2019/06/29 19:48:58
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私が童貞を捧げたのは、高校3年生の時の54歳の英語教師でした。
顔は田中美佐子さんのような可愛い系美人で、身体は結構グラマーでした。
私は英語が苦手で、夏休みに夏期講習を受けた後、先生に質問していました。
夏期講習は視聴覚室で行われていたので、先生への質問は、教員準備室の小部屋でしていました。
夏休みですからとても暑く、先生も薄着でブラが透けて見え、しかも胸元が開けられて胸の谷間が見えていました。
母親より年上の先生でしたが、とても綺麗な女性で、乳輪が見えそうなほどずれたブラに思わず勃起、
「伸二君、先生のオッパイ覗いて勃起させないでよ。」
「ご、ごめんあさい。せ、先生綺麗だから、つい・・・」
「先生だって女なのよ。そんなもの見せられたら・・・」
と言って、ズボンの上から陰茎を握られ、ズボンとパンツを逃がされてしまいました。
先生は視聴覚室と準備室を施錠し密室を作ると、素っ裸になってソファーの上で股を開いて、ドドメ色の陰唇を拡げて誘惑、もう、陰茎が下っ腹についてしまいました。
先生は私を押し倒すと、騎乗位で童貞を奪われました。
私は真夏の学校で、玉の汗を浮かべながら、五十路英語教師とまぐわいました。
先生が腰をクイクイさせると、乳房がユサユサ揺れて、陰茎を囚われて僅か2分ほどで先生の中に暴発してしまいました。
「せ、先生、ヤバい、中に出ちゃいました。」
「大丈夫よ。先生はもう子供はできないのよ。」
その時は意味が分かりませんでしたが、閉経していたのです。
私は五十路の人妻美人女教師とすっかりデキてしまいました。
夏休み、先生の車でラブホに入り、エアコンが効いた部屋で互いの肉体を絡ませました。
先生は54歳でしたが美人で可愛くて、身体も肉付きが良く、若い私を大いに興奮させました。
私は、先生に指導されながらキスと女体の愛撫とクンニを覚え、たっぷりと時間をかけた前戯を仕込まれ、毎回、生のまま陰茎を挿し込んで、若かった私は先生の中に2発、3発と中出ししていました。
「先生は大丈夫だけど、若い女性とするときは避妊するのよ。」
毎回言われました。
先生は、テクより若さに任せた男子高校生の腰振りにハァハァと息を荒くして、
「硬い~凄く硬い~抜かないで、出した後も抜かないで~~」
と先生の中に射精した後も私の腰を押さえつけて離さず、腰を動かし続けるので、射精直後の刺激に私の方が悶絶しました。
毎回、抜かずの3発なので、先生は、
「あぁ~凄い凄い~~気持ち良すぎる~~」
と大喘ぎしました。
いつも凛々しい美人教師の淫らな姿には、圧巻でした。
私は、東京にある大学に推薦で合格、卒業まで先生と何度も中出しセックスを楽しみました。
3月の半ば、上京する前日、最後のセックスはいつも以上に激しく愛し合い、濃厚に絡み合い、先生の中に頑張って抜かずの4発を決めましたが、もう、それ以上勃起することは無く、それのも腰を振ろうとする私に、先生は、
「もう十分よ。伸二君、もう、終わりにしましょう。」
と言われ、先生と離れました。
「大学、頑張るのよ。」
「はい。先生は俺の元カノだと思って良いですか?」
「ええ、もちろん。先生も伸二君に愛されたこと、忘れないわ。」
そう言って別れました。
その後、女を知っている私は大学でも積極的に女性にアプローチして、先生仕込みの前戯と腰使いで女性たちをアンアン言わせました。
新入生で処女喪失も経験し、卒業後、実家は兄貴に任せてそのまま東京に就職し、27歳で結婚しました。
先生の事も次第に忘れて、結婚10年の去年の年末、妻子を連れて帰省した時、先生の訃報に触れました。
先生は昨年、73歳でご逝去されていました。
年末の空を見上げて、19年前、先生と愛し合った日々を思い返していました。
先生の素敵な笑顔が、小春日和の空に浮かびました。
「伸二君。先生が教えたとおりに奥さんにサービスして、いっぱい悦ばせてあげなさいね。」
先生がそんなふうに言っているような気がして、マンネリになっていた妻との営みに、先生の教えを意識するようになりました。
間もなくやって来る先生の一周忌を前に、先生が墓場まで持って行ったであろう秘密の思い出を書き綴ってみました。