2017/12/10 10:07:28
私の祖父は変態と言うか、ロリコンでした。
小さい頃には変には思っていなくて、祖父の行為を受けていましたが小学四年にもなれば、その行為はいけない事だと分かる様になっては居ましたが、その行為を拒む事はしませんでした。
その頃の祖父に反論できる人は居なかったと思っていました。
祖父と二人だけの時には、祖父のあぐらの上に座りテレビを見ていると、必ずと言っていい程に身体を触られていました。
スカートを穿いている時には、スカートの中に手を入れてパンツ越しに股間を揉むようにされたり、パンツの中に手を入れて直接触っていました。
日常化していたので、慣れていて驚く事もなく触られていました。
他の家族が長い時間留守になる事が分かる時には、下半身だけ裸にされて、俗に言う、お医者さんごっこ、の遊びをして祖父は医者に私は患者に。
祖父に長い時間割れ目を弄られたり、ある時には消毒と称して舐められた事も有りました。
祖父の行為を拒む事は無かったので祖父の行為はエスカレートして行ったのだと思います。
私が小学三年生の時に、私のクラスがインフルエンザで学級閉鎖になった日に、祖父と二人で居た時の事です。
何時もの様に下半身を裸にされて、カーペットに寝そべってる私の股間の間に顔を押し付けて割れ目を舐められて居た時に「ちょっと痛いかも知れんが、我慢するんだよ」と祖父に言われて「うん」と返事をすると初めて感じると感覚でした。
ヌルッとした感覚が股間に感じると、チクチクとした痛みがしましたが、よく分からない感覚でしたが「綾子の中にじいちゃんの指が入ってるのが分かるかい」と聞かれ「何となく分かるよ」と答えると、更にそこが広がる様な感覚と痛みが走りました。
クネクネと中で祖父の指が動く様な感じがしてて、痛さと異物感が有りました。
その日を境に祖父は私のそこに指を入れてくる様になり、一緒にお風呂に入ると時には、必ずと言っていいほどに中に入れてきました。
痛みが無くなると、指より太い物を中に入れてくる様になり、お風呂場に置いてあるヘアーブラシの柄に泡立てたボディーソープを塗り、バスマットに寝かされていた私の股間を広げて、少しずつ中に入れてきました。
途中で引っ掛かる様になって、たぶんヘアーブラシの一番太い所が処女膜の所に引っ掛かったのだと思いますが、その頃には処女膜の存在すら知らなかった私は祖父の行為を受け入れていました。
ヘアーブラシの柄が抵抗なく入る様になると、更に太い物を入れる練習と言われて、祖父が携帯用に持っていた整髪料の細い缶スプレーの底の方から入れられました。
入り口は抵抗無く入る感じでしたが、ある狭い所(処女膜)まで入ると、痛みと言うか苦しい様な感じがお腹に広がりました。
祖父に「お腹が痛いよ」と言うと残念そうな顔をして中に入っている物を抜いてくれて、少し冷えた身体を祖父に抱っこされる様な態勢でお湯に浸かりました。
お湯に浸かりながら、祖父の手はまだ脹らみもない胸を撫でたり、つい先まで整髪料の缶が入っていた所を撫でたり、指を入れたりしていました。そんな事をされている時には、祖父の股間にあるオチンチンが変化していて、ダラリと柔らかい物から、床と水平に近い感じに変わるのを何度も目にしていました
四年生になると、整髪料の缶も簡単に入る様になり、祖父の指も2本きつかったけど入る様になりましたが、その頃には祖父にされている事に対して、誰にも言えない事だと分かりました。
四年生から五年生になる春休みの時には、二人だけの時やお風呂場で祖父の少し固くなったオチンチンを整髪料の缶などを入れていた所に押し当てて、先っぽの膨れている所を中に入れようとする様になり「綾子のここにじいちゃんのチンポを入れるのが夢だったんだよ」と言われて、その時にはその行為は子供を産むための行為だとある程度は分かっていました。
その日は、先っぽがやっと入ったくらいで祖父は私の割れ目や入り口に少し入れる行為をして、いきなり私のお腹の上に何かが飛び散りました。
えっ?と思いお腹に手をやるとヌルッとした物が手のひらに着きました。
祖父が「この液が女の人の中に出されると赤ちゃんが出来たりするんだよ」
と教えてくれたけど、学校で性教育を受けてたのである程度は分かっていました。