性的虐待体験
1:小学校高学年から中学の時
投稿者:
まさこ
◆RHvH5zGaTA
よく読まれている体験談
おはようございます。
今朝と言うか深夜のレスですね。眠れなかったのでしょうか。
まさこさんとお兄さんが海まで行く様子がよく分かりますね。
電車では人混みから守ってくれて、でも他人から覗かれてる時は恥ずかしさを煽ったり。
海についてからの水着に着替える様子やまさこさんの心境も。
本当にまさこさんがもう少し早く産まれてお兄さんと近い年齢だったら恋人同士ですね。
小さいまさこさんの気持ちも恋人同士だったかも知れませんが、歳が近ければ夫婦になり添い遂げるほどだったのではないでしょうか。
その当時はビキニ姿は珍しかったしセパレーツの水着なんてほぼいなかっただろうから視線は釘付けだったでしょうね。
読んでいてとてもまさこさんのドキドキ感が伝わってきますね。
また拝見しに来ますね。
こちらは小雨が降って涼しくなりました。いつもよりぐっすり眠れた気がします。恥ずかしくてたまらなかった海水浴の続きを書きます。お兄ちゃんから手を引かれて、熱い砂を踏みながらやっと波打ち際まで着きました。海に漬かれば見られない。そう思ってちょっとホッとしましたが、お兄ちゃんは直ぐには海に入ることを許してくれませんでした。それどころか、とても恥ずかしくて辛いことを私にさせました。泳ぐ前の準備運動は当たり前ですが、生まれて初めて人前でセパレーツの水着を着せられた私に、ラジオ体操をするように言うんです。いえ、私に言うだけでなく、お兄ちゃん自身がいち、にー、さん、しー、と声を出して運動を始めました。お兄ちゃんの水着も、今風の四角い大きなものではなく、股の部分が切れ上がった競泳用に近い形のものです。それ一枚を穿いたお兄ちゃんが両手を腰に当てて上体を反らすと、お兄ちゃんの大切なものが前に突き出されたように思えて、見てる私も恥ずかしかったのですが、そんな私にお兄ちゃんが「まさこちゃんもちゃんと準備運動して!」と叱るように言いました。仕方なく私もお兄ちゃんに合わせてラジオ体操をしましたが、ちらっと周囲に目をやると、すでに遠巻きで人が集まっています。男の人も女の人もいて、中には私くらいの子供もいました。大人はじっと見ているだけ、または私に聞こえないくらいの小さい声でこそこそ話してるくらいでしたが、男の子が無遠慮に大声で「あの女の子、大人の水着着てる。」「すごいな。」とか言ってるのが聞こえました。さらに紺色のスクール水着を着た女の子、声の感じでは私よりちょっと大きい中学生かもしれませんが数人で「子供のくせにあんなの着てる」「大人の真似して似合わない。」「恥ずかしくないのかしら」と敵意を持った会話をしているのも聞こえてきました。ラジオ体操が終わった後、さらにお兄ちゃんは足の屈伸、伸脚をするんです。屈伸はともかく、片足の完全に曲げてする深い伸脚は大勢に見られながらではさすがに私は出来ませんでした。浅い伸脚をして誤魔化したんですが、その時中学生くらいの女の子達から「恥ずかしがるくらいなら、あんなの着なければ良いのに」「どうせエッチな子なんだから、足なんかぐっと拡げて皆に見せたら」など酷い事を言うのが聞こえました。酷い!と思ってその女の子達の方をちらっと見たんですが、意外にも女の子達の視線は私ではなく、お兄ちゃんの方を向いているのに気がつきました。その一瞬で私は分かりました。この女の子達は、格好いいお兄ちゃんの水着姿を見たいんだ。でも露骨に男の人の水着姿をじろじろ見るのは恥ずかしいから、いかにも側にいる私を見てるんだって見せかけようとしてるんだって思いました。準備運動が終わって、やっとお兄ちゃんから手を引かれて海に入りました。その時も水の冷たさより、波打ち際にいてお兄ちゃんと私を見てる人達の視線が気になりました。腰くらいまでの深さのところでお兄ちゃんが「さあ、首まで浸かろう」と言って両手を繋いだまま、水の中に浸かったので、やっとホッとしました。波打ち際の方を見ると、あの中学生の女の子達が、今度はなんだか羨ましそうな表情をしてるように見えました。私は大胆になり、水の中でお兄ちゃんの首に抱きついて甘えてみました。お兄ちゃんは笑って私の身体を抱いてくれました。お兄ちゃんの耳元で「すごく恥ずかしかった..」と言ったら「うん、みんな見てたね。」「まさこちゃんが可愛いから、みんな見たがるんだよ」と言ってくれました。「女の子達、お兄ちゃんのこと見てたよ」と教えてあげたら「うん、分かってた」と満更でも無さそうな口調で言いました。私はほんのわずかですが、初めてジェラシーと言うか、私のお兄ちゃんが他の女の子から盗られかけたようでムラっとした記憶があります。水の中はあまり周りの目も気にならず、しかも時々大胆にお兄ちゃんの身体に抱きついたり出来ました。反対にお兄ちゃんから背中の方から片手で抱かれて水中で浮かびながら、反対の手でブカブカの水着のブラに手を入れられて乳首を弄られることまでされています。もちろん、もし見てる人がいたらと思うと恥ずかしかったのですが、いやらしいと感じるより何故か嬉しい!幸せ!と思いました。多分あの女の子達に対して、私の方がお兄ちゃんって言う恋人がいて、こんな大人のようなこともしてもらえてる、そう言う優越感を感じたのではないかと思います。海の中では楽しかったのですが、海から上がりお兄ちゃんから手を引かれて砂浜に上がって海の家まで歩くのはまた羞恥地獄でした。海の家の私達の囲いに戻り、バスタオルを肩から掛けて身体を隠しても、何人もの男の人が遠巻きに見ているんです。そんな私にお兄ちゃんが「やっぱり恥ずかしい?」と聞きました。私が「うん」と返事するとお兄ちゃんは「いつもと同じで、お兄ちゃんのために恥ずかしいのを耐えてくれてるまさこちゃんはとても可愛いよ。」と言ってくれました。私の胸がキュンと疼き、本当に恥ずかしいことですが、下腹の奥にいつもいやらしい時に感じる疼きみたいなものまで感じたんです。「もう少し耐えられる?」と聞いたお兄ちゃんに、私が頷
...省略されました。
引き続き書かせていただきます。二度目に海に入った後、お兄ちゃんから「早めに帰っていい?」と聞かれました。お兄ちゃんは私の母には「帰りはちょっと遅くて8時くらいになると思います」と言ってたのですが、また2時くらいだったのに何故だろうと思ったら「早く帰ってまさこちゃんにいやらしい事をしたい」と露骨に言われました。私も海は楽しかったけどそれより、お兄ちゃんからされたい!と言う思いが強く文句なく賛成しました。帰りの身支度の時に、ちょっとトラブルがありました。どう言う経緯だったか良く覚えてないんですが、海の家のシャワーが一人しか使えないと言われました。もちろんお兄ちゃんは私に使わせようとしてくれたんですが、私が「大人のお兄ちゃんが使って」とお兄ちゃんに譲りました。なんでもないような事でしたが、私にとっては大好きな恋人を大切に出来た、大げさですが恋人のために自分が犠牲になれたととても満足した記憶があります。それともう一つ、お兄ちゃんから「ワンピースの下に汗取りのシャツを着ないで欲しい」と言われて、言う通りにしました。当然乳首が目立つのですが、家から遠くで知ってる人とも会わないだろうと思ったのとなにより、お兄ちゃんがそう望んでるし、何かあってもお兄ちゃんが守ってくれる、と思ったのです。帰りの電車は、行きの長い座席の通勤用の車両と違って、四人掛けのボックス席の車両でした。私とお兄ちゃんは二人だけで一つのボックスに座れましたが、お兄ちゃんは私を窓側に座らせて、自分はその隣の通路側に座りました。そして電車の中でそっとですが、私の下半身を触ってくれたんです。これもすごいスリルと言うか、してはいけない事なんだって分かっててされる興奮を感じました。パンツは脱がされず、その上から割れ目をそっと触ってくれたのですが、私が気持ち良くて喘ぎ声が出かかると指の動きを止めました。男の人が女の人が逝く直前でやめて焦らせると言うテクニックがあるようですが、お兄ちゃんがそこまで思ってしてたのか、それとも単に私が声を上げて他の乗客に聞こえたら困るからなのかそれは分かりません。電車から降りてお兄ちゃんの家まで10分ちょっとでしたが、さすがに胸が透けるのは恥ずかしく、胸にバッグを抱くようにして歩きました。お兄ちゃんの家に着くと、直ぐにお風呂に水を溜めてくれたんですが、お風呂が沸く前に二人とも洗面所で裸になりました。その時お兄ちゃんから、「ここでしたい!」と言われました。狭い洗面所では床に横になれないんだけど?と思ってた私に、お兄ちゃんは洗面台に両手を付いてお尻をお兄ちゃんの方に向けるように言いました。私がまだピンとないまま、取り敢えずお兄ちゃんから言われたとおりの姿勢になると、お兄ちゃんはゴムを嵌めるなり直ぐに後ろから硬くて熱いのを入れてきてくれたんです。大人になってから、その体位を立ちバッグと呼んでいましたが、その頃はそんな名前もしらないし、何より立ったまま挿入されるんだと言うことに驚きました。かなり窮屈と言うか痛みも感じましたが、私はちつにお兄ちゃんのあれを受け入れることができました。お兄ちゃんは腰を使い始めましたが、やはり寝てされるより腰の動きが大きく激しいので、途中痛みを訴えたりもしたけど、最後まで受け入れることが出来ました。私は逝けなかったけど、新しい方法でお兄ちゃんを満足させられた事が嬉しかったです。代わりにお兄ちゃんは水風呂だけどお風呂の中で私を優しくしてくれました。髪の毛から足の指の間まで、丁寧に優しく洗ってくれました。お風呂から上がってジュースまで運んで来てくれたお兄ちゃんに対して申し訳ないような気持ち悪いになって、私の方から「もっといっぱいして良いよ」とおねだりの様な事を言いました。それが四時くらいだったんですが、それからまたお兄ちゃんは私を色々な方法で可愛がってくれました。お兄ちゃんのあれだけじゃなく道具を淹れてくれたり、また浣腸した後お尻に棒や指を入れてくれたり、あまりの気持ちよさに私が声を上げかけて、お兄ちゃんがハンカチを丸めて私の口を塞いだりもしています。痛く恥ずかしいこともされました。お兄ちゃんの家の広い和室にある立派な応接台にバスタオルを敷いた上に仰向けに寝かされて、磔のように大の字に手足を縛ってもらい、硬くなった乳首をナイフやフォーク等で突き刺す真似や切り取りる真似をされました。その時、金属製のペンチまで持ってきて、もちろん激しくはされませんでしたが、私の乳首を挟むことまでされました。お兄ちゃんの指で摘ままれるのと違い、金属製のペンチの冷たさ硬さがお芝居とは言え私に恐怖を感じさせてくれました。しかしその恐怖は、大好きなお兄ちゃんからされるんです。恐いと言う感情と、お兄ちゃんの好きにされて嬉しいと言う感情と矛盾は感じませんでした。あとその磔のまま、高いところからですがロウソクのロウを垂らされもしました。これも恐かったけど、皮膚に落ちたロウは思ったより熱くなかったように思えました。それでもお兄ちゃんが見せてくれたイラストのように、乳首や女の子の敏感な割れ目の中に落とされたらと考えると、
...省略されました。
おはようございます。
涼しくなってきて朝方などは人肌恋しい季節になりつつありますね。
砂浜を歩いてすぐに海に入れるかと思いきやお兄ちゃんは周りの人に見せつけるかのように準備体操ですか。
周りの人の視線は痛いほどかんじたでしょうね。
お兄さんもチンポが分かるような水着だし、まさこさんも大人びた水着でいれば皆見てしまうでしょうね。
周囲にいる人の声も聞こえてきたんですね。
凄くイヤらしいこと言えわれてる気分になって恥ずかしかったことでしょうね。
海の中に入ってしまえば水着の恥ずかしさは無くなったのかな?
お兄ちゃんを独り占めしている気分とお兄ちゃんに大人の女みたいにされてる実感があったんですね。
海の中で水着の隙間から手を入れられて胸揉まれたりチクビ弄ばれたりしてんですか。
周りには見えないけどドキドキでしたでしょうね。
それと同時に優越感もあったんですね。
大好きなお兄ちゃんのために恥ずかしがってつけてたタオルも外して皆に見られる興奮も覚えたのでしょうか?
タオル外した後はお兄ちゃんと大胆になって皆に見られながらお兄ちゃんにも甘い言葉かけられて身体が感じて熱いものが出たんですね。
その後早めに帰路につきお兄ちゃんの家で厭らしいことをされたいなんて告白されてまさこさんもお兄ちゃんとしたがってたんですね。
帰る途中もワンピースのみでチクビのツンツンも服の上からでも分かるようにして家までいったのですか。
周りの目線がまた気になってしまいますね。
電車の中でも股間を愛撫され焦らされて興奮しながらお兄ちゃんの家まで行ったことでしょう。
お兄ちゃんの家では初めての立ちバックでの挿入もされたんですか。
お兄ちゃんも興奮状態でまさこさんを激しく求めていたことでしょう。
お兄ちゃんは最後までいけたんですね。
その後も色々な行為をされたようですね。
どれも興奮させてもらえそうですね。
それだけSEXすれば子供の身体では疲れて寝てしまったことでしょう。
寝ぼけてお兄ちゃんを探している様子は少女って感じがしていいですね。
また拝見しに来ますね。
追加
いつもまさこさんの様子が凄く分かるレスと、それに興奮している自分がいます。
まさこさんとお兄ちゃんの関係がこの後どうなるのか気になります。
台風の影響なのか、私の住む地域では昼過ぎから大雨が降っています。地区の集会が予定されてましたが、中止になりました。お兄ちゃんから海に連れて行ってもらった時の事は激しい羞恥を伴いましたが、それに耐えてお兄ちゃんに喜んでもらったと言う満足感を私にもたらしてくれました。海はその一回だけでしたが、秋にはその後二回屋外で裸になっています。一度はお兄ちゃんから単車の後ろに乗せてもらって紅葉がきれいな谷川に連れていってもらい、付近に人がいないのを確認してからですが、全裸になってお兄ちゃんから言われたポーズを取ったり、お兄ちゃんのあれを口で慰めたりしています。二回目は、冬休みになって見晴らしの良い山に一緒に登り、山頂付近で裸になったことでした。お兄ちゃんは私が恥ずかしさや惨めさで興奮するのを充分に分かってくれていて、「まさこちゃんだけ裸で恥ずかしいよね。」「まさこちゃんはか弱い小学生の女の子なのに、こんな寒い日に外で裸にされるんだよ。可哀想だよね。」等の言葉で、私をますます興奮させてくれました。屋外で裸にされた時は、わざとごつごつした岩やチクチクする枯れ草の上に正座させられる、裸のままで大きく足を上げたりして木に登らされる、等普通の小学生では考えられないような異常でいやらしい事をさせられましたが、私はそのほとんどを激しい興奮を感じながら、言われた通りに実行しました。海のように周囲から見られる羞恥は無かったけど、冬に裸になった時は、身体が冷えておしっこがしたくなり、それをお兄ちゃんに訴えたけど、お兄ちゃんの見ている前でするように言われました。それまでも生理を見られたり、浣腸をされて大きいのを排泄するのまで見られいるのに、不思議なものでやはり好きなお兄ちゃんの前でおしっこをするのは、私にとって非常に恥ずかしく辛いことでした。泣きべそをかきながら地面におしっこをしましたが、その時は両手を後ろで縛られていたから、濡れた割れ目もお兄ちゃんに拭いてもらわねばなりませんでした。そんな羞恥や惨めさや寒さ、痛みを経験させられた後、外でお兄ちゃんからセックスしてもらえました。秋の時は、紅葉がにきれいに敷き詰められたような地面に寝かされてセックスしてもらいましたが、冬の時は縛られてた両手を解いてもらった後に、両手で太い木の枝をしっかりと握らされ、立ったまま後ろから入れてもらいました。洗面所でされた時の様に、かなりの痛みも感じましたが、その時は立ってされてるのに逝くことが出来ました。もっとも逝くと同時に両手が捕まっていた枝から離れ、地面にしゃがみこんでしまいました。セックスが終わった後に、ゴムを外したお兄ちゃんのあれを口できれいにするのを覚えたのもこの頃です。お兄ちゃんの精子の匂いやムッとする生臭い感じは嫌いではありませんでしたが、あのゴム特有の匂いは何故か好きになれませんでした。もちろんお兄ちゃんは私にいやらしい事ばかりしていたのではありません。毎週末の私の楽しみも、ちゃんとお兄ちゃんから勉強を教えてもらった後でしたし、テストで点数が悪いと何故悪かったのかと聞かれました。当時の私は、自分はお兄ちゃんの良い子でなくてはいけないと思い込んでましたから、成績や生活態度等でお兄ちゃんを心配させるのはとても嫌でした。だからそれなりに努力しましたし、そのお陰で学校でも家でも良い子だと言う評判をもらっていました。当時の担任の先生はその年に結婚したばかりの女の先生で、私の事を真面目な良い子だと私本人だけでなく、お母さんにも誉めてくれていましたが、お兄ちゃんの女としての私の本当の姿を知ったらどんなに驚いたことでしょうか。もしかしたら、新婚の先生より私の方が変態的な性を経験してたのかも知れません。後、特に記憶に残ってる変態な事と言ったら、金曜日にお兄ちゃんから小さく透ける生地で作られたセクシーパンティーを渡され、土曜日に普通のパンツの下に穿いて学校に行くようにと言われた事がありました。それまでも、お兄ちゃんと一緒に散歩や買い物等近所を歩く時にそんなパンティーを穿かされた事はありましたが、それを私一人でお兄ちゃんからの助けが無い学校でする事は、小学生の私にとってはかなりきつい事でした。ちゃんとスカートも履いてるし、スカートが捲れても普段から穿いてる子供用の大きなパンツが見られるだけで、私がそんなエッチなパンティーを穿いてるなんて誰からも見られない筈なのに、とても恥ずかしく意識してしまいました。もちろん階段の上がり下りで食い込みかけたし、お便所に行って用を足した後引っ張り上げた時にも、いきなり深く食い込んで慌ててしまいました。何より授業中に食い込みを意識してしまい、食い込みかけた感触と、その日の午後にお兄ちゃんからどんなことをしてもらえるのかとエッチな事ばかり意識してしまって、先生の話が全く頭に入りませんでした。午前中で授業が終わり、帰りの清掃の時間に机を運んでいたのですが、上の空でいたために後ろで机を運んでいた男の子と勢いよくぶつかり、机ごと倒れて転んでしまいました。両足が広がり、正面から見たらスカートの奥が近くの友達に見えてしまった様で、一瞬穿いてるいやらしいパンティーが見られた!と思って心臓が止まりそうになりました。気遣ってくれる友達に、大丈夫、大したこと無いのと言って食い込んでるパンティーを直すためにトイレに行ったのですが、スカートを捲って白いパンツを下ろした途端に、私のあそこが出るいやらしい匂いがむっと立ち込めました。いやらしいパンティーは元より、その上に穿いていた女の子用の大きなパンツのクロッチにもかなり湿り気が着いていたんです。
...省略されました。
大雨が止まずに、遠くからサイレンが聞こえたりして眠れません。
書き込みして不安を紛らわそうと思います。
でも、もう書き込めるエピソードも残り少ないんです。
私が中学に上がる時、お兄ちゃんも大学を卒業して就職が決まりました。
4月から1ヶ月研修所に入って、5月からは北海道の職場に赴任と聞いて、お兄ちゃんの恋人気取りだった私は自分の部屋で何度か泣きました。
それでもお母さんから「元気な明るい笑顔で見送ってあげなさい」と言われて、5月の連休明けに赴任するお兄ちゃんを見送りました。
お兄ちゃんも赴任直前は忙しく、私をゆっくりと可愛がってくれる時間もありませんでした。
荷造りの途中のわずかの時間に、会いに行った私を抱き締めてくれましたが、その時に下着の上からです胸やあそこを触ってくれたくらいです。
その時に「まさこちゃんの可愛い思い出を持って行くから」と言って、海に連れて行ってくれた時の水着や汚してしまったセクシーパンティー等を一つの箱に詰め込んで持って行くつもりだと言う事をを教えてくれました。
恥ずかしいけど嬉しかったです。
お兄ちゃんが行ってしまって寂しかったけど、世の中は良くしたもので、直ぐに中学最初の中間テストが始まり、お兄ちゃんに「私も勉強頑張るから」と約束した手前、私も必死に勉強しました。
陰で、お兄ちゃんと会えない寂しさも紛らわす事が出来たし、成績も学年で一桁に入ると言う思いがけない結果を手紙でお兄ちゃんに知らせる喜びもありました。
お兄ちゃんからも月に二回は手紙が届きましたが、やっと慣れましたとかの通り一辺の内容でだけではなく、こちらは大自然がきれいだが、やがてまさこちゃんをこちらに遊びに連れてきて、広い草原で裸にして可愛い姿を写真に撮りたい、等読んでて私の顔が自然に赤くなるような事を書いてくれていました。
もちろんお母さんにも見せられないので、机の引き出しの奥に仕舞って、時々大切に読んではお兄ちゃんからしてもらった色々なエッチな事を思い出して、自分で自分を慰めることをしていました。
夏休みには一度帰って来てくれたのですが、職場で一番若いから初盆がある先輩達に休みを譲らなくてはならなかったらしく、一泊二日しか帰れなかったんです。
しかも、私もその時に学校の部活動の合宿に参加しなくてはならず、部活動が終わって慌ててお兄ちゃんの家に駆けつけた時は、お兄ちゃんが家を出る一時間前でした。
それでもお兄ちゃんは「まさこちゃんにお土産があったよ」と不自然にならないように私を自分の部屋に上げてくれました。
そこで激しく抱き締めてくれた後、制服のスカートを捲り、パンツだけ脱がすと自分のあれに慌ただしくゴムを着け、後ろから入れてくれたんです。
時間にしたら、ほんの5分も掛かりませんでした。
床に崩れ落ちた私のあそこをティッシュでそっと拭いてくれたんですが、その後で床に落ちていた私のパンツを拾うと「これが欲しい。北海道に持って帰りたい」と言うんです。
今の学生さん達はスカートの下に短パンやスパッツを穿いて下着のパンツは見えないようにしてるようですが、当時はスカートの下は生理で下着が汚れそうだから上穿きを穿くとかで無いと、下着のパンツだけが当たり前でした。
そのパンツをお兄ちゃんにあげたらノーパンになるわけですが、私は迷わずにお兄ちゃんに上げました。
合宿帰りで、汗やおりもの、もしかしたらおしっこも着いて汚れてるかもれないパンツしたが、それをお兄ちゃんが持っていってくれるのは、恥ずかしいけどとても嬉しく思いました。
お兄ちゃんは「年末年始はもう少しゆっくり出来るから、また一緒に山とかに行こう」と言ってくれました。
11月になってお兄ちゃんから来た手紙に「こちらはもう雪が降ってるけど、こんな寒い中でも前にもちゃんは裸になってくれるかな」と書かれていて、私は裸にされて雪に埋もれてる可哀想な自分を想像しては、激しく自分を慰めたものです。
やっと眠くなりました。
お兄ちゃんとの話はあと少しですが、また書かせていただきます。
おはようございます。
そちらは凄く雨が降っているのですね。
災害などが無いことをお祈りしています。
お兄さんとの甘口切なくそれでいて濃厚で激しく想い出ももう少しで終わってしまうかと思うと淋しく思います。
卑猥ですが、毎朝ここを覗きに来て朝立しているチンポが更に硬くなるほどです。
今のまさこさんを犯したくなっている自分がいます。
お兄さんとの想い出の場所を巡りながらまさこさんにここでお兄さんにこんな風にされたの!なんて解説してもらいながら再現してみたいです。
お兄さんほどまさこさんを興奮させれはしないでしょうが今のまさこさんが乱れるのを見てみたいです。
今日は朝少し疲れもあり感想はまた夜レスさせていただきます。
いつも長文で興奮させてもらいありがとうございます。
追加
不謹慎ではありますが、今降ってる雨の中にまさこさんを立たせたいです。
下着は着けても着けなくてもいいです。
雨で濡れると透けてしまう服装で雨に濡れてもらいたいです。
そのまま雨宿りもかけてコンビニ立ち寄ってもらい中ではお客さんや店員さんの視線を集めてもらいたいです。
冷房も効いてるので身体どんどん冷えていきさむくなって行くのに身体のなかは恥ずかしさでムラムラしてる。
数十分後に携帯が鳴り今コンビニの駐車場に着いたよ。
と、迎えに行きまさこを車に乗せてみたいです、
もちろんコンビニ出る時は皆の視線が全てまさこに集まっていることでしょうね。
また拝見しに来ます。
今晩は。
もう雨は上がってるかな?それともまだひどい降りが続いているかな?
紅葉の谷川に行ってのですね。
ちょうど今頃からの季節ですね。裸でポーズを取り口で慰めたりしたのですね。
紅葉の季節が来るたびに思い出されますね。
冬には山へ一緒に行きまさこさんの羞恥心を自分の事のように思ってたのかな?
まさこさんを大人のように甘い言葉で慰めてくれてるのは凄いですね。
普段は出来ないポーズも岩場だったり木に登れば自然に出来てしまいますね。
身体も冷えてくればオシッコもしたくなりますね。
他にも色んな姿を見せてたのにやっぱりオシッコはそれ以上に恥ずかしかったのかな?
泣きべそかきながらお兄ちゃんの目の前でオシッコをして割れ目を綺麗に拭いてもらったんですか。
きっとお兄ちゃんの手にはまさこさんのオシッコのぬくもりが伝わったことでしょうね。
外でのSEXも何度かしたんですね。
しかも落ち葉の上や木に縛られてなんてかなりアブノーマルですね。
まさこさんが言うように新婚の先生よりよっぽどエロい生活をしてたようには思えますね。
割れ目に食い込むようなセクシーな下着も付けて学校にも行ったんですね。
気になって授業どころではなかったことでしょう。
家に帰ってもぼーっとしててお母さんもへんだな~って思ってたでしょうね。
そんなことを一日していればお兄さんを求めたくもなりますよね。
きっと自ら激しく求めたことでしょうね。
その後はお兄さんも就職してしまいなかなか会えない日々が続くのですね。
会えた瞬間きっとお互いをむさぼるように求めたことでしょうね。
また拝見しに来ますね。
最後の話になります。いやらしい話ではありません。ごめんなさい。その年の12月に入って直ぐ、お兄ちゃんから「29日に仕事が終わったら、その日の最後の飛行機で帰る。帰ったらまさこちゃんをぎっと抱き締めたい。まさこちゃんの匂いを嗅ぎたい」と書かれた手紙が来ました。嬉しくて嬉しくて、待ち遠しくてたまりませんでした。私の方こそお兄ちゃんの香ばしい匂いを嗅ぎたい。キスしてもらってお兄ちゃんの唾を飲ませて欲しい。息が出来なくなるくらい強く抱き締めて欲しい。ちょっと膨らんだ胸を大きな手でぎゅっと掴んで揉んで欲しい。硬く尖った乳首も摘まんで捏ねたり、強く吸ったり、噛んだりして欲しい。甘えん坊の私が逃げないように、厳しく縛り上げて欲しい。お尻にも浣腸を一度に何個も注入して、私を泣かせて欲しい。その後、お兄ちゃんの太い指をお尻に入れて掻き回して欲しい。前の割れ目も、ぐいっと大きく拡げて、中を指で摘まんだり剥いたり散々虐めて欲しい。興奮してくれたら、硬くて熱いお兄ちゃんのあれを、私の身体の奥にグサッと刺し込んで、激しく腰を打ち付けて欲しい。射精したらゴムをはずした後のあれを、私の口できれいにさせて欲しい。寒くてもかまわずに、弱い私を外で裸にしてお兄ちゃんの好きなだけ拷問して欲しい。年末年始で忙しいだろうけど、一回だけでなく何回か可愛がって欲しい。そして最後に「好きだよ」とか「可愛いね」とかちょっとだけで良いから囁いて欲しい。こうやって言葉に書くと、とても中学1年生が考える事とは思えないような事を毎晩思い浮かべては自分の指で自分を慰めていました。ところがお兄ちゃんは12月18日の日に、北海道で交通事故に遭ってしまったんです。お兄ちゃんのご両親が直ぐに北海道に行きました。最初は「意識がある。入院して治療を受けている」だったのですが、12月20日にご両親に看取られて亡くなりました。知らせを聞いても、どうしても信じられませんでした。遺骨になって帰ってきたのが23日、私の学校の修了式の日で、その日の夜がお通夜でした。私の心の中では、まだお兄ちゃんが死んじゃったと言う現実を理解できて無かったみたいで、本当に悲しいと言う感情が湧かなかったんです。それが母から「お通夜より一時間早く来るようにとご両親から電話があったから」と言われてから、お兄ちゃんの遺骨を見たらお兄ちゃんが死んだって認めてしまわなくちゃいけなくなると思い始めて、急に気が動転したようになりました。お通夜に行くために学校のセーラー服を着てて、手が震えてセーラー服のネクタイを結べないんです。母がそんな私にネクタイを結んでくれながら、「◯◯さん(お兄ちゃんの本名)とお前と肉体関係があったのを、あちらのご両親は知ってるからね」と言ったんです。また大きなショックでした。母は呆然となった私の制服の着付けを整えたり、髪の毛をといてくれながら「その事について何かお前も言われるかもしれないけど、それは仕方ないからね。あれだけ◯◯さんに良くしてもらったんだから、あちらのご両親にお礼を言わなくてはだめよ」と言いました。その時は私の母が私とお兄ちゃんとの肉体関係をどうして知ったのかも考えるゆとりがありませんでした。母に連れられてお兄ちゃんの家に行くと、お兄ちゃんから可愛がってもらったこともある裏にに面する一階の和室、二間続きの応接間にお兄ちゃんの遺影と遺骨が安置されていました。ご両親が横にいる遺影の前で母と並んで座り、お兄ちゃんの遺影に両手を合わせたら、そんなに悲しいと言う感情にはなってないのに、涙だけ勝手にポロポロと落ち始めました。母が拝み終わって再びご両親の方を向いたのですが、なぜか私はお兄ちゃんの遺影から目が離せずに、まだ拝み続けていました。すると急に喪服を着たお兄ちゃんのお母さんが、座ったままの私に抱きついてきて、大声で泣き出しました。それにつられるように、私も声を上げて泣き出しました。やっとそれまで現実を受け入れられなかった心が素直になれたみたいな感じでした。しばらくお兄ちゃんのお母さんと抱き合って泣いた後、私と母は二階の懐かしいお兄ちゃんの部屋に通されました。私はそこでも泣き続けていたんですが、そこで私の母がお兄ちゃんのお母さんから色々話を聞いていました。お兄ちゃんは病院に駆けつけたお母さんに、私との事を全部打ち明けて、アパートに私との想いでの品物が入ってる箱があるから他の人の目に触れないようにして欲しい、私にありがとう、ごめんと伝えて欲しいとお願いしたそうです。お母さんは箱の中を一度見た後、火葬の時にお兄ちゃんと一緒にお棺に入れて焼いてくれたそうです。箱の中には私の水着や汚れたパンツ等見苦しい物が入っていた筈でした。やはりそんな品物を見ていたせいか、私に対しては「◯◯がごめんね。でも◯◯を好きになってくれてありがとう」と何度も言ってくれました。49日の法事が終わった後ですが、お母さんと二人きりで話をする機会がありました。「まさこちゃんはこんなに小さいのに、◯◯が変態みたいな酷い事もしたみたいね?それでも◯◯の事を好きになって
...省略されました。
こんばんは。
いよいよ最後の思い出ですね。
就職して落ち着き12月の年末年始の休みを利用して帰省しようとしてたのですね。
お互い短い時間でも愛していたい。香りだけでも覚えておきたい。と思ってたのでしょうね。
お兄ちゃんが帰ってくると思えてら嬉しくてたまらなかった事でしょうね。
まさこさんはお兄さんの香りだけでなく唾液さえ恋しかったのですね。
以前より膨らんだ胸を見てもらいぎゅっと掴んで揉んでもらいたかったことでしょうね。
チクビもイジメて欲しいし、アブノーマル的な事もすべてしてもらいたいそんな気持ちだったんですね。
普通の中学1年生が思ってる事ではなく成人の女性が思ってる事に近いですね。
待ってる間は一日千秋の思いだったことでしょう。
もう少しで会えるそんな時に入ってきた事故報告。
まさこさんの心は張り裂けそうだったことでしょう。
まだ生きていて会える。それだけが支えだったかも知れませんね。
そんな望みも届かずお兄さんは亡くなってしまったのですか。
ショックは計り知れなかったことでしょう。
お通夜の呼ばれた時もまだ信じられなかったことでしょう。
さらに母親にお兄さんとの肉体関係まで知られていてさらにショックだったでしょう。
相手のご両親にも知られてるなんて思ってもみなかった、晴天の霹靂。
覚悟と言っても中1ではどうしていいかわからずただ親について行くことしかできなかったことでしょう。
お兄さんの家で遺骨や位牌、写真を見てもまだ実感はなかったことでしょう。
まだどこかで生きていてふと現れてくれるなんて思ってもいたかな?
ただなぜか涙だけ溢れてきたのですね。
お兄ちゃんの母親が抱き着いてきて大泣きしてる事でやっと実感が出て来て共に大泣きしたのでしょう。
お兄ちゃんが最後に母親に言ったまさこさんとの思い出は後で部屋を片付けしてる時に見つかるといけないものだったので信頼できる母親に最後を託したのでしょうね。
その時にはお兄さんも死期が近いことを分かっていたのでしょうね。
火葬の際に思い出も一緒に荼毘にふしたのですね。
お兄さんの両親もまさこさんに愛してもらったって思えてくれてるのは幸いだったかもしれませんね。
お兄さんもまさこさんを奥さんにしたかった事でしょうね。
お兄さんのお母さんも新しい恋を見つけてね。とは言われてもそこまで熱くなれる相手なんてそうそういませんよね。
お兄さんにされたアブノーマル的な事をしてくれる人は居ず性癖への不満も募り歪んで行ったのもわかります。
淋しさを埋めるように危ない性的な仕事もしてたのかな?
抜け出して落ち着いた先はお見合い結婚ですか。
でも決められて男と結婚して夫になってもぽっかり空いた穴は埋め切れるはずはなかった事でしょう。
心に残る最高のパートナーのお兄さんは超えられないでしょうね。
お兄さんのご両親も10年も前に亡くなっているんですね。
お墓参り行くときはその都度お兄さんとのこの思い出をいつも思い出して心に閉まっていたのですね。
50年も前の事を興奮も交えて書かれててまさこさんの気持ちが伝わってきました。
書き終わった感も凄く伝わります。
気が向いたらnan-net@nyasan.comにここでは書けなかった歪んでしまってた時の事や危ない性的な仕事の事も聞きたいです。
その後の50年の夫婦生活の様子もきになります。
もう見に来ないかもしてませんがまさこさんがよかったらメールしてみてください。
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