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2018/09/25 10:44:05
小学生、中学生と叔父の性奴隷でした。現在は普通に働いている25歳女です。ようやく心の整理が着いたので書きます。

私は小四の頃に両親を事故で亡くし、父の弟である独身で一人暮らし叔父に引き取られました。幼い頃の微かな記憶ではありますが、最初は祖父母の家に行くことになるみたいな話だったのですが、今まで殆ど会ったこともなかったのですが、私を初めて見た叔父が「引き取る」と言って祖父母もそれに何も言わなかったみたいな感じです。

当時の私が叔父には相当ストライクだったようです。そう、叔父は真正のロリコンでした。

当時9歳の私を引き取った叔父はしばらくは優しく接してくれましたが、ある夜に私の布団に入ってきて、突然私はキスされたり、顔を舐められたりパンツを脱がされました。

私は驚き、泣きだしましたが叔父は「静かにしろ!」と怒鳴り、私の股間を舐めたりしていました。

そしてその後、私の顔の前に叔父は自分のチンコを出して、「舐めろ」と命令。

私は優しかった叔父が豹変して怖かった事、というか助けを呼んでも来てくれる大人、自分を守ってくれる大人がもういないことを強く理解し、大人しく舐めました。

今思えばそれが初フェラですが、私の小さい口には叔父のチンコの先端の丸い部分が何とか入ればいい方で、成長期に入って私が大きくなるまでは舌を出してぺろぺろ舐めたり、先端を口に入れて舐めたりちょっとだけ前後するのが精一杯でした。

しかし、ロリコンの叔父は女児がチンコを舐めていることが嬉しかったのかそのまま私の口の中に精液をぶちまけました。

叔父は出す瞬間に「飲め!飲め!」と言っていましたが私は泣いていてそれどころではなく、口の中に出されたものはほとんど吐き出して、叔父は途中から私の顔に精子をかけていました。

これは毎回の事だったのですが、出し終わると叔父は私を抱えて洗面所まで運び、顔を洗いうがいをさせ、私の布団に戻して「おやすみ」と言って自分の布団に戻りました。

初めてやらされた日の夜は私は悲しいというかは、訳が分からずに、ただとにかく叔父が怖くて泣いていました。

そのフェラは基本的に毎日続き、途中からは寝転がったり椅子に座る叔父の前に私が跪いてやるスタイルになりました。

また、当時の馬鹿な私はこう言いくるめられていました。

「お前は俺の子じゃない。でもご飯を食べさせたり服を買ってあげるよ。だから、お前も俺に何か返さないとな」

「男は女の子にチューされると嬉しい。それの延長だよ」

当時の私は「生きるためにはこの人にこれをしなければならない。これは当然のことなんだ」と思い込んでしまい、その事を外に訴えたりとかはありませんでした。

私は叔父に何かして貰う度に「おじさん、ありがとう!」と言ってほっぺにチューをしたり、口に直接チューもしたりしていました。そこだけ周辺から見たら微笑ましい親子だったかも。

私は子供ながらにロリコンである叔父の前で「可愛い女児」を演じる事ができ始めていました。何故なら私が可愛くない事をした時の叔父の豹変が怖かったからです。

私が「可愛い女児」である限り叔父は「良い保護者」を演じてくれました。

フェラは基本的に毎晩あり、私は「おじさん、いつもありがとう!大好き!」と言いながら叔父のチンコを舐めていました。心の中ではやめたいと思いながらもそれが唯一の生きる術である私は必死にやっていました。

私は何度も何度もやるうちにコツを掴み、また嫌でしたが精子を全て飲むこともできるようになりました。顔や、特に髪にかけられるよりはマシなので。

最初の一年はそれで済みましたが、5年生の半ばになる頃、ついに叔父が一線を越えてきました。

私がいつも通りフェラをやっていると叔父は突然私の口からチンコを引き抜き、私を裸にしました。

私は「え?え?」という感じでしたが、叔父は私の股間をぺろぺろ舐め始めました。

股間はよく舐められていましたが、フェラが始まれば出して終わりだったので、私は驚きました。

叔父は「もういいだろ……」と言って、「まだ生理は来てないよな」と私に確認し、私に挿入しました。

挿入された瞬間、体が真っ二つになるのではないかという激痛に、私は泣き叫びました。

叔父は私の口にパンツとか靴下とかを詰めて声を出せないようにして、私を犯しました。

私は痛さで気が狂いそうでしたが、叔父は「小学生とセックス!」と喜びながら、何度も何度も腰を打ち付けてから私の中に放出しました。

正直、この日の記憶は「痛かった」と「叔父が気持ちよさそうだった」しか覚えていません。

その後、叔父は私に「ゲーム」を仕掛けるようになりました。

例えば「5分以内にフェラでイかせられなかったらセックス」みたいな感じで、私がフェラを必死にする様な形にしてきました。

しかし、当時の私はどう頑張ってもそんなに早くイかせることはできず、叔父に我慢されたらそれまでで、結局叔父のチンコを大きくして私は自分で自分が犯される準備をしていた様なものでした。

初めて犯された日から、ほぼ毎日そうやってレイプされていました。

たまにフェラだけでイッてくれて終わりの日もありましたが、多分私が頑張ったからとかではなく叔父が抱きたいかどうかで決めていたと思います。

ここまでやられてもまだ、私は「この人に生活させてもらっているんだ」という強い認識で耐えていました。セックスは普通の女の子は処女からだんだんと慣れて痛くなくなるそうですが、小学生の私は叔父のチンコが大きすぎて毎回痛さで泣いていました。

私が泣くと決まって叔父は私の涙を舌で舐めていました。
セックス中は叔父は腰を振りながら、私に何度も何度もキスをしていました。

また、ロリコンの他に少しSも入っていたのかも。叔父は私がテストで悪い点を取ったりすると「お仕置きだ!」と言って私のお尻を真っ赤に、本当に真っ赤っかになるまで叩いたり(多分100回以上)、私を四つん這いにして後ろから挿入してお尻を叩きまくったりしていました。

「これはお仕置きだ。お前がいい子になればされないんだぞ」

と言われ、私は挿入よりもお尻叩きの方が怖かったので必死にテストの前は教科書を見たりしていました。

しかし、叔父がロリコンで助かった…というべきかどうかはわかりませんが、叔父は私が中学二年になるぐらいで私が少しずつ大人になり始めて、私にフェラやセックスを要求しなくなり始めました。

フェラは最後までちょくちょくやらされていましたが、セックスは中一で生理が始まってからはゴムを付けるようになり、だんだんと数が減り、中三の時にはほとんど要求されませんでした。
小五、小六が1番酷かったと思います。休みの日に三回中出しされることもありました。お尻叩きもありましたし。恐らく、その頃の私が最も叔父のストライクだったのかも知れません。

そして、私が進路を決める時に全寮制の高校に行きたいと言えば叔父は一言で「いいよ」と。もはや私に興味はあまりなかったのかも。

叔父は安くはない寮費をきちんと払ってくれました。

この事もあり、私は叔父に怒りや恨みもありますが結局育ててくれたし、可愛い服とかは本当にたくさん買ってくれたし…みたいな煮え切らない部分もあり、微妙な関係です。

未だに思い出すと許せないし気持ち悪くて吐いてしまう日もあれば、私が上級生に泣かされてその子の家に怒りに行った時の叔父さんは優しかったな……でもあなたの方が私に酷いことしてたな……みたいな。

今は帰省は祖父母の家にしており、そこで叔父と会ったりしますが、叔父は求めてくることもなく、何事もなかったかのような顔をしています。
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2
投稿者:ゆきお ◆h4ONJivhRc
2018/09/25 12:58:40   
叔父さんが真正なロリコンで助かった?のかなぁ。心の傷も お有りでしょうが早く癒えるといいですね。
3
投稿者:(無名)
2018/09/26 09:55:40   
亡くなられたご両親のお金って、あったんじゃないんですか?
4
2018/10/10 02:36:06   
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