ありがとうございます。経済的には裕福な方だったと思います。ただ私立の学校に行かせてもらえたのは、親の見栄や体裁のためだったと思います。父が休みの日、学校から戻るとすぐに行為が始まる日もありました。母は父の命令でいなかったのか、辛くていなかったのか分かりませんが、父が平日に休みをとると決まって母は不在でした。玄関に立たされたまま、制服を着替えることも許されずにパンツの中に手を入れられることもよくありました。駅でトイレをすませておかないと、玄関でお漏らしをしてしまうようなこともありました。そんな時は、やはり罰をうけました。父の部屋に連れていかれるのが1番怖い罰になっていくのですが、、父の部屋には書棚と机、ベッド、テレビ、スクリーン、スピーカーがあり、白い壁ばかりで30センチほどの小さな窓のようなものがあるだけでした。その部屋に入ると父の変質的な行為は、長く苦痛を伴うものが多くなっていきます。罰として部屋に入るので、まず父のものを口で綺麗にしながら、教え込まれた方法で父を喜ばせていきます。舐めたり頬張ったりしながら父の肛門に指を伸ばします。父が指示するとおりに指や舌を動かすと、父の口からくぐもった声が聞こえました。その声を聞くのがいやでたまらず、意識を口と指に集中していました。父は1度、私の口に出します。そらからお尻に液体を垂らすと、父の指がゆっくりと肛門に入ってくるのがわかりました。何度も繰り返してきた行為ですが、あのときの無力感は何度あじわっても変わることはありませんでした。父は肛門を広げるように指を動かし、鋭い目で私を見ながら、クリトリスを自分で触るように指示してきました。父に肛門をえぐるようにされ、クリトリスからの刺激で私は快楽を得てしまい、しだいに腰を浮かしてしまうのですがそうすると父の指が2本に増えお尻を大きく広げられてしまいます。広げられるのが嫌でわざと快楽を得ないようにすると、父はクリトリスを剥き出しにして舐めてきました。電気が走るような感覚に体が反応していると、やはり2本目の指をお尻の穴に無理やり入れてくるのです。指が2本しっかり入ると四つん這いにさせられて、指を入れられた状態で床を舐めさせられたり、顔を床に押し付けたまま自分の乳首をつねりながらクリトリスを刺激するようなことを30分以上も続けさせられたりしました。すでに快楽はなく、屈辱感と疲労しかありません。まだ9歳になる前でした。父は、私のお尻を犯しました。小テストの点数がひどかったときの罰だったと思います。部屋に見慣れない大きな鏡がありました。その日は私の口に出すことはせず、注射器のようなものでお尻の中に牛乳をいれました。始めての罰でした。お腹が大きく張って苦しくて、許しをもらってトイレに行ってもどってくると父は私のお尻に液体を垂らすと、父は自分のものにも液体をつけました。四つん這いにさせられ、父が自分のものをお尻の穴にあてがったときも、まだ何をされるのかわかりませんでした。お尻の穴や、膣に、男の人の物を入れるという発想がなかったんです。何度も父がお尻をつつくので、ただジッとしていたのですが、なかなか入らなかったのか今度は仰向けにされ、足首を頭の上まで上げると、父がのしかかってきました。何をされたのか分かりませんでした。私がいけない子だから、出来ない子だから、父が私を殺そうとしているんだと思いました。お尻の穴が避けたような音がしました。穴が痛いというよりお尻が爆発したのかと思うほどでした。苦痛で大きな声を出してしまっていたのか、父に口を塞がれると、クリトリスを自分で触るように指示されました。できるはずないと思うのですが、父の言葉は絶対で、言うとおりにしなければもっとひどいめに合うのは分かっていたので必死にクリトリスを触りました。でもどこにあるのかさえ分からなかった。どこを触っているのかもわからなかった。父はまた液体を垂らすと、その液体を塗り込むようにクリトリスを刺激してきました。痛みと苦痛しかないのに、体がかってに反応してビクビクと震えました。何度も何度も震えました。もうやめてー!限界でした。気がつくと父に抱えられて鏡の前にいました。父のものはまだ私のお尻に刺さったままでした。ひどい状態でした。肛門のまわりの肉はもりあがったり、巻き込まれたようになって父のものは半分以上入ってしまっていました。私は仰け反り、頭をふり、手をつっぱねて、必死に逃げようとしましたが、痛みが酷くなるばかりでした。
...省略されました。
そう拘らなくてもよいと思うが、幼稚舎で検索すれば、様々な幼稚園がヒットします。トロ幼稚舎なんてのまである(笑)あと教育系の学部がある女子大には幼稚園併設で、これを幼稚舎と呼んでいるところも(^o^)