通りすがりさん、エッチな名無しさん、いつも励ましていただき、ありがとうございます。ここ数日、体調が
よくなく、このサイトも見に来られませんでした。私の拙い文章より、エッチな名無しさんの文書への反響のほ
うが多いようですね。いっそ、私が通りすがりさんやエッチな名無しさんにお話しして、書き込んでいただいた
方がよいのかもしれませんね。でも、私も自分自身の重しを取り除きたいのでがんばります。
彼らの私に対する凌辱は口の中への射精だけではとどまりませんでした。剛はそのまま私の中へ挿入してきま
した。口内への射精っと、それを飲まされたショックで私にはもう抗う気持ちも行動も起こせませんでした。さ
れるがままという感じでした。それでも、剛が私の膣内に射精しようとしたときは、さすがに抵抗しました。で
も、「お願い、やめて」から「お願いします。やめてください」って哀願する感じに変わってしまっていました。
しかし、剛はそのまま射精をしてしまいました。すぐに、猛が私に覆いかぶさり、挿入してきました。まだ、剛
の残滓が残っているのにです。私はもう、何も考えられず、何も感じられずにいました。すると、その途中から、
またも剛が私の口に挿入してきました。私にはもう、叫ぶことも、泣くこともできませんでした。でも、猛は中
に出すことはしませんでした。
こうして二人による凌辱は終わりました。帰り際に、「警察に行ってもいいよ。どうせ、俺たちは未成年だか
ら、保護監か少年院くらいだからな。少年院に行ったって1年もしないで帰ってくるしな。でも、その時は、ま
た来るからよく覚えとけよ」と捨て台詞を吐いて帰っていきました。
彼らが帰った後、しばらく、私は恐怖感と屈辱感と、自分に対する怒り等が交錯し、泣き続けていました。た
だ、太ももにぬるっと流れるものを感じ、あわててお風呂場に行き、シャワーで何度も何度もあそこを流しまし
た。シャボンを使い、シャンプーを使いじっと洗い続けていたことを覚えています。洗っても洗っても。汚い、
穢れた体だという意識が抜けませんでした。
お盆明けの学校は、何日か休暇を取りました。しかし、何もする気が気力が起きず、ずっと寝ていました。で
も、さすがに20日を過ぎると補習も始まり、2学期に向けてお学年会議や職員会議があるので休んでいるわけ
にはいきませんでした。他の先生にばれてしまうのではないかと不安になり、見えるところの化粧は厚めにし、
ました。彼らが、いつまた現れるのか心配でした。学校に知らせようか、警察に行こうかとか考えましたが、恐
怖と自己嫌悪と恥ずかしさもあって結局、行きませんでした。
2学期が始まり、毎日、毎日、不安な日でした。週末は、なるべく自宅にいることを避け、外出するようにし
ました。9月の間は何ごともなく、あのときだけで終わりかなって思うようになった10月に事件が起こりまし
た。剛が学校に現れたのです。しかも、特攻服のような派手な服装に、金髪姿で。(この格好はあとで聞かされ
たことで、実際には見ていません)玄関口で「○○先生(私の苗字)に会いせろ」と叫んでいたそうです。卒業生
でもないし、見知らぬ男であったので、数人の生活指導の男性の先生が対応にあたり、追い返したそうです。帰っ
たと、生活指導の先生から、剛について見覚えあるかと聞かれたので、私はとっさに「剛の友達かもしれない」
と答えました。他の先生も納得し、「猛も大化けしたなぁ」って笑っていましたが、私は、冷や汗だらけでした。
剛らは簡単に諦めたわけではなく、翌日の土曜日には、我が家に来て、呼び鈴を鳴らし続けました。私はモニ
ターに映る姿から剛たちであるとわかり出ませんでした。何度も何度も、しつこくならしてきました、途中、ア
パートの誰かが入り口の自動扉を開けたのでしょう、途中から、部屋の玄関のチャイムを鳴らしていました。ド
アをドンドンと叩き、大きな声で「○○先生!」て呼ぶ声が聞こえました。私は、呼吸すらしてないのではない
かと思うくらい、じっとしていました。
翌週から、週末はまた、家にいないようにし、夜遅く戻るようにしました。これが、裏目にでて、深夜に私の
アパートの前で2人に遭遇していしまいました。彼らは、私の両サイドにきて、「先週はどうして出なかったん
だよ、部屋の中にいることはわかったいた」とすごまれ、「猛が相談があるから、部屋にあがらせてくれよ」と
私を抱える感じで部屋の中に入ってきました。私は、もう抵抗する勇気すらなかったです。入るなり、いきなり
剛は、またも私の頬を平手でなぐってきました。そして、私の体を押し倒し、靴もぬがないまま、部屋の中に引
きづりこまれてしまいました。
私たちも先日、ふくしバザーを行いました。約20万円近く売り上げがありました。エッチな名無しさんも、ボ
ランティアで活躍されているようで、すごいと思いました。
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