昭和20年代生まれです。
日本の国民の多くが豊かになったと思えるようになったのは、昭和40年代後半に入ってからのような気がします。
私の家庭は、父が病気で亡くなって母と二人の母子家庭でしたし、助けてくれる親戚もいなくて大変でした。
大きな町では遺族センター等があったそうですが、田舎の小さな温泉町ではそんなものも無く、父が生前に残した借金の権利が地回りに流れて、恐い目にも会いました。
そんな理由で、母は昼間は旅館の女中をしながら、夜はお客を取らされていましたし、時には旅館の宴会場で恥ずかしい出し物に出されていました。
私が初めて出し物に出されてる母を見たのは、小学校5年の時でした。
顔見知りの旅館の人から、母が用事があるから呼んでる、と告げられて連れていかれた宴会場の小さな舞台に裸にされて乳房を縄で括れたように縛られてる母を見ました。
母の身体を支えてた丸坊主の男が旅館の人から私が聞いて、ここに来てる女の子がこの女の娘です、と客に言うと宴会場全体から、おおーっ、と驚いたような声がしました。
母は口に布を食い込ませされて言葉を話せなくされていましたが、私を見ると、見てはだめ、と言うように顔を激しく横に振り、その後うつ向いてしまいました。
その日はこれだけで私は宴会場を出されて家に一人で帰ったんですが、母はその夜も客を取らせられたようで帰って来ませんでした。
縛られてる母をまだ幼い娘に見せる、と言うのがその旅館の変態な宴会場の売りになったみたいで、それから月に2回か3回は私は呼ばれるようになりました。
家で母と話す時は、暗黙でそのことは触れませんでした。
その時は母も私も貧乏だから仕方ないと思っていました。
半年程して、週末の夜に私が旅館に呼ばれて宴会場に行き、母と会って帰ろうとしたら客の中から、娘も脱がせろ、と声がしました。
その日は進行役の坊主頭の男が取りなしてくれて私は無事に帰れましたが、それから何ヵ月かして旅館の主人から、私も裸にならないかと、言われました。
母はもちろん反対しましたが私はやはり、貧乏だから仕方ない、と思って承知しました。
読みにくいのを長々と書いてすみせん。
昔の事を誰かに話したかったけど、そんな相手がいなかったんですが、チャットを教えてもらったのでここまで四時間かけて書きました。