>>43 さま
おっしゃるように 強気な女、だったかもしれません。
大きな声で言われたら、同じくらい大きな声で言わないと負けてしまうのではないか、
こちらが悪くなければ絶対に謝らない。 むしろ喧嘩腰と取られてもいいから、
毅然とした態度でビシッと言う、女性の身体を勝手にさわったり、舐めまわすように
気持ち悪い視線で見たして、不当な要求をしてくるクレーマーに、ひるんだ素振り、
おびえる素振りなんか絶対しちゃいけない。わたしは負けないよ。勝たなきゃね、なんちゃって。
その当時は、ふわふわと驕った、こんな浅はかな考えを思いながら仕事をしていました。
仕事を続ける気持ちが薄れてきたころ、もし、最悪な場合ってどうなるのだろうか、と、
ふと想像することがやめられなくなり、「できごとの振れ幅はわからないけれど、
軽い敗北をちょっと味わってみる?」という好奇心のような軽率なきっかけから、
告白した出来事に至り、自分の考えが結局は完全に間違っていたと徹底的に躾けて
いただきました。
>>45 さま
やってみてわかったのですが、土下座は、服従の意思表明でした。
お尻の穴も、おまんこも、むき出しにして、服従の意思表明をすること、
その屈辱感は、身体がどうかしてしまいそうなぐらい、痺れるような強烈な感覚でもあり、
一方で、自然なことにも思えるようになりました。
長時間にわたって人格否定の言葉で罵倒され続けたようにも最初感じていましたが、
わたしのこれまでの人格や考え方、歯向かう態度を含めたもの、すべて違うと躾けていただいたので、
ちゃんとした身分であることの証であるスーツはもってのほかで、服も下着もなく、
お尻の穴も、おまんこも、むき出しにして、服従の意思表明をすることが自然なことにも思えました。
服従の意思表明をした以上(犬がおなかを見せるのと同じようなことだと思います)、
好き放題されても、もう、抗議する気持ちは生まれてきませんでした。
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