2019/08/05 01:14:56
続きです。
篤史くんの胡座の上に座っていた私の身体を反転させて向かい合う様に座らされて、私は脚を広げて篤史くんに抱き付く様な座り方なると、篤史くんのオチンポは最初に見たのと全然違う形に変化していました。
私のオマンコ篤史くんのオチンポには少しだけ距離があったから篤史くんのオチンポを見つめていました。
「篤史くんのオチンチン腫れてるけど大丈夫」と何の気なしに聞くと「遥香が可愛いから大きくなったんだよ、恥ずかしいからお母さんには内緒にしてな」と言われて、可愛いからと言われてお世辞でも嬉しかったの覚えています。
篤史くんの両腕が私の腰に回されて、グイッと篤史くんに引き寄せられると篤史くんは大きく腫れているオチンポを私のオマンコの割れ目に押し当ててきました。
篤史くんの胴体の幅に広げられた脚は割れ目の合わせ目も広げて見えていました。
お湯の中なので湯槽に手をつかないと後ろに倒れそうになるを我慢してると、篤史くんは私の身体を動かすたびに割れ目を篤史くんのオチンポが動いているのを感じました。
その行為の意味は分からなかったげど、母親には話してはいけない事だと分かっていました。
篤史くんがそれでお湯の中なの射精をしていたかはその時には分かりませんでした。
先に私が上がりパジャマに着替えて、小さいながらも自分の部屋で眠りについていました。
その日の夜中にふとした時に目が覚めると母親の押し殺す様な声と、なんの音か知らなかったけどグチュグチュ…とかチュパチュパ音が聞こえていました。
そのあとも篤史くんが泊まりに来ると「遥香一緒にお風呂に入るか」と言うと母親の嬉しそうな声で「仲良しだね、本当の親子みたいだね」と追い討ちを掛けてきて断れない状況にされました。
慣れと言うのは怖くて、篤史くんは必ず私のオマンコを触り固くなってるオチンポを割れ目に擦ってきたりしていましたが、私が四年生になる春休みにお風呂でいつもの様に割れ目を触られて居ました。
その日はいつもと違っていて、私は洗い場のバスマットに寝かされて、広げて脚の間には篤史くんの顔がオマンコに近付いてきたと思ったら、オマンコを舐めてきました。
「どうしてそんな汚ない所を舐めたりできるの」と聞くと「遥香が可愛くて愛しているからだよ」と言われた。
可愛いから、は嬉しかったけど、愛しているからだよ、は違うと思いました。
チュパチュパとお風呂場に響きました。
夜中に聞いた音に似ていると思いましたが、何も言えないで我慢していました。
篤史くんは自分の腫れたオチンポにボディーソープを垂らして、それを手でしごく様にしていると泡立ち始めて、その泡を私のオマンコにも塗ってきました。
ニュルと指が中に入ってきてチクッとした痛みが走りましたが我慢しました。
篤史くんが私の両脚を引っ張り私のオマンコに篤史くんねオチンポが付くくらいまで寄せると、穴の入り口に固い物が押し当てられ入り口が広がるのが分かりました。
不安がわき上がりました。
更に入り口が広がるのと同時に鋭い痛みがオマンコに走った瞬間「痛いよぉ」と声を出していました。
これには篤史くんもヤバイと思ったのか、すぐに湯槽に浸かると、母親が心配でお風呂場を覗いてきました。
篤史くんは湯槽浸かり、私はバスマットに大の字に寝転んでいる状態で「遥香おっちょこちょいでボディーソープの泡でスッ転んでやんの」と笑い飛ばしていて、母親も「本当ドジな子ね」と笑ってお風呂場の扉を閉めて行くのをなぜだか悲しく思いました。
その日を境に私は篤史くんを避けるようになり、お風呂も「もぉ私も四年生になったからお風呂は一人ではいるね」と母に話すと「たまには篤史くんと一緒に入ってあげてよ」と言われたから「○○ちゃんも、○○ちゃんももう一人で入ってる」と私の大親友の名前を出すと、母親は納得したみたいですが、私は篤史くんの事が段々嫌いになり、篤史くんが一緒に暮らすようになると篤史くんと私の関係は最悪になり、喧嘩も耐えませんでした。
でも、母親は篤史くんとの生活を選び、私も篤史くんと喧嘩をする度に祖父母の家にプチ家出を繰り返していて、私は祖父母と暮らすようになりました。
祖父母は快く私を迎え入れてくれました。
お世話になる以上はでくるお手伝いは進んでしましたし、代わりばんこでお風呂に入り話をしたり背中を洗ってあげました。
お風呂場ではお祖父ちゃんが篤史くんみたいに私を身体を意味なく触ってきはじめて、行き着く先はオマンコを触ってくる様になりました。
裸になるのは抵抗は有りませんでしたが、そんな風に身体を触られたりオマンコを触られる事には恥ずかしくて悲しかった。
お祖父ちゃんは普段からも私の身体に悪戯してきてて、お祖母ちゃんの目を盗んでは私の下着の中に手を入れてきたり、お祖父ちゃんのオチンポを握らされたり、お祖母ちゃんが留守の時間には、固くなってるオチンポを口の中に入れられる様にもなりました。
お祖母ちゃんはいつも私に優しかった。
私が五年生になり、夏休みが始まる直前にお祖母ちゃんが病気で急死してしまいました。
葬儀もたんたん行われて、明るいお祖母ちゃんの声が聞こえない家の中は静まり返っていました。
お祖父ちゃんもめっきり口数が減ってしまいました。
母親が「お祖父ちゃん一人じゃ遥香の世話をするのは大変だから家に戻ってきな」と言われたけど、あのお祖父ちゃんの様子を見続ける私には、逆にお祖父ちゃんを一人にするのが不安でした。
まぁ、身体を触られたりオマンコ触られるのは嫌だったけど、その他は大好きお祖父ちゃんだったから、我慢できました。
四十九日も無事に終えて、お祖父ちゃんも少しずつ元気を取り戻し、それまでは母親が来て料理を作ってくれたりもしていましたが、お祖父ちゃんが元気になり私も晩ごはんのおかずを作ったりもしました。
次第にお風呂での行為も元の様になり、篤史くんにされたのと同じ様に穴にお祖父ちゃんのオチンポを入れてくるようになりました。
挿入と言うものではなくて、入り口をオチンポで広げるだけで、それを繰り返していて徐々に広げて中に入れてきました。
処女膜を広げる様な痛みと言うより、苦しいに違い感じで更に奥に入れられると皮膚を引っ張られる様な痛みが走り「痛いよぉ…」と言うと止めてくれました。
夜寝る時には別々の部屋で寝ていたけど、お祖母ちゃんが亡くなってからは、私がお祖父ちゃんの部屋に行ったり、お祖父ちゃんが私の部屋に来て抱き付いて寝たりしていました。
決まってお祖父ちゃんは私のパジャマを脱がしてオマンコを触りながら寝たりしていました。
六年生になる頃には、夜お祖父ちゃんに触られてると、濡れる様になっていました。
胸も膨らみに触られると痛かった乳首も痛みは減り膨らみも少しずつだけど成長して母にブラジャーを賀ってもらい、渋々ブラジャーを付けると男子にからかわれる様になり恥ずかしかった。
そんな胸を見ながら「お母さんの六年生の頃に似てきたなぁ」と言われて複雑な気持ちが沸いてきました。
お風呂場での行為は少しずつ減ってきたけど、部屋の中での行為が増えてきました。