私が初めて自分のMに気が付いたのが幼稚園の時。
夏に海でパンツ1枚で遊んだ時、友達のおとうさんがボートに
乗せてくれました。
その時「私はパンツ1枚で海賊にさらわれるんだ。」って想像
したんです。
学校の給食調理室を見ては、「私は、ここで料理されて食べら
れちゃうんだ。」って思ったし、ウサギ小屋を見ては、「裸で
この中で飼われる。」妄想をしていました。
高学年になって運動会で、台の上で体操の指揮をした時は、
わざとジュニアブラをせずに乳首が白い体操服から透けて見え
るようにして、全裸で体操をさせられてるつもりになっていま
した。
小6の秋の台風の時に、誰もこないだろうと山の中の作業小屋で
服を脱ぎ全裸になって嵐の中を歩いて自虐行為にふけっていたら
作業員のおじさんに見つかり、小屋の中で悪戯のうえ犯されまし
た。
全く自分が妄想していたとおりに乱暴に扱われ、処女を奪われた
上に口でもさせられ、おじさんのオシッコまで飲まされました。
もちろん、親に言えば変態をばらすと脅かされ、何度も呼び出さ
れては、恥ずかしい写真を撮られ、縛りや浣腸、吊りなど本格的
なSMをされ、約1年間弄ばれました。
おじさんとの仲は切れましたが、私の妄想はますます膨らみ、高
校の時は、年齢を誤魔化してSMクラブに勤めたり、縛りのモデ
ルになったりした挙句、18歳の時親元から離れると同時に、奴隷
市場で自ら競りにかけられ、現在はSのご主人様の貸出し用奴隷
として飼われています。
田舎の一軒家で原則全裸で監禁生活を送っていますが、些細な過
ちでもあれば、プレイの限度を超えた折檻が加えられます。でも、
良いお客様に貸し出され、御客様を満足させられると、外出が許
されることもあります。
2年契約でしたので、後半年はこの暮らしが続きます。
望みは、また奴隷市場で競りに掛けられる時、一生奴隷妻として
飼ってくれるご主人に巡り合い、主婦・母という表の顔と、奴隷
・家畜として飼育される裏の顔の二つを持つことです。
結婚して母親になっても、貸し出されたいと思っています。