実父が死に、中1から中2にかけて母と地獄の1年半を過ごした。
借金の肩代わりを条件に無理矢理母と再婚した継父から、母と二人で性的な虐待を受けた。
裸で縛り上げられた母と同じ部屋で私も裸で縛られ、母が苦痛の中で犯されるのを見せつけられ、その母の身体から引き抜いた継父のペニスと、母の陰水まみれのを膣口を口できれいにさせられたのが初めだった。
冬の最中、母は全裸で霙の降る庭の立木に縛られて、私は母から見える縁側で継父から肛門を犯された。
浣腸を3度繰り返されてクリームを付けた継父の太い指で解された後とはいえ、やはり継父のペニスで私の肛門は裂けて出血した。
挿入も苦しかったが、抜き取られる時に内臓を一緒に引き抜かれるような苦痛で気を失った。
気が付いたら、縛られた母が舌で私の肛門の出血を舐めてくれていた。
母も前後に2本の太いディルドーのついた革製パンティーを穿かされて出血し、それを私が舐めてあげたこともある。
母も私も服の下は鞭の傷や火傷は当たり前だった。
ちょっとでも逆らったり抵抗したら、がんじからめに縛り上げられ、性器や肛門にカラシなどを塗られる拷問を加えられた。
近所から離れた山の中の一軒屋で悲鳴をあげても聞こえる人がいないのに、継父は私には母の、母には私の汚れた下着を口に押し込むのを好んだ。
私の童貞は、継父が集めた同じ様な変態仲間の見ている前で、母と無理矢理性交させられることで無くした。
その後は変態達から、母は膣と肛門を、私は肛門を繰り返し犯され、滑車を使って庭木の枝から逆さ吊りにされ、肛門に火のついたロウソクを立てられたり鞭を受けたりして、何度も気を失った。
母は千枚通しで乳首と大陰唇に穴を開けられた上に、下腹にペニスの模様を刺青され元に戻らない普通の人と違う身体にさせられた。
母も私も変態相手に貸し出されたこともある。
夏休みに母と二人で変態夫婦に1週間貸し出された時は、様々な残酷で淫らな拷問を受けたうえ、夜も倉庫の中に監禁され残飯しか与えられず、連れ帰られた後に二人とも入院させられてしまった。
私が2年の夏に継父は急に母を離婚した。
母と私に飽いたため、母を別の変態男性に売ったのだ。
母は半年後にその男性とまた結婚して私も新たな継父となった男性の家に移ったが、新たな継父はサドではあったが、性格的な異常者ではなかった。
私を犯すようなホモの毛は無く、私に母が責められてるのを見せつけるように母を精神的に責めることもなかった。
しかし私が思春期に受けた心の傷は深く、その結果、二人目の継父が病気で亡くなった後に、50を過ぎた母を責めると言う関係になってしまった。
現在還暦を過ぎた母と二人暮らしだが、今でもほぼ毎日母を責める生活をしている。