分かってそれが密着したお股に当たって(笑)
「固いのがあるって」知らないふりして触ったりもしていました
そんな私におじさんもエッチな子だと気付いてたのか分かりませんが
何も言わずに楽しませてくれてましたね
8
2025/08/20 13:18:18 (nPXJdU0P)
小1の時に近所の友達の家に
遊びに行って
その子がトイレのウォシュレットが
あるのが自慢で凄いんだよって
気持ちいいから試して
そう言われて
私の家のトイレにはウォシュレットは
ありませんでした
母と買物でデパートに行った時
あったけど大人の人が使うもの?
おしっこの時は使わない?
そう思っていて使用した事がなくて
友達と二人でトイレに入って
初めに友達がウォシュレットの使い方を
教えてくれながら
こうすると気持ちいいって
教えてくれました。
私が次に試してみたけど
くすぐったりだけでケラケラ笑ったら
それが友達には面白かったようで
いつの間にか二人で友達の家で遊ぶ時
トイレでウォシュレット遊びが流行り
ただウォシュレットで笑ってたんだけど
別におしっこがしたい訳でも無いのに
ウォシュレットを使用してたら
友達が言う、気持ちいいって?
これなのかな?
そういう時が何度かあって
ある日、お母さんとデパートに
行った時にお母さんが洋服を選んで
いる時に私はトイレに行って来るね
そう言ってトイレに入って
ひとりでウォシュレット遊びを
してみたんです
ウォシュレットは最初は
やはり、くすぐったいだけでしたが
少しすると、おしっこが本当に
したくなってきて
おしっこをしながらウォシュレットを
してたら。。。
あれ?あっ!この感じだぁ
気持ちいいのかも。。。
ウォシュレットの当たる位置を
動かしてみたり強さを変えてみたり
くすぐったいんだけど?気持ちいい
そうして続けていたら
お母さんの声がして
大丈夫?お腹いたいの?
私は、ううん大丈夫!
もっとウォシュレットしてたかったけど
トイレから出てしまいました。

9
2025/08/17 12:08:00 (S040qT0M)
小学生の二年生から母親と二人で暮らしてました。
割りと近くに母の実家がある近所の中古物件に越してきたのは、ははが仕事で遅い日や夜勤の日におばあちゃんの家に泊まりに行けたからでした。

母は総合病院の小児科の医者でした。
この当時四十に届くかって年齢。
まあ、まだまだ女盛りではありました。
豊満な上半身の割には下半身は細くて、再婚のくちはそれなりにあったと思いますが、手に職があり生活には困ってないし、私もまだ十歳だしでそれは考えてないようでした。

ただ、やっぱり母も女。
性欲だって枯れてない訳で、ちゃっかりセフレみたいな相手はいました。
それがまた若い青年ってくらいの人でした。
なんかそれが母の性欲の強さの表れみたいに思ったものです。

実際二人が絡み合ってる現場を見た訳じゃなくても、何かと理由をつけては家にいたりするんです。
(二人が主に密会するのは平日の昼間で、学校から帰るといた。)
病院の売店でバイトしてる子って紹介された。

家がわりと近いし母親的に面倒見てあげてる風を装おってましたね。

でも、子供ながらにただならぬ雰囲気を感じとってました。
子供でも二桁になれば敏感になります。

私はまだ青さが残るその青年と母が裸で絡まる場面ばっかり想像するようになってました。

私は天真爛漫的なキャラクターでしたから、普通に子供らしくその青年に懐いていった。
母も喜んでた。
母の帰りが遅い時に一緒に待ってくれて三人でご飯を食べたりするようにもなった。
だから、おばあちゃんのとこに泊まりに行くのは夜勤の時のみになった。
そのため、表向きは家庭教師めいた事を頼んでるとおばあちゃんには説明していた。
ご近所さんにはプラス親戚の子って事にした。
都会みたいに家が密集してない分、異邦人は目立つからです。


母は本当に息子みたいに世話を焼いてて、かわいくてしかたないのがわかった。
あくまでも息子としてって取り繕いながらも。
まさかご近所さんも男としてもかわいがってるとまでは思ってなかったはずで、
そういう面では周囲を完全に欺くことに成功してました。
そんな母の血を分けた娘の私だもの。
さらに一枚上手だったのは我ながら凄いと思うんです。未だに。




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