2017/09/06 21:12:55
何度もお尻を犯されているうちに私は痔になってしまいました。母には「座ったりするとお尻が痛い」と伝えました。排泄するための場所に挿入されるだけでも負担なのに大人のサイズのものを出し入れされたので痔になったんだと思う。
ここで病院に連れて行ってもらえてたら、閉まりの悪いお尻の穴を見て医者なら気づいたはず。でも母は病院へ連れて行きもせずに塗り薬を持って帰ってた。看護師なのに塗ってくれなくて自分のことは自分でしなさいと手渡してきただけだった
母が患部をみたら気づいたかもしれない。でも実際は養父が指に付けて恥ずかしい格好のまま薬のついた指をお尻の穴に出し入れしてきた。屈辱という言葉は知らなかったけど、屈辱だった。薬のついた指を出し入れされながらクリを責められ感じるようになっていた
もっと奥まで、、痛みの向こうに感じる場所があるのを体が分かっていたのが怖かった。まだ幼かったから自分の体はおかしいんだと思った
この頃、お尻の穴が使えないからとフェラをさせられるようになった。養父は立ったまま膝立ちになったわたしの頭を押さえて腰をふった。といっても口が小さいので先っぽほどしか入らずに最後は素股。
口は疲れるし喉は痛いし死ぬほど苦しいし早く終わってほしいと思うだけの時間だった。この頃には白いものを出すと終わるということが分かっていた。
痔も治ってきたころ、またお尻に入れられそうになったのでお尻は嫌だと言ったら、前の穴を使うと言われた。それからは前の穴に養父のモノが入るようするために指を入れるようになった
クンニをされると感じてお尻がムズムズした。ほしがっていると絶対に養父に知られたくなくて目を閉じてジッとしていた。それでも、体が痙攣するのは止められなかった。クリを責められると体が勝手に反応した。
たぶん養父は上手かった。まだ9歳なのにクンニと手マンでイキそうになっていた。お尻の穴に指を入れられると私は濡らしていたらしい。養父が嬉しそうにエロいガキと言っていた。
いつもは目を閉じて何をされても黙って我慢していたのに、その日は養父がクンニや手マンをしても、お尻の穴も触るだけでいつもより刺激が少なかった。今なら分かるけど焦らすような事をしていたんだと思う。だんだん焦れてきたころ突然クリの刺激をしっかりされてお尻の穴に初めてオモチャを入れられ責められ私は声を出してしまった。
気持ちよくて、待ち望んでいた刺激を与えられて、詰めていた息がもれただけなのに思ったよりも声が出ていた。同時に涙も出た。自分の声が恥ずかしくて、気持ちよくする養父にも腹が立って泣いてしまった。
文字にすると簡単だけど、とても言葉だけでは足りない複雑な感情だった。
養父は胸を撫でたりつまんだりしながら満足そうだった。そのまま前の穴に挿入。徐々に広げていたはずなのに痛くて痛くてまた暴れた。お尻に入れられたオモチャが抜けるほど暴れた。でもやはり力ではまるでかなわなくて痛みに耐えるしかない。お腹が破けるんじゃないかと凄くこわかった。