両親より一足先に祖父母の家に来ました。
一年ぶりに会う祖父母は元気そうで、相変わらず私を見る目は小さい頃から可愛がってくれてた目でした。
帰ってすぐにお仏壇にご先祖様に挨拶して、小さい頃から見慣れた顔の遺影がそこにはありました。
前の年のお盆に帰省して一ヶ月もしないうちに、また祖父母の家に来ることになるとは思いもよりませんでした。
伯父は自ら命を絶ちました。
伯父はバツイチで子供は居ませんでした。
離婚の原因は伯父に生殖能力が低くて、子供を望めない、と言うのが理由らしいです。
そんな伯父は従兄弟や年に一度しか会わない私達姉妹にも優しかった。
母の弟の叔父の子供は男の子だけで、私達は女の子だけと言うとアンバランスな家族でした。
小さい頃は伯父の帰宅を待って、子供四人で伯父をお風呂で取り合いの様に遊んでもらったり、背中を洗ってあげていました。
私が四年生に、従兄の康夫が五年生の時でした。
帰省して二日目だったと思います。
家には康夫と私だけで留守番をしていました。
なぜ二人だけが留守番をする事になったかは忘れましたが、テレビを見ながらお互いの学校の話をしたり、友達の話をしていたのですが、だんだんエッチな話になり男の性器が硬くなったり、皮が剥けたりする事を教えられて、女の性器の膣に勃起した性器を入れて愛し合う事も教えられました。
それが何を意味するかは私には分かりませんでしたが、何となく興味も有ったし、暇だったので「誰にも内緒にしてな」と康夫が言うので私も承諾しました。
とりあえずお互いの身体を見せ合おう、と言うことでTシャツや下着を脱いで上半身裸になりました。久しぶりに見る康夫の身体はあまり変わっていませんでした。
康夫は、私の胸を見つめていました。
その頃の私の胸は乳輪が中からシコリの様な物が出来て「女の子が大人になる準備よ」とお母さんさんから聞かされて、下着も胸の所だけが二枚重ねになっている下着に替わりました。
「真理子の胸の先っぽ膨らんでる」と不思議そうに見ていました。
「触っていい」と聞かれたので「ゆっくり触ってね」と言うと康夫の手が私の盛り上がった乳輪を指先で触ってきました。
それくらいなは痛みは感じませんでしたが、突然グリグリされたので「康夫、痛い、痛い優しくって言ったでしょ」と言うと驚いて康夫は手を引っ込め「ごめん、ごめん」と言って謝っていました。
「でも、真理子のオッパイ可愛いね」と言われて恥ずかしさが沸き上がってきたのと嬉しい気持ちもありした。
「じゃ、先に俺から脱ぐから」と立ち上がり半ズボンとブリーフを脱ぐと、プルン、と性器が跳ねていました。
私が三年の時には康夫兄弟とは一緒にはお風呂には入らなくなったので、何となく久しぶりに見た康夫の性器は大きくなっている様に見えました。
「へぇ~、なんか大きくなったね」と言うと「真理子の胸が成長したのと一緒だよ」と言われて納得しましたが、康夫の性器をよく見たら、先っぽの皮が剥けてて何か中から出ていました。
白っぽい焼きタラコみたいなのがニョキと出ていました。
「真理子、触ってみてよ」と言われたけど、その当時は、オチンチン=汚ない、と言うイメージがあってちょっと躊躇いましたが、ウェットティッシュがテーブルの上にあったので、二、三枚取り出して康夫の性器を拭い、拭いた所を掴み他の所も拭き取った際に、中から更にニョキと皮が剥けてミドリガメの頭みたいなのが出てきて驚きましたが、よく見るとお父さんや伯父をの性器に形こそは似てたけど、白っぽくて色は全然違い、ブラブラしてるタマタマはキュッ、となってて、シワシワになってました。
中から出てきたのも綺麗に拭き取ると、最初より堅さと言うか形が変わった様になってて、私が指を離しても先っぽは皮の中に戻りませんでした。